第4話 深夜の再会

 妹は、まだ気温は夏を引きずっていると言えるのにもかかわらず、上着を着ていた。


 パーカーの前が開いていたので、下に着ている制服が見えている。

 気になったのはその制服が、ボロボロだったということだ。

 細かく見てみると、燃えていた? そんなような痕もある。

 一体なにをしたんだ、と声が出そうになったところで、妹がいきなり後ろに跳んだ。


 ああ――僕に気づいたのか。


 妹のことに目が行き過ぎて、体が半分以上も部屋から外に出ていることに自分自身、気づいていなかったらしい。

 ここまで出てしまってまた中に戻るのも変なので、そのまま出ることにした。


 妹と向かい合う形になる。

 なんだか、仁王立ちして待ち構えているような構図に見えてしまうが、いや、そんなつもりは毛頭ない。とりあえず、いつもと同じ調子で言っておくことにした。


「おかえり」


「……ただ、いま」


 妹はびくびくと小動物のように怯えている。

 ……僕を見てなぜ怯えるのか謎だったが、その謎は僕の中でだんだんと溶けていく。


 暗闇だから僕のことを父親と勘違いしたのかもしれない。

 僕はさっきから暗闇の中にいたおかげで目が慣れているが、妹の方はいま帰ったばかりで暗闇に慣れていないのだろう。父親と僕は親子なのだから、そりゃ似ている。

 だからこそ妹は勘違いしたのかもしれない。


 しかし――この状況で父親ならば、「おかえり」なんて言うはずないのに。


 殴ることはしないだろうけど(僕はされると思うが)、怒鳴ることはすると思う。


 近所に響くくらいの大声で。

 僕がいま寝ていたら、たぶん跳び起きるくらいの声で。


 まあ、父親よりも先に妹のことを僕が見つけることができたのは、運が良かった。

 今のところ、僕が妹の運命を握っているようなものなのだ。

 今、両親に差し出してもいいし、庇ってもいいし――。

 選択肢は二つ……、もっとあるだろうが。


 しかし僕は既に答えを決めている。

 選択肢が出る前に決めていること、というか、

 なにも考えていなくとも感覚的に、僕は自然と選択肢を掴んでいた。


 結局、僕は妹に甘いのだった。


「父さんと母さんはもう寝てる。けど、一応、物音を立てないようにしろよ」

「え……、あ、うん」


 妹の拍子抜けしたような顔、そして声。

 ……僕を、どんな風に想像していたのだろうか。

 気になるところだったが、聞くことはしなかった。知らなくてもいいことだ。


 それから手で、ちょいちょい、と招く。妹は僕の後ろをついてくる。


「一応、明日、母さんと父さんには僕から言っておくよ。

 遥からの連絡はきてたけど、僕が気づいていなかっただけだった――って。

 そうしておけば、遥も無断でここまで夜遅くまで出かけていたわけじゃないってことになるだろうし。怒られるだろうけど、怒りは和らいでいると思うから。だから上手く合わせておけよ」


「うん……分かった。……でも――なにも聞かないの?」


 妹がそんなことを聞いてくる。

 聞く? なにを? ――ああ、妹の事情か。


「聞けば教えてくれるのか?」


 いじわるするように、僕はそう聞いてみた。


 妹は、「いや……」と言い淀む。思った通りだ。


 聞いたところで、どうせ教えてはくれないだろう。

 教えてくれることだったら、僕が聞くまでもなく妹の方から教えてくれるはずなのだ。

 昔はそうだった。だからと言って、今もそうだと言えるかどうかは曖昧なところではあるが。


 いや……今も案外、教えてくれるか。

 まあ、どうでもいいような、聞かなくともいいことが大半ではあるけど。

 仲が良い兄妹きょうだい

 仲が良いからこそ、踏み込んで良いところと悪いところがはっきりと分かる。

 相手の呼吸が分かるかのように。

 いま抱えている事情も、なんとなくで分かってしまう。


 それがなにか――ということではない。

 抱えている事情の重さ、大きさのことだ。


 妹は大きな、なにかを抱えているのだろう。

 しかしそれを相談しないということは、できないのか、

 それとも自分の意思で決めたことなのか――。

 なんにせよ、妹がなにも話さないのならば、僕は待つしかない。


 待つのは慣れている。

 いつまでも待っていようではないか。


 だが――、いくら妹のことを想ってなにも聞かないとは言え、しかし、まったく触れないというのも、それはそれで妹の機嫌を損ねてしまう原因になってしまう。

 どうすればいいんだ。

 さじ加減が分からない。

 しつこくは聞かずに、でも一応、聞けということなのか。


 後ろから突き刺さるどんよりとした視線。

 オーラでなんとなく分かってしまうのが、

「わたしなんかに興味ないんだ……そうだよね。

 そうだもんね。どうでもいいよね興味ないよね」……という、妹の心の声である。


 いつも見る妹の性格とは真逆だった。

 これは相当、落ち込んでいるらしい。


 僕なんかに相手にされないだけで、そこまで落ち込むのか……。

 世界でただ一人の兄妹とは言え――僕だぞ? 

 僕なんかいなくても、生きていけるだろう。

 遥ならどこでも上手く、生きていけそうなものなのに。


「……なにか悩み事でもあるなら、いつでも相談に乗るからな。気軽に聞けよ」


「うん」

 妹は頷いた。本当に、分かっているのだろうか。


 うんとは言ったものの、妹はたぶん、僕に相談をしてくることはないだろう。

 そうする、という根拠はないが、大体がそうだ。

 決まっていると言っていいほどに、確率が高い。


 となると、

 もっとぐいぐい行かなければ、妹がなにをしているのか、一生分からないはずだ。


 待っているだなんだと言ったものだが、だけどやはり気になる。――妹なのだから。


 様子がおかしいのならば、なんとかしてやりたいと思うのが兄貴だ。


 僕だって、それは例外ではない。


 だから、


「なにか、あったのか?」


 と聞いた。


 けれど妹は後ろから僕を追い越し、風呂場へ入って行く。

 扉を半分まで閉めたところで、


「なにもないよ。今はただ単に、反抗期なだけなのっ! 

 お兄ちゃんでもあんまりしつこいと、怒るから!」


 そう言われ、ぴしゃりと扉を閉められた。


 ……父さんと母さんが起きるから、静かにしろって言ったのに。

 普通にシャワーを浴びるのか、お前は。

 まあ、一日シャワーを浴びないのは、男子ならともかくとしても、女子はきついか。

 汗をかいたままベッドで眠るというのも、気持ち悪いし……。


 僕はここにいた方がいいのだろうか? 

 妹が出た時に僕がここにいたら、きもい、とか言われるのだろうか。


「……それは嫌だなあ」


 思った後の行動は早かった。

 僕は部屋に戻り、ベッドに潜り込む。


 妹のこととか、色々と。

 とは言ってもほとんどが妹のことで埋まっている色々だったが。


 考えている内に、僕は目を瞑っていた。

 意識もやがて、なくなっていった――。

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