第22話 ずっと好きだったから 2


「——天野ちゃんの連絡先ゲットしたって、本当か? 返答次第では斬る」


 一体、何で斬るというのだろう。高牧が朝から絡んでくるのに、俺はうんざりした表情を浮かべた。


 俺の机に頬杖をついていた御子柴が首を傾げる。


「お前、天野と仲良かったっけ?」


「あー、いや。今朝、たまたま下駄箱で一緒になって。なんでか知らないけど、ID教えてって言われて……」


「天野ちゃんから言われたのかよ、自慢かテメェ」


 高牧がずいっと顔を寄せてくる。小バエを払うように、御子柴がその額を叩いた。


「いてっ」


「教えて欲しいなら、天野に聞けよ」


「聞けねえから言ってんだろ。高牧くんのピュアピュアハートをナメんなよ!」


「知らねー。宇宙の果てまで知ったこっちゃねー」


「いいよな、すでにオトモダチな奴らは!」


 すると、御子柴が眉を顰めた。


「いや、俺、知らないけど」


『えっ?』


 期せずして俺と高牧の声が重なった。


「ハモんな」


「いや、だって……」


「なぁ」


 高牧とどちらともなく顔を見合わせると、御子柴は心底嫌そうに眉間の皺を深めた。そして何故かまた高牧の額を叩く。


 当然、抗議する高牧としれっと無視する御子柴をよそに、俺は手元のスマホをそっと見下ろした。


 天野さんはもしかしたら俺を通じて、御子柴の連絡先が知りたいのかもしれない。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、じゃないけど……そういうことなのかと。


 別にそうだとしても、一向に構わなかった。ま、そんなもんだよな、と思う。むしろ約二年間も連絡先を聞けなかった天野さんの慎ましさに、同情を覚えるくらいだ。


 そんな天野さんを俺は欺いている。きっと、一番酷い方法で。


 あの眩しい微笑みを思い出すと、じくっと胸が痛んだ。





 夜、風呂から上がって髪を拭いていると、洗面台の上に放り出してあったスマホが震えた。濡れ髪のままちらっと見やれば、天野さんからのメッセージだった。


『今朝はごめんね。ID教えてくれてありがとう』


 ドライヤーを吹かしながら、画面の上に指を滑らせる。


『こっちこそぶつかってごめん』


『ううん』『今日の持久走、しんどかったね』


『女子は十周だったっけ』


『そう。男子は十五周だったよね。そういえば御子柴くん速かったね』


 突然出てきた字面にどきりとする。俺はドライヤーのスイッチを切った。


『あいつマジでなんでもできるよな』


『ちょっとズルいと思う』


『確かに』


 会話が途切れる。俺はいたたまれなくなって『御子柴の』と打ち、そこでやめた。


 言われてもないのに、あいつに取り次ごうか、なんて大きなお世話もいいところだ。


 それに……御子柴だっていい顔しないだろう。俺は人の感情の機微に聡い方ではないけど、それぐらいは分かる。


『でも病み上がりなのに走ったりして大丈夫だったのかな?』


 俺はとっさに洗面所の鏡を見た。上半身にうっすら残る鬱血の跡を凝視する。


 なんと返していいか悩んでいるうちに、洗面所のドアがどんどんと叩かれた。


「ハルくん、まだー? 美海もお風呂入りたいんだけどー」


「あ、あぁ、今出る」


 手早くトレーナーを着て、洗面所を出る。すれ違いに入ってきた美海はぷりぷり怒りながらドアを閉めた。


 そういえば台所に洗い物がまだ残っている。俺はこれ幸いに『用事があるから、ごめん。また明日』とだけ返し、リビングのローテーブルにスマホを裏返して置いた。





 今日は二月とは思えないほど暖かかった。燦々と太陽の光が降り注ぐ屋上で、いつものように御子柴と昼飯を食べる。というか、御子柴はすでに食べ終わっていて、珍しくスマホを眺めていた。


 俺はコッペパンをかじりながら、その様子をちらりと見やった。


 もしかして昨日の今日で天野さんと連絡先交換したとか……? 妙な勘ぐりをとっさにカフェオレで流し込む。


 すると、御子柴が急にむすっと口を曲げた。


「えー、なんだよ。つまんねー」


「は、何?」


 御子柴はこちらに体を寄せて、スマホの画面を見せてくる。


「ほらこれ。十八歳以上でも高校生はラブホ行けねーんだって」


「ぶッ——!」


 カフェオレが思いっきり気管に入った。げほごほ咽せている俺を意にも介さず、御子柴は続ける。


「つっても、俺らまだ十七だけどさ」


「バッ……げほっ、バカなのか、お前は!」


「え、なんで?」


 とぼけたような表情が一転、意地の悪い笑みを浮かべる。俺は腹の底から叫んだ。


「うるさい、ほんとムカつく!」


 怒りを口元のコッペパンにぶつける。特に腹も空いてないのに、餓えた獣のようにパンを噛み千切った。


 ポケットの中で携帯が震える。取り出して見ると、天野さんからだった。


『五時間目と六時間目入れ替わったって。次、選択授業だから気をつけてね』


 その親切なメッセージにささくれ立った心が洗われる。


『教えてくれてありがとう』


『うん、御子柴くんにも伝えておいてね』


 天野さんからその名前が出る度に、鼓動が変な音になる気がした。俺は『分かった』とだけ返信する。天野さんからくまのキャラクターのスタンプが送られてきて、会話は終わった。


「普通のホテルだったらいいのかなぁ……?」


 スマホの画面を睨みながら、御子柴は首を捻っている。俺は密かに溜息をついた。



 今週は掃除当番だった。掃除の担当は自教室と特別教室に分かれている。うちのクラスの担当である音楽室の床にモップをかけていると、同じ班である女子の一人が声をかけてきた。


「水無瀬、水無瀬。ちょっといい?」


 篠山朝霞。気の強そうな太い眉が特徴的な女子だ。実際、その小柄な体格からは想像も付かないほど、はっきり物を言うタイプである。正直ちょっと苦手だ。


 篠山は肩につくぐらいの髪を揺らして、ちょいちょいと俺を音楽室の端に手招きした。気が進まないながらも、仕方なくついていく。


「何?」


「あんた最近、游那とよく喋ってるってほんと?」


 またそれか。篠山は天野さんとグループが一緒だ。小学生からの付き合いらしい。


「別に。ケータイで時々やりとりするだけ」


「あの子から聞いてきたんだよね、連絡先」


「そうだけど、それが?」


「いや、すっごい珍しいことだからさ。気になって」


 篠山は他の班員の手前、雑巾で窓を拭きながら、続けた。


「游那に聞いても『なんでもないよ〜』の一点張りだし。ねえ、ひょっとしてあんたのこと好きなのかな?」


「それはない」


「ま、だよね。とすると、ついに動いたか、あの子」


「……御子柴目当て?」


「言い方気をつけろ。ずっと一途だったんだからね」


 篠山の顔が引きつるのに、俺は思わずたじろいだ。友達思いなんだろうけど、やっぱりちょっと怖い。


「余計なおせっかいかもしれないけど、協力してやってよ。あんたも見たいでしょ、学校一の美男美女カップル」


 別に見たくはない。……色んな意味で。俺がいまいちピンときてないことを察したか、篠山は畳みかける。


「澄ました顔してるけどさ、御子柴も絶対游那のこと好きだと思うんだよな〜。ね、なんかあいつから聞いてない?」


「聞いてないし、聞いてても言わない」


「なによ、ケチ。あたしたち、同志じゃん」


「何のだよ」


 モップをバケツにつけ、ローラーで水を絞る。床掃除を再開しても、篠山は尚も執拗に俺を追いかけてきた。


「ねえ、游那のこと応援してよね」


 俺は答えず、一心不乱に床を拭いた。その一言一言が俺の肩に重くのしかかることを、篠山は知らない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る