第33話 枠内一陣 その9

「がはっ――っ、無茶をしやがる!」


 俺は、思わず、そう呟いた。

 俺はビルの壁を突き破り、中へ侵入していた。

 ここはドロップ・カンパニー本社のビルである。


 ここまでは、巫女さんの式神――白い布が、まるで生き物のように動いている――に乗って来ている。お世辞にも、巫女さんの運転は、安全とは言えないようなものだった。

 最終的には、勢いをつけすぎて、止まれずに、壁に激突しているし。 


 その時の勢いで、巫女さんは外に投げ出されてしまい、十階から落下してしまった。

 しかし、あの式神が助けに行ってくれたので、心配は無用だろう。


 それに、助けようしたら、巫女さんは言うだろうと思う――、


「君は、君のやるべきことをしなさい」、とかな。


 そう言うのが分かっているからこそ、

 俺は巫女さんのことは気にせずに、ビル内部を進んで行った。



 廊下に出て、一際目立っている部屋の、大きな扉を開ける。


 中には、一人の男がいた。

 黒いスーツを着ている。黒髪。年齢は、二十代前半と言ったところ。


 煙草を吸っていた。ヤクザのような雰囲気を持っている。

 拳銃を取り出しても、おかしくはない雰囲気だった。


「――誰だ?」


 男が、部屋に入ってきた俺に、意識を向けた。


「……あんたが、社長か?」


 俺は、睨みつけながら言う。

 しかし、男は、俺に怯む様子は、まったくない。


 逆に、相手の声に、俺が怯みそうな程だった。


「質問をしているのこちらだ、小僧。

 礼儀も知らないのか? 目上の立場の人間だぞ? 俺様は」


『俺様』なんて、一人称を使うのか、こいつ。


 自分は誰よりも立場が偉い――。本気でそう思っている人格の持ち主だった。


 恐怖で震える声――押し殺して、俺は言う。


「今、世界が混乱をしているのを、知っているか?」


「知っているとも。俺様が滅茶苦茶にした世界だ。知っていなければ、おかしいだろう」


「だったら――」

 俺の言葉は、遮られた。男の声は、俺に主導権を握らせない。


「――で、お前は俺様になにを言いに来た? あれだろ、元に戻せとか、そんなことだろ? 

 分かっちまうもんさ。お前の視線は、全てを語っている」


「なら、言う手間が省けたな――」

 俺は一歩、踏み込んだ。そして、距離を少し、詰める。


「元に戻せるなら、さっさと戻せよ。

 このままじゃ、世界中の人間が死ぬかもしれないんだぞ?」


 しかし、男は、笑うだけ。

 声を殺した笑い方をして、自分の主張を、曲げようとはしない。


「戻すわけねえだろう。俺様には俺様の目的があり、そして――達成したんだ」


 ……達成、した? もう、こいつの思い通りに、事態は進んでしまったということか?


「こうして『あいつ』の力を奪い取れたんだ……。さすがに全部とはいかねえが、これさえあれば、俺様はあいつよりも上に立てる。

 ――俺様は、優等生なんだ。落ちこぼれなあいつが、神様なんて、ありえねえんだよ!!」


 男の握った拳――それが、光り輝く。

 その黄金の光は、俺は見ていられなかった。


 ずっと見ていれば、眼球が焼き尽くされそうで。

 視力を破壊されそうで、すぐに逸らすことしか、俺にはできなかった。


「これで俺様が――神だ!」


 ぶっ飛んだことを言う男。

 俺は、もうなにがなんだか分かっていなかった。


「長かった――計画を考えてから実行まで、そして達成まで……長かった。

 俺様はやっと、こうして世界の真上に、存在することができる!」


 言い放つ男は、今、恐らく油断している。

 光のせいで、俺は薄目でしか状況を見られないため、正確には分からない。

 しかし、馬鹿みたいに余裕の笑いをあげている男。――油断していないわけ、ないだろう。


 考え、悩んでいる時間はもったいない。

 スタートは早く、ゴールも早く。

 俺は男の元に向かって、一直線に走った。


 足が絡んで転びそうになった。けど、意地で、根性で、なんとか踏ん張る。

 世界のため――なんて大きなことのためには、俺は動けない。

 ただ一つの小さなことだ。俺にとっては、これだけで充分なのだ。


 元に戻った世界で、遊と一緒にいたい。

 たったそれだけのことだが、俺の体を動かす最大の原動力になる。


 怪我をして動けなくなっても。心折られ、立ち直れなくなっても。

 遊を思い出せれば、なんでもできる。そんな自信に、満ちていたのだから。


 あの時――助けられた。


 今この時――俺が遊を助ける番だ!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」


 加速は最大。勢いは、最高だった。


 男の手前、大きく跳躍。

 膝を相手の顔面に入れる勢いで、飛びかかり、膝蹴りを喰らわせる。


 衝突の衝撃は、きちんときた。

 しかし、攻撃を喰らわせられたかと言えば、恐らくは違う。


 止められている。

 男の手に、俺の膝は、受け止められていた。


「残念だったな、小僧。お前に俺様は倒せ――」


「もう一つ!」


 言葉通り、俺は一度、着地。そして、再びゼロ距離からの跳躍。

 それは、攻撃と呼ぶには情けないものだった。

 けれど、相手を今の位置から後ろに移動させるには、充分だった。


「なんっ――」

「このまま、落ちやがれぇええええええええええええッッ!」


 男は気づいたらしい。俺も、一瞬、怯んだ。でも、ここで、引けるかッッ!!


 男の後ろ、ガラス張りの窓が割られる。

 外の風が一気に部屋の中に入ってくる。


 そして、部屋の中に元々あった風が、外に流れ出る。

 その風に乗り――俺と男は、空中に投げ出された。


 視界がぐるぐると回り、心臓、胃――、

 あらゆる臓器が体の中でシェイクされる気分だった。


 思い通りにいかない体の操作は、完全に風の手に握られていた。

 重力の圧倒的な強さも風の手伝いをしている。

 このままだと、俺は、地面に叩きつけられる。


 さすがにこの状況では、意地も根性も意味をなさない。

 抗うことのできない力は存在しており、

 今の状況は、その抗えない力が自由に楽しんでいるようなものだった。


 自分を主張している。俺を手の平の上で弄んでいるのか。

 そりゃ、どうにもできないわけだ。


 あいつ――男はどうなったのか。

 ぐるぐると回る視線を動かし、なんとか周りを見てみると、男は、空を飛んでいた。

 いや、違う。浮いている。――空中に、立っている。


「残念だったな、小僧」


 男が言う。

 風の音で、聞き取りにくかったが、なにが言いたいのかは、しっかりと伝わってくる。


「神である俺様に、勝てるわけねえんだよ。お前が最初の生贄だ」


 そして、天に向かって、男は言い放つ。誰かに、聞かせるようにして。


「俺様は、世界を、自分の思い通りに作り変えてやる。いま塗られている色を、白で潰し、その上にまた違う色で塗り潰すように――俺様好みの世界へと、なあっ!」


 宣言。男が、生半可な覚悟ではないことが伝わった。

 だが、そんなこと、させるわけにはいかない。


 けれど、頭では分かっていても、体は動いてくれない。

 動かせない。自然の力が、最大の壁となって障害になってくる。


 目を瞑った。思わず、心の底で、駄目だと悟ってしまったのか――。


 無意識に、諦めてしまったのか。


 俺は、俺は、俺は。ここで、諦めて――、



「やっぱり、なかなかに良い男ね、一陣くん」



 そんな声が聞こえてくる。


 自分の体が、空中で止まる。

 いや、違う――支えられている。

 情けなくも、お姫様抱っこをされているのだ。


 誰に? それは――あの人に。


 さっきの今だというのに、懐かしく感じてしまう。

 そして、安心している自分がいる。俺はまた、この人に頼ってしまうのだろうか。


 頼っても、いいのだろうか――。


「樹理、さん……」


「ん? なあに?」


 微笑む樹理さん。

 優しい笑み。頼りたくなってしまう、そんな力を持つ、笑み。


「さっき、いきなりいなくなって、心配してたんですよ……。

 でも、無事ならいいです。樹理さんの無事以上に、良い事なんてないですからね」


「嬉しいことを言ってくれるわね……。でも、君にとっての一番の良い事は、遊ちゃんの回復でしょう? 揺らいではだめ……。君には遊ちゃんしか、いないのよ。

 逆もまた、遊ちゃんには、一陣くんしかいないのだからね」


「はは、」

 笑って、樹理さんを見上げる。


 そして、その先。――男を見る。


 そこに、もう一人。男の前に立ち、向かい合う、もう一人の男。

 男というよりは、少年。俺よりも、もしかしたら幼いのかもしれない。


 しかし、見た目なんて、年齢なんて、関係ないのかもしれない。

 ――空中に浮いている時点で、男同様に、少年だって、まともではないのだから。


「それは、樹理さんも言えるか――」

「なにか言ったかしら?」


「……なんでもないですよ」


 空中に浮いているというのは、驚くことだが、今は、どうでもよかった。


「樹理さん、この後の展開は、どうなりますか?」


「そうねえ――」


 樹理さんは悩む、振り。

 分かっているくせに。


 俺の思っていることを見抜いているのか、そんなことを聞くなよ、とでも言いたそうな目を向けてくるが、直接、気持ちをぶつけてくることはなかった。


 そして、当たり前なことを、当たり前な風に言ってくる。


「決まっているわ――。

 明吉くんの勝ちよ。揺るがない結果を、ただ追うだけよ」

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