第6話 いもうトーク その1
「――珍しいな、斬子が僕に話しかけてくるなんて」
「そう? 理由がなくても話しかけることはするじゃないの」
「それって、廊下ですれ違った時にぼそりと言う――あのダメ出しのことか?」
「それは理由があるじゃない。ダメなところを直させるために言っているんだから」
まあ――それもそうか。
しかし、だとすると理由がなく話しかけることなんてないと思うけど。
全てにはきちんと理由があるのだから。理由がない行動がそもそもない。
「……バスの中で会った時、指で頬をつんつん、って、やるじゃないの」
「話しかけてないじゃん」
冷静にそう言ってみると、斬子は盲点だった、と言わんばかりに目を見開いた。
まさか、あれで話しかけたとカウントするとは思わなかった。
言葉を発してないし。感覚的に気づいて、意識を向けただけなのに。
そんなこともあったなあと思い出す――、そこで、頬を突かれても、しかし会話をしない僕たちって……。まあ、混雑しているバスの中で話すのもどうかとは思うけどね。
「そうね――。まあ、それはもういいわ」
斬子が話題を終わらせた。
自分が不利だとでも思ったのだろうか。勝ち負けとか、ないけど――。
「で――今日はなんの用で? 斬子に借りはないと思うんだけど……」
「なに言っているの? あるわよ、大量に。あんたが返し切れてないもの、たくさん」
「マジで!?」
珍しく声を上げてしまった。
幸いにも食堂はがらがらのすかすかだったので、声は響いたけど、視線をこっちに向けてくる生徒はいなかった。できるだけ目立ちたくはなかったので、運が良い。
「マジマジ――大マジ。けど、今は別に、そのことを言おうと思っているわけじゃないわよ。
その借りは私が有効に使うから」
「有効にって……」
「楽しみにしててね」
そして斬子が笑った。
声を漏らさず表情を変えるだけで、満面の笑みを作り出した。
ここから一体、どんな借りの有効な使い方が出てくるのだろうか。
今からもう、恐怖を感じる。
恐怖に沈んでしまった感覚を引き戻し、会話の続き――。
斬子は、別にそのことについて言おうと思っているわけではない、と言った。
他に話すことがあると、そういうことだろう。
話すこと? なにか、あっただろうか。
「ねえ――
斬子が僕の名を呼ぶ。
久しぶりに名前を呼ばれた。母親からは名前では呼ばれず、
「ねえ」とか「あんた」とかだし。
妹は「お兄ちゃん」だし。
大学では「春希」と、名字で呼ばれるし。
だから名前を呼ばれたことにびっくりした。
少し体をびくりとさせただけで、表にはあまり出なかった動揺だった。
しかし、
「あんた、最近さ、悩み事でもあるんじゃないの?」
斬子に言われて、今度こそ動揺が完全に表に出た。
たぶん、顔に出ていたのだと思う。
僕の顔を見ていた斬子が、表情を変えた――。
珍しいものでも見たような顔をした。
すぐに通常運転に戻した僕だけど、時は既に遅く――、
見られてしまったことを否定するのは難しい。
動揺を見られた――それはつまり、肯定してしまったということだ。
ここで斬子の質問に違う、とは答えられない。
言ったところで信用されないだろうし。
まあ、押し切ってしまう選択肢もあるのだが。
だが、こういう時の斬子は、なぜかぐいぐいとくる。
僕が引くくらいに、ぐいぐいとくるのだ。
駄々をこねて、【言わない】を貫き通したところで、成功する確率は低い。
なら言ってしまった方が楽なのではないのだろうか。
――しかし悩み、ね。
あると言えばあるけど、それが悩みと言えるものかどうかは、判断に困る。
言ったら、「なんだそんなことか」と笑われて、それで終わりかもしれない。
それならそれでいいのか。
あまり重く捉えられないようにして、軽く言ってしまうか。
「悩みね……。あるけど、これ、僕自身のことではなくて、妹のことなんだけどさ――」
「それは予想していたわ」
斬子が自信満々に言う。
――なんだ、分かっていたのか。
というかなんで分かったんだ?
僕、そこまで分かりやすい性格はしていないつもりだったが。
「だって――あんたが自分のことで悩むわけないもの。
妹以外に、興味はないんでしょう?
だからあんたがいつもと違う様子なら――間違いなく遥ちゃんが関わっているわけだし」
斬子が言う、僕から抱いている印象を参考にすると、
僕は分かりやすい性格をしている、というレベルの話ではなかった――。
自分よりも妹優先である。
そういう知識で、認識されている。
なるほど、自分では分からない一面が見えてきた。
自分で自分のことがよく分からないな……。
人に言われて初めて理解することが多過ぎる。
しかし……そんなものかもしれない。
自分で自分を充分に理解しているとは言えないのだから。
「で、遥ちゃんがどうかしたの?」
身を乗り出しそうな勢いの斬子が、姿勢は座った状態そのままで聞いてくる。
メガネの奥で、瞳がキラキラと輝いているのが見える。
……僕が悩みを明かすのが、そこまで楽しみなのだろうか。
面白いことなどないのに。
それとも、僕から悩みが出ることに、特別な意味を見出しているのかもしれない。
そこまで期待されると逆に言いにくい。
だが、ここで言わないのは、僕も斬子も、もやもやが残る。
互いに良くない。
気持ち悪い感覚が残る。
スッキリしない――それは嫌なので、素直に言うことにした。
犯罪行為を白状するような気分になったけど――それは僕がおかしいのだろう。
自覚できた――まあ、ともかく。
「妹がね……」
ここで僕は、最近、妹の様子が変だということを、斬子に包み隠さず全てを明かした。
その中には僕なりの考え、そして作り出した仮説もある。
――ただの反抗期ではないのか、とか。
そんな単純なことではないのかもしれないが、捨てることを前提とした案も、時には必要かもしれない。……核心を突いた説に行くための、土台のような役割を果たすかもしれないからだ。
まあ、とりあえずで言ったものの――、結局、反抗期云々の仮説は、
斬子の「そんなわけないでしょ」との言葉で一蹴された。
しかし、すぐにフォローはしてくれた。
その優しさは受け取っておこう……。
「反抗期って可能性もないことはないかもしれないけど……まあないでしょうね」
「なにか心当たりでもあるのか?」
「反抗期にしては弱過ぎるのよ。
確か、用事をすっぽかして、どこかに行っちゃう、だっけ?
他にも、夜遅くまで出かけてるとか、でしょう? 反抗期ならもっと堂々とするだろうし――それもわざと家族に迷惑をかける形でするだろうし。
――祐一郎と遥ちゃんは、家では普通に話すんでしょう? だから尚更、様子が変なのが気になるのでしょう? それを考えると――、反抗期って仮説はないと思うわ」
長文セリフ、お疲れさん、と言いたくなるほどに、綺麗に繋がって発せられた言葉だった。
どこで呼吸しているのか、と思ってしまうほどに文と文の間隔が狭い。
狭過ぎて、僕は言葉を挟めなかった。
それのおかげか、途中で聞き手に回ったことで、考える時間が取れたのは良かったことだ。
反抗期――にしては弱過ぎる。
仮説を立てておいて言うのもなんだけど、僕も少し思っていたことでもある。
反抗、していない気がする。
家族に反抗するというより、心配をかけないように隠している様子に見える――、
いま、記憶を遡らせてみて、そう思った。
「隠している……。反抗期よりは、そっちの方が正解に近そうね」
すると僕と同時に、斬子も同じ考えに辿り着いていたらしい。
――頭の回転が早いなあ……。
思いながら、僕は疑問を口に出す。
「でも、なにを隠しているんだろうなあ……。
あいつ、隠すことなんてないだろうに」
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