第5話 幼馴染

 翌日になって、僕は当たり前のように大学に行った。

 午前の授業は可もなく不可もなく、いつも通りに終了を迎える。


 そして今はお昼の時間になっていた。

 食堂に行き、親子丼を厨房にいるおばちゃんに頼む。

 すると、「はいよ、いつものねー」と言われた。


 ……いつもの? 僕はいつもいつも、親子丼ばかり食べているわけではないけど……。

 昨日はだって、オムライスだったような……。


 しかし、そこで一昨日は親子丼だったな、と思い出す。

 そしてそれ以前の記憶も蘇ってきて――、確かに、僕は親子丼を頼む回数が多かった。

 別に、特別に好きなわけではないんだけど――、好きではあるが、二日おきに食べるものではないはずなのに。無意識なのか……。


 無意識に、僕は親子丼を気に入ってしまったのか。


 新しい自分の一面を発見して、自分自身を分かった気になる。――理解した気になる。


 そのことに嬉しさを感じながら、微笑む。

 おばちゃんに、「今日は調子がいいのかい?」と声をかけられて、僕はとりあえず頷いた。

 正直、おばちゃんの声が聞き取れなかったから、一応、という意味で頷いただけの行動だったのだが、しかしおばちゃんは満足そうだった。ならいいか。


 聞き取れなかったところを聞き返すことはせず、親子丼を受け取る。

 自分好みの調味料をおぼんに乗せて、空いている席に向かった。


 空いている席は、ほとんどだった。逆に、埋まっている席はほとんどない。


 お昼時だったが、人は少ない。食堂を使う生徒はあまりいないのだろうか……。

 お弁当を持ってきていたり、外に食べに行ったりしているのだろうか。

 ここの食堂のご飯は美味しいのに――。なんだか、みんなは損をしているような気がする。


 とは言え、これは完全に好みの問題だし、財布の問題だし、個人の問題だし。

 僕がどう思ったところで、無駄なのだった。

 すぐに忘れることにする。僕が楽しめていれば、それでいいのだから。


 壁際の、目立たない場所の席に決めた。

 椅子に座って、それから親子丼に箸をつけた。


 誰かと一緒にいないと――いただきます、は言わないものなんだなあ、と。その時に思った。


 親子丼を口に運ぶ。

 しかし――、食べようとしたが、僕の力に反発するように、手が遠ざかっていく。

 引っ張られる感覚だ――僕の力ではない。


 僕は今も変わらず自分に向かって力を向けている。

 ならば引っ張られる感覚は――これは誰かが、僕の手を引っ張っているのか! 

 と推理して、仮説を立ててみた。それはすぐに正答として姿を変えたが。


「いただきますを言いなさい」


 言いながら、僕の目の前に席にどすんっ、と、

(もしも口に出していたら殴られそうな表現の仕方だった)

 腰を置いた女性がいた。


 メガネをかけている。

 イメージ通りに、頭が良さそうな雰囲気を出していた――、まあ、悪くはないと思う。

 僕よりは成績が良いだろうし。


 そして、染める気のない黒髪を伸ばしている。

 顎と同じ高さまで伸ばしているように見える――、誤差はあるだろうけど。

 僕から見て、そう判断してみた。


 いつも思うけど、昔からずっと髪型は変わらないなあ。

 冒険をしないタイプなのかもしれない。

 安定を求めて、安心を手入れて。後悔をしたくないのかもしれない。


 守りの生活をしているのか。


「……なに?」


 すると彼女がそう聞いてくる。

 僕がずっと見ていたのを不審に思ったのかもしれない。


 しまった……、凝視するのをもう少し遠慮すれば良かった。

 変な誤解を受けていそうだ。


 まあ、長い付き合いなので、行き過ぎた誤解はされないかもしれないが。

 しかし、行き過ぎていない誤解はされていそうだ。

 だとしても僕は解く気などさらさらなかったけど。


「いや……いただきます」

 反抗期でもないのでおとなしく言われたことを実行してみた。


 彼女は僕の言葉に満足したのか、「うん」と頷いた。

 そして自分が運んできたうどんセットに箸をつける。

 もちろん、いただきます、は忘れていなかった。


 秋月あきづき斬子きりこ――小学生からの付き合いである、僕の幼馴染だ。


 小学校、中学校、高校と――そして大学。ずっと一緒だった。

 さすがにクラスが違うことは多かったけど。


 とは言え、特別、仲良しというわけではない。

 会えば挨拶を交わしたり、少し話をするくらいで、どこかに出かけることは滅多にない。

 ……本当にたまに、斬子から誘われて行くことはあるけど。


 それは貸し借りの範疇はんちゅうだ。

 斬子は頭が良い。僕はそれを利用して、力を借りることがある――、

 その時の交換条件として、斬子の買い物に付き合ったり、スイーツを奢ったりしている。

 中学の時から急激に減った交流――、今も続いているのはこれくらいなものだった。 


 それにしても、こうして斬子を見るのは久しぶりだ。

 いつぶりだろう――数週間は会っていないのではないか? 

 いや、家が近いから、たまに見かけるか。

 ただ、それは見ただけであって、会ったことにはならない――。

 そうなると、一か月は会っていないのではないか、と思う。


 一か月ぶり、か。

 こうして出会うことが珍しいのに、それに加え、

 今回、斬子の方から話しかけたことに、さらに珍しいと感じる。


 なにか理由でもあるのだろうか。

 ……嫌な予感がした。最近は会っていないから、借りを作っていないはずだが――。

 だから貸し借りの話のために、声をかけてきたわけではないのだろう。


 では、なんだろう? 

 しかしここで、「なんで話しかけてきた?」と聞くのも可哀そうだ。

 斬子は単純に、幼馴染として話しかけてきてくれただけかもしれないのだ。

 一応、友達だし。変なことではない。


 僕は親子丼を食べながら、斬子を観察する。

 彼女はうどんをすすっていた。幸せそうな表情――ではないが、

 目はそんな表情をしているんだろうなあ、と思わせる力は持っていた。


 好物なのだろうか? でもうどんだ。

 言っては悪いが、そこまで幸せな表情で食べる食べ物ではない気がするが……。


 まあ――人、それぞれだ。


「ねえ」


「ん?」


 斬子の声に、一秒も経たない内に返事をした。

 返事が早過ぎた気もするが、後の祭りだ。


「……こうして顔を合わせるのも久しぶりね……」


「まあ、夏休み中は結局、会わなかったしな」


 直接的には、だが。


 僕たちの親同士は、ご近所付き合いとして食事を計画していたようだが、どうやら互いに都合が合わず、その話は流れたらしい。

 また今度――になったようで、次は正月にでも行くのだろうか。


 僕と斬子はたまにしか会わないけど、親同士は仲が良いので、僕たちよりも会っているのかもしれない。まあ、そこは時間の使い方なのだろうなあ。

 親も別に、暇ではないのだろうけど、僕たちは色々と忙しいから。

 望んで会うことは、よほどの理由がなければしないし。


 だからこそ、こうして話しかけてきた斬子の企みが恐い。

 斬子がなんとなくで話しかけてくるはずがない。

(直接、それを言ったらこれまた殴られそうな言い分だ)

 そこにはちゃんと理由があるはずなのだが――。


 その予想は、ギリギリ、当たることになる。

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