第34話 信彦明吉

 目の前の男には、確かに面影がある。

 数百年も前のことで、僕も、しっかりとは覚えていない。


 今だって、こうして目の前に立っていなければ、分からなかった。

 しかし、ここまで僕に嫉妬心を持っているのは、あいつしかいないのだ――。


「久しぶりだね――。え、と……万平文化、で合ってるよね?」


「……神の力を使えば、そんなことは簡単に分かるだろうが」


 そりゃそうだ。文化の言う通りに、僕はなんでもかんでも、分かっていた。

 しかし、懐かしい顔。文化が、あの時の少年だと分かってから、なんて声をかけたらいいのか分からなかったのだ。だからこそ、疑問形にしたまでのこと。それだけの意図しかない。


「――気に入らねえな」


 文化は声を砕くかのようにして、言う。


「さっき、確かに俺様はお前の力を奪ったはずだ。全部ではない。全部を奪い取ることはできなかったが――けど、半分以上は奪ったはずだ! それで、お前はなんでそこに立っていられる! なぜ俺様の前に立ちはだかる! ろくに力も、持っていないだろうが!」


「ああ――それね」


 僕は、手を開いたり閉じたりしてみる。――神の力に、異常はない。

 文化に力の大半を取られ、割合的に見れば、絶望的な数字なのかもしれないが、しかし、それは割合で見ればの話。割合で見るから少なく見える。

 そうは見ないとしたら――簡単なことだった。


「君が奪い取った力は僕の半分以上の力だったんだろうね。でも、残っている力は、決して少ない、ってわけじゃない。確かに、僕から見れば全然、少ないレベルだ。

 でも、君から見れば、充分に多いんじゃないかい?」


「なん――」


「僕が、なぜ、力を扱えていなかったのか――、

 なぜ、落ちこぼれだったのか、分かるかい?」


 決して分かることはないだろう質問を、相手にぶつける。

 相手に答えさせる気は、僕にはまったくなかった。


 それを分かっていながら、それでも聞いたのには、理由がある。

 しかし、重要なことではない。ただのきっかけ――僕が僕のことを話したいがための、スタート地点になってもらっただけなのだった。


「僕は、力を支配できなかったんだよ。

 僕が本来持つ、僕の力を、神の力は、容易く越えていった。

 コストオーバーってところかな。

 自分よりも上に位置する力を、扱い切れるわけがないからね」


「…………」

「――重荷になっていたんだよ。あの力はね」


 文化は、黙ったままだった。

 構わず、僕は続ける。


「扱い切れていなかったことが、僕が落ちこぼれと言われている理由だったのさ――」


 だったら――、


「じゃあ、考えてみればいい。――その、強過ぎた力のせいだった。その力のせいで、僕は神ではなく、堕神と言われていた。神としては充分な技術は持っていたにもかかわらず、だ。

 自分で言うのもなんだけど、そこそこ優秀だったと思うよ。

 君ほどでは、さすがにないけどね――。

 じゃあ、もしもの話だ。その強過ぎる力。

 重荷になってしまっていた、過ぎる力――これが、なかったとしたら?」


 普通で標準な神の力が僕に備わっていたとしたら、どうだろう?


 扱い切れていない余分な力を、文化が吸い取ってくれたとしたら、どうだろう?


 堕神――神。


 差は、それだけだ。


「……お前は、俺様を、利用しやがったのか――!?」


「人聞きの悪いことを言わないでくれよ」


 そう、すぐに否定しておいた。

 違うんだ、そういうことじゃない。あれは完全な偶然だった。


 計画的に動くことなど、僕にはできないだろう。

 飽きっぽく、テキトーな僕には、予定通りに行動なんて、とてもできない。

 だから、文化を利用したのではない。偶然を都合良く利用したまでだ。


「たまたまさ。たまたま――運良くってやつだよ。

 君からすれば、運悪くってやつかもしれないけどね――」


 僕は、拳を握る。


「自分の手足のように力が使えるってのは、やっぱり良いものだよね。

 そうは思わないかい? 君だって、今は同じ気分なんだろう? ――文化」


 すると、文化が、まず動いた。神の力を持っていながら、動くなんて。使い方をまるで分かっていない動き方だ。しかし、仕方ない。

 さっき手に入れた力――すぐに使いこなせるわけがない。

 書類上でできるのと、実際にやるのとでは、やはり違うのだから。


 知識と体験の違い、というやつだ。


 文化は優等生だ。神の力については、知識としてはなんでも知っているのだろう。


 しかし、実際にやってみれば、思っていたのと違う――ということもある。


 そこに隙が生まれ、決定的な、敗北要因になる。


 文化は僕に飛びかかる。まるで子供の喧嘩だ――いや、喧嘩なのだろうか? 

 違うだろう。今からする戦いは、喧嘩なんて遊びじゃない。ただの、裁きだ。 


 とても見せられない。冗談でも笑えない。人を落とすための、裁き。


 神として、僕の最初の仕事――役目。しなければ、ならないこと。


「こんの、落ちこぼれがああああああああああああああああッッ!」


 文化が迫る。


 僕は、手を振り上げた。

 そして、すぐに、振り下ろす。それだけの動作――上下移動。


 それが合図だった。

 文化の体は、空中で一瞬だけ止まってから、行先を、真下に変更。


 ぐんっ、と体が引っ張られる感覚――文化はそう感じたことだろう。


「あれ……、なんだ……?」


 聞こうと思って聞いたわけではないが――少年、枠内一陣の声が聞こえてきた。


 今からすることは、あまり、見せたいものではないのだけど。

 樹理、そういう気は遣ってはくれないのか……。


 まあ、少しショッキングな光景かもしれないけど、そこは樹理がフォローしてくれるだろう。

 そう思い、遠慮なく、僕は念じた。


 ――開け。


 空間が軋む音。歯車が、段々と加速していく音。

 扉が開く。なにもない場所――空中。


 どこにでもあるような空間が、引き裂かれる。


 顔を覗かせたのは、大きな骸骨だった。


「な――、まさか……まさかっっ!」


 文化は気づいたのだろう。慌てふためき、必死に抗う。


 現・神様の力を奪い取ろうとし、実際に奪い。

 そして、世界を新しく作り変えようとした、万平文化。

 この罪が、軽いわけがないだろう。


「やめろ、やめてくれ――地獄だけは、やめてくれ!」


 僕の力によって、身動きが取れず、空中にふわふわと漂っているだけの文化。

 彼は、泣きそうな顔で、僕を見る。


 やめてくれ、と視線でも訴えてくる。

 僕だって、やりたくはない。進んでやりたいわけ――ないだろう。


 でも――、


「悪いね、文化」


 僕は言う。無感情に、そう告げる。


 僕は、全てを見ていた。だから、知っている。


「君のせいで、全てが狂った」


 僕の友達が、仲間が、傷ついた。


 和実と、茜。

 遊と、一陣。


 巻き込まれることがなかったはずの仲間たちが巻き込まれ、人生を狂わされた。


 僕への罪は、最悪、許してもいいだろう。

 でも――仲間への罪は、消えるわけがない。


 消すわけには、いかないのだ――。


「想像できるよ――地獄は最悪だ。人を人とも思わず、汚物として見ている。

 人権なんてものは存在しない。刑務所よりも残酷だ。なにもない無の空間で永遠を過ごしている方が、まだマシだと思えるほどに、地獄の中の地獄。

 想像できるよ。叫びをあげる君を。

 想像できるよ。苦痛に歪ませる君の顔を。全部分かる。全部想像できる。でも――」


 でも。


 それでも。


 分かっていながら、しかし。


 僕は、目を瞑る。


 最後の彼の顔を――見たくはなかった。


「――僕はそれでも、君を地獄に落とす」 


 僕は、力を使う。文化を、地獄に、落とした。


 彼の叫び声だけが、僕の五感を揺さぶってくる。


 ああ、落ちたんだな。

 そう思った。


 ああ、終わったんだな。

 とも思った。


 そして。

 

「これで、元に戻るんだな」


 と思った。


 元に戻る。それは、昨日とか、今までの毎日へと――ではない。


 元に戻る――数百年前の、僕に。

 あの時と立場は変わるが、戻るのだ。


 あの場所に――戻るのだ。

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