第28話 弐栞遊 その3

 痛いけど、痛くない。

 変な感じ……痛覚が、麻痺でもしているのか。さすがに、無理したかなあ。


 顔は動かず、体だって、動かない。視線だけは――眼球だけは、なんとか動かせる。


 人よりは頑丈だと思っていた私の体だけど、やはり、瓦礫を防ぐのは、やり過ぎたか。


 しかし、後悔はしていない。

 自分がこうなると、あらかじめ分かっていたとしても、私は、あいつを助けただろう。


 迷いなく、同じ行動をするだろうと言える。


 それにしても、あの様子だと、一陣は私の正体に気づいたらしい。やっと気づいたか、と思うし、もう気づいてしまったのか、とも思ってしまう。

 結局、私は一陣に、どうしてほしいのか――分からなかった。


 分からないけど――ただ一つ。


 分かっていること、ただ一つ。


 あいつには、怪我をしてほしくなかった。

 どうしても、昔を思い出してしまうのだ。あの、弱り切った目――諦めの目。


 生きる希望でも失ったかと思ってしまうような目。

 あいつは、そんな目をしている。


 そんなあいつが、瓦礫を喰らったら――? 大量の血が流れている自分の光景を、自分自身で見てしまったら――? あいつは、生きようとしないのではないか。


 勝手な、決めつけだ。人は成長する。あいつだって、変わっているだろう。


 でも、不安が募り――こうして助けてしまった。自分を捨てて、までだ。


 そして、あいつは。


 一陣は。


 諦めの目を、持ってはいなかった。

 なんだよ、変わっているじゃないか。

 しっかりと、成長しているじゃないか。


 それが分かって、充分だった。


 あいつは、今、なにをするのだろうか。ぐちゃぐちゃになった世界を救うために、動き回るのだろうか。この状況になった原因のなにかを、討ちに行くのだろうか。

 それとも、私のために、動いてくれるのだろうか。


 なにを選択しても、あいつの選択だ。

 誰に言われたのでもなく、あいつ自身の選択。


 それに、ケチをつけることはしない。

 見届ける。こうして横に寝ているだけで、なにもできないとしても、でも、見届ける。


 それが今の、私の役目だと思うから――、



「明吉、くん……」


 すると、隣にいる彼女が、起き上がる。

 葉宮樹理。明吉先輩の先輩になる人。


 彼女はさっき、体を大きく、爪で抉られていたはずだが――しかし、立ち上がる。


 怪我をしていたことなど、なかったことのように立ち上がり、そして――浮いた。


 浮い――た!?


「遊ちゃん……」


 彼女が、私の名を呼ぶ。さっき知り合ったばかりだと言うのに。先輩から、私のことは聞いていたのだろうか。いや、それはともかくとして、まず、なんでこの人は、浮いているのか――!


「ごめんね、怪我をしているあなたを、どうにか助けてあげたいのだけど――」


 遠ざかる、葉宮樹理。どんどんと、浮き上がって――、


「彼が、呼んでいるのよ」


「呼んで……いる?」

「正確には、悲痛の叫びを上げている、だけどね」


 そんな訂正を入れる彼女。

 私は、落ちそうな意識を、なんとか踏み止まらせる。


 すると、彼女が優しく、微笑んだ。


「無理し過ぎよ――。あなたが、人であって『人でなし』だとしてもね」


 ……私は、沈黙を彼女に返した。なぜ、そのあだ名を知っているのか。

 それは、不良時代によく使われていた名前だったはずだけど。


「――あなたは人間よ、間違いなく人間。でも、どこか歯車がずれているように、人間ではないような存在。どういう生活をしていれば、そんな存在になるのかは知らないけどね。

 あなたの頑丈さは、人間のそれを、遥かに越えている。

 それを知っての、あの行動だったのだろうけど、それでも無理し過ぎよ」


 私は、沈黙を彼女に返した。声は、出なかった。


「いちいち、うるさく、がみがみと、言うつもりはないけどね」

 もう充分、言っているような気もするけど。私は、沈黙を彼女に返した。


「無茶をすれば、いずれ、一陣くんにもばれるわ。

 あなたが、人間ではない、異形な存在だということがね」


 だから、なんなのよ……、と、視線でそう訴える私。


「――でも、気にしないでいいと思うわ。彼は、細かいことは気にしないでしょう?」


 彼女は、結局、そんな風に言って、会話を途切れさせた。


 そして、彼女の体は、やがて見えなくなる。

 本当に、なんなのよ……。

 ずっと、私のことを見ていた、ということをアピールでもしたかったのだろうか。


 彼は気にしない。その言葉には、同意する。

 あいつは、私が普通の人間とは少し違うと明かしたところで、へえ、とか、ふーん、とか。

 それで受け流しそうなものだ。


 どうでもいいってことはないのだろうけど――、

 いや、わりと、どうでもいいことなのかもしれない。


 気にしないでくれるのはありがたい。しかし、反応がそれだけというのも、腹が立つ。

 私は、思っていたよりも、わがままらしかった。


「……ん、ぐ」

 すると、声が出た。さっきまで、まったく出る気配などなかったというのに。

 タイミングが良いのか悪いのか……まあ、いい。


「にしても、人間に見えている、か。……それは、願ったり叶ったりだけどね――」


「お待たせしました」

 すると、寝転がる私の真上から、声が聞こえてくる。

 あれ――あか、ね……? いや、違う。茜の姿をしている、式神か。


 桃色の髪を左右に揺らして、彼女は言う。


「もう一人の方は――いませんね。それでは、あなただけを保護しましょうか」


「…………ねえ、私、人間に見えているのかな?」


 何気なく、呟いた言葉。

 茜は――いや、式神は、丁寧に答える。


「見えていますよ。他の人には、しっかりと。騙せています」

 でも、と彼女は言う。


「同類なので仕方ないとは思いますが、わたしには、あなたが人間には見えませんよ――。

 あなたをどんな角度から見たところで、答えは決まっています。――


「そっか……」


「そうです」

 彼女は、私を抱えて、持ち上げる。お姫様抱っこだった。

「どういう事情かは、知りません。でも、このまま久我山家に行くのは、まずいのでは?」


「いや――」

 それは、好都合だった。

「構わないよ。あなたの母親のところに連れて行ってくれれば、それでいいよ――」


「かしこまりました。できるだけ揺れを少なくしますが、がまんしてください」


 そう言って、彼女は跳ぶ。

 跳躍し、幽霊と式神との戦いの中を、突っ走って行く。


 私の、元・主のところへと。


 ―― ――


 逃げて、ごめんなさい。


 勝手に生きて、ごめんなさい。


 人間の振りをして、ごめんなさい。


 私は、式神です。


 主様――どうか、


 どうか、一陣を、守ってください。

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