第29話 久我山茜 その6

 戦場は、わたしがいるには、過激な場所だった。

 式神すらろくに出せないわたしは、みんなの邪魔でしかない。

 なにもできずに、そこにいるだけ。

 それだけで、みんなの邪魔にはなってしまうらしい。


 それを回避しようと避難しても、それは負を呼び込む。

 どうやら、久我山の血は、幽霊を誘き寄せるらしい。


 つまり、逃げるわたしを追って、幽霊は一点に集中してくる。

 結果、わたしはなにもできずに、他の人に助けてもらうことになるのだけど――みんなも、お母さんの娘であるわたしを、そうそう見捨てるわけにもいかないらしい。


 どれだけ自分が危機に陥っていても、わたしを助けるしか、なくなる。


 足を引っ張っている。

 悪循環のきっかけが、わたし。


 みんなは、タイミングやリズムを崩され、戦いに集中できていなかった。

 いつものように力が上手く出せずに、しないであろうミスを、何度もしていた。


 傷を作ってしまう。

 一手一手は、小さなものだが、重なっていけば、それは大きな一撃となる。

 式神の方も、主の不調の影響か、上手く活動できていなかった。


 ただの幽霊に、苦戦している。

 全てはわたしがきっかけで。歯車が、狂っているのだ。


「あーもうっ! 邪魔よ、茜!」

 すると、怒鳴り声が聞こえてくる。

 声の主はすぐに分かった。――姉さんだった。


「なんでそこでうろうろしているのよ! 早くどこか遠くに行きなさいよ!」


「でも、わたしだって――」


「わたしだって、なに!? 久我山一族だって!? 

 実力がない落ちこぼれが、久我山の名を背負おうって言うの!? ふざけないでッ! 

 こっちは努力して努力して、やっと背負えた久我山の名なのよ! 

 ――それを、それを……ッッ!」


 姉さんは、自分の歯を砕きそうな勢いで、歯を食いしばる。

 ふー、ふー、と息を吐いている。わたしは、なにも言えなかった。


「それくらいにしておけ。式神も、戸惑っているぞ」

「……え、ええ。どうかしてたわ」


 兄さんの仲裁のおかげで、なんとか、姉さんの怒りは収まったらしい。

 わたしをちらりと見て、しかしそれだけで、それ以上はなかった。

 冷たい視線を浴びせて、すぐに逸らされた。見る価値もない、という意思表示なのだろうか。


「…………」

 戦場からだけではない。久我山という一族からも、いらないと言われた感じだった。

 それは、薄々と感じていたけど……、


 直接、口には出さないだけで。


 今、初めて口に出したというだけで、気持ちは、分かっていた。


「わたしがいていい場所なんて、どこにもないのかな……」


 呟いてみた。

 心に重く、きた。 


 そんなことはないよ、と言ってほしかった。


 誰でもよかった。

 この際、幽霊でもよかった。式神でもよかった。でも、言ってはくれなかった。


 一人。

 孤独。


 どんな痛みよりも痛い。どんな苦しみよりも苦しい。どんな悲しみよりも悲しい。


 そして――わたしは、戦場から逃げ出した。


 走って走って。涙を流して。拭うこともせずに。

 いま誰かに顔を見られたら、

 ぐちゃぐちゃに崩れているだろうけど、それでも構わず、走って。


 町は、滅茶苦茶で、ボロボロだった。

 その光景を見ないようにと、目を伏せて。地面だけを見て、全てにから、目を逸らして。


「う、あ」

 ――嗚咽。


 吐きたい気分だった。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」


 叫んで、喚いて、泣いて――。

 町を我武者羅に走るわたしは、目の前を見ていなかった。


 だからこそ――だと思う。どんっ、と誰かにぶつかってしまった。

 相手の方が、腰が強いのだろう。わたしがただ弱かった、と思うけど――、

 わたしは、尻餅をついてしまった。


「いたっ――」

 思わずと言った様子で出てしまったわたしの声。


 そして、やっと、目を、逸らしていた世界に、向ける。


「――ご、ごめんなさいっ!」 


 慌てて謝るわたしは――内心で、怯えていたし、期待していた。


 どう、わたしを責めてくれるのだろうか。その言葉は恐い。でも、今のわたしは、責められることが当たり前だと認識している。

 だから、ここでくる相手の言葉は、責めの言葉のはず、と思っていたのだけど――、


「あ――え……、あか、ね……?」


「――……、和、実……?」


 そこにいたのは、和実だった。

 けれど――なにかが変。


 なにかがおかしい。言葉にはできないし、どう変なのかは言えないけど、なにか変。


 見つめ合うわたしと和実は、数秒の間、なにもしないままに時間を過ごす。


「ご、ごめん、ね……あかね、茜、アカネ、あか、ね――」


「ど、どうしたの!?」


 いきなり泣き出してしまう和実に、わたしは戸惑った。

 わたしもわたしで、相当、精神的にダメージを負って、錯乱していた方だとは思うけど――それ以上に、和実の方は、不安定過ぎた。


 膝から崩れ落ち、わたしのお腹を抱く。

 顔を押し付けて、震えている。


 そんな和実の頭を、優しく撫でる。

 なにがあったのかは知らないけど――今は、こうすることが一番良いと思った。


 わたしだって、撫でてもらいたかった。

 でも、和実がこうして――弱っている。


 いつも助けてくれた、支えてくれた、慰めてくれた。

 そんな和実を、放っておけるわけが、なかった。


「大丈夫……大丈夫。わたしが、いるから」

「……うん、うん……うん」


 和実は、頷いている。


 そんな彼女を見て。上から、首筋を見て――文字、を見つけた。


「これ……――なに?」


 わたしは、それを目で追う。読み取り、頭の中で、繰り返す。


 そこには、


『試作初号機、typeB、version2.27、No.753』と、書かれてあった。


 刺青タトゥー、なわけがない。

 傷というよりは、そこに元々あったような感じ。


 生きてから刻み込んだものではなく、生まれる前からあったような感じ――。

 それに、この文字の羅列は、人間っぽくない。

 そしてもう一つ、あらためて和実の地肌を触ってみて、思った。


 そういえば、彼女の地肌を触ったことは少なかったと思う。

 触っていただろうとは思うが、その時は気にしなかったのだろう。


 しかし、こうして、この文字の羅列を見た後、

 この肌を触ってしまえば、気にしてしまうのは、必然ではないのか――。


「和実……」


 冷静に、平静に、声をかけたつもりだったけど、しかし、声は、通常ではなかったらしい。

 わたしの異常に気付いた和実は、全てを、理解した。


 こうなることは、彼女の中で、覚悟はしていたのかもしれない。

 でも、絶望したような顔をしていた。もう終わりだと、そんな表情をしていた。


「和実は、人間じゃ、なくて――」


 ロボット――人造人間、なの……? 

 と、口に出そうとした時。出される前に、和実の震えた声が響き渡る。



「……いや、いや、やだやだやだやだ……、ばれて、気づかれて……、あ、あ――いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」



 ばちばち、とスパーク音。


 電気が漏れているのか。――見て判断したところ、和実に起こっているこの現象が、よくないものというのは、よく分かった。


「和実!」


 すぐに、彼女を抱きかかえる。


 けれど、漏れた電気がわたしを襲い、少しの時間さえも、抱いていることができなかった。

 ばちり、とわたしの体が弾かれる。

 和実との距離は、メートルもない。しかし、遠くに感じられる。


 すると、和実の、無感情な声――、システム的な、声が聞こえてくる。


『<試作初号機、typeB、version2.27、No.753>の支配権は、この機体、菅原和実から製作者に移動――<ドロップ・カンパニー>社長、万平よろずだいら文化ぶんかへ……。アクセス……三、二、一、ゼロ――完了しました』


 そして、和実は動かない。

 死んだように目を閉じ、死んだように眠っている。


 動かない。わたしの前で、倒れている。


「え……、なご、み……?」

 ゆさゆさと揺らしてみるけど、効果はない。


 本当に、ロボットなのか、と、今頃になって現実を認めているわたしがいる。


「嘘で、しょ、ねえ、起きてってば、ねえ――」


 嘘なんかじゃない。それは、わたしが一番、分かっているのに。


 それでも、希望は捨てられなかった。捨てたくなかった。


「どうして……」


 呟く。

 声は掠れ、頼りない。


「どうして、わたしばかりがこんな目に遭うのよ! 

 なにも、悪いことなんてしてないのに! なにも、なにも――なにも……」


 なにも、していない。だからこそ、じゃないのか?


 努力をしなかった。だから、実力がつかなかった。

 みんなの迷惑になり、家からも、追い出されるようになってしまって。


 それは、動かなかった結果なのだ。

 そこで停滞して、満足しているからこその、結果なのだった。


 それで満足なら、動かなくてもいいだろう。でも――、


「結果を変えたい――」


 なら、動けばいい。

 目的が分かっているのならば、それを、目指せばいいだけなのだから!


「和実――行くよ、わたし」


 ドロップ・カンパニー。


 万平文化。


 そこに和実の支配権が移ったのならば、そこに行って、取り戻せばいい――。


 方法はない。でも、ここで動かないなんてことはできなかった。


 ポケットに入っている、お札を手に取る。

 それを抱きしめ、胸で包み込む。


「お願い――」


 願いが叶うのならば、今だけは、叶えて欲しい。

 

 神様――どうか、和実を、


「助けるのを――手伝ってください」

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