第24話 菅原和実 その3

 ここで先輩を見逃し、茜を取るか。

 ここで先輩を捕まえ、あの人を取るか。


 どちらかを信じ、どちらかを裏切り。

 どちらかを手に入れ、どちらかを切り捨てる。


 決められるわけがない。


 いつものワタシなら、間違いなく決めることができたはずだ。

 プログラム通りに動き、感情なんてイレギュラーな存在など、無視し、最善を取る。


 でも、今は感情が芽生えてしまっている。

 芽生えてしまったからこそ、イレギュラーがここで、力を持った。


 先輩を欺くために手に入れた武器が、最後の最後に自分の首を絞めることになった。


 全てを、読んでいたわけではないのだろう。

 しかし、読んでいたかのように思ってしまう――思わせてしまう、その話術。


 これが、堕神。


 堕ちてもしかし、神は神。


 衰えない、掌握力だ。


「ワタシは……」


 ワタシは、どうすれば、いいのだろう。

 こうして、深く悩んだことなどなかった。初めての体験だった。


 だからこそ、戸惑い、なにが正解なのか分からなかった。


 正解なんて、あるのだろうか。

 全てが正解と思えるし、全てが不正解だとも思える。

 思考がずたずたに、引き裂かれていくようだった。


「ワタシは……」


 回路が、千切れていく。

 プログラムコードが、途切れていく。処理が追いつかない。

 あの人の支配権までもが、破綻してきているのか。

 それが、狙い? 先輩は、ワタシの中にまで、侵入してきているのだろうか。


「あ、……あぁ、」


 分からない。分からない。選べない。選べない。

 正解。不正解。正解。不正解。繰り返されるワードが点滅し、ワタシの視界を埋めていく。


 頭を抱えて、このまま屈み込んでしまおうと思った。

 そのまま、眠ってしまおうかと思った。現実逃避をしたかった。

 現実など見たくなかった。電脳世界に、身を投じたかった。

 

 しかし――しなかった。

 きっかけは、声だった。


 聞き慣れた声。

 あの人の、声。


『俺様だ』

 録音なのか、リアルタイムなのかは分からない。

 しかし、聞こえた。鮮明に、はっきりと。

『俺様だ。俺様しか、いねえだろ』


 そして。

 回路が繋がる。プログラムは、作動する。

 文字列は意味を成し、意識に叩きこまれる。


 先輩――否、堕神。


 ワタシは、手を取った。


「君は――」

「悩む必要はないんですよ、堕神」


 この行動には意外だったのか、堕神は、目を見開き、ワタシを見つめる。


 睨みつける程に、強い視線ではなかった。


「決めたのなら、仕方ないね」


「ええ、最初から決まっていました。ワタシは、あなたたちの敵なんです」

 強い意思を持って、言った。

 これも、感情があるからこそ言える、強い言葉だった。

「茜だって、そうですよ」


「本音かな」

「偽ってはいません」


「なら――文句はない。どこにでも連れて行きなよ。それが君の正義なら」


「正義……」

 そんな、大層なものではない。そんなことを言ったら、ワタシは確実に、悪だろう。

 堕神だとは言っても、神は神。そんな相手を、捕まえようとしているのだから。

「……では、行きましょうか」


 ワタシは、繋いでいる手を引っ張り、部室内から出た。


 足は廊下。体も廊下。

 ただ――堕神と繋がっている手だけが、部室内で止まった。


 引っ掛かるように、こちら側に来ない。


「一つ、言い忘れていたよ」


 堕神が、後ろから声をかけてくる。


 ゆっくりと振り向いたワタシは、視界に映る、些細な歪を見つけた。

 こうして異常に気付けたからこそ分かる歪だが……しかし、ゼロの状態からでは、恐らく気づけないだろう。それほど、隠密に優れている――結界。

 部室を包み込むようにして、結界が張られていた。


「ここから僕を出すことができるのならば、すればいいさ」

 堕神が笑う。くすくすと、にやにやと。

「でも、樹理の結界は、強いと思うよ」


 それは、分かっている。否応にも分かってしまう。

 破れない、壊せない、だからこそ、破壊できない。

 それが、幽霊の中でも一位、二位にいる、葉宮樹理なのだから。


 だが、分かっているからこその手、というものがある。


 理屈なんてない。事細かに調べ上げたわけでもない。ただの、技術力。


 力づくの、パワー勝負。

 こういうものを――、

 破壊できないものを破壊するために作られたのが、ワタシだったりするのだ。


「強いのでしょうね」


 分かり切っていることを呟いて、ワタシは、結界に、手を突き刺した。

 堕神と繋いでいた手を離し、その手も突き刺す。

 そして――破くようにして、中心から外側に、一気に引き裂いた。


 ぱりん、と砕けることはない。

 音はなく、完成された形の一部分を開いたような状態。

 そこから手を伸ばし、堕神を引きずり出した。


 結界は、そのまま――元に戻ることなく。

 しかし、修復されることもなく。不完全なまま、停滞していた。


「――結界の破壊なんて、科学の技術力で、どうにかなるものじゃないはずだけど」

 膝をついていた堕神は、呟いた。

 自分自身への問い――答えは、既に出ているようだ。


「なるほどね。対極の存在を、混ぜたってわけかい。そうなると、協力者がいるわけなんだろうねえ。あちらに、裏切り者がいることになるんじゃないかな」


「どうでもいいことです。あの人――あちら側には、ワタシ、干渉していませんから」


「あの人、あの人。しかし、分からない。誰なんだい、その人は」


「……知らないんですか?」


「知らないね。知っているなら、分かるはずだよ、僕だったら」

「なら、聞き方を変えます。――覚えていないんですか?」


「え――?」

 堕神の間抜けな声が聞こえてくる。

 しかし、その声の続きを、聞けることはなかった。


 光が、噴射した。

 堕神の体から溢れてくる光が、ワタシの全身を埋もれさせる。

 廊下も、壁も、天井も――校舎も。そして、学校全体を埋もれさせる程だった。


「なっ――いきなり、どうしたんですか!」


 分かっていなかったように叫んでみるが、実のところ、薄らとではあるが、ワタシは、気づいていたのかもしれない。こうなることは、予測できたはずなのだ。


 堕神の話――言葉から、予想できたはずなのに。

 ワタシは、気づけなかった。気づいているが、しかし、流してしまった。

 大丈夫だろう、と、楽観的に。そんなことはないのに。こうなるはずなのに。


 なぜ、堕神は、堕神と言われているのか――それは、落ちこぼれだったからだ。


 力を上手く扱えなかったからこそ、天界から追放された神だったのだ。

 情報によればそう書いてある。ここに、嘘偽りはないだろう。


 堕神自身も言っていた――『扱えない力』、『ここなら、安心して扱える』。


 つまり、結界内にある部室では、大胆には使えないがそれでも、多少の力ならば、安心して使えるということ。逆に言えば、結界外――部室外では、力を安心して使えないということ。


 葉宮樹理。彼女の結界は、堕神の力を抑えつけるものだった。


 それを解いてしまった。そして、不安定な堕神を、外に出してしまった。


 上手く扱えない力が、出せよ出せよと、中で暴れている。

 そんなわがままを、堕神は、がまんできなかったのだろう。


 暴走だった。

 力が、世界に、出現してくる。


「悪いね……」

 と、声。


 消える意識の中で、なんとか最後の力を振り絞って出したような声が、聞こえてくる。


「僕じゃ無理そうだ……だからこそ、追放されたんだろうけどね」


 そう言って。


 堕神は。


 先輩は。


「――先輩!」


 光に包まれながら――ワタシの視界は、真っ白に染まる。


 なにも見えない、なにも知覚できない。世界がどうなっているのか、分からない。


 音――音? 笑い声だ。不気味な、笑い声。

 多種多様な笑い方と、寒気。怖気。

 今まで感じたことのない感覚が、体に纏わりついてくる。


 やがて――視界は、回復してくる。

 過剰な光を眼球に入れてしまったことによる反動は、ロボットなので、なかった。

 すぐに回復した眼球で、世界を見ると――、


 うじゃうじゃと。うようよと。――いる。


「これ……――は、」


 しっかりと見える。見えない存在がそこにきちんと見えて、存在している。

 ワタシの目が、おかしくなったのではない。

 なら――世界が、おかしくなり、歪んで、壊れて、狂った。それしかない。


「先輩――まさか」


 暴走していたのだから、先輩にこうしようという意識があったのかは、分からない。

 ないだろう。こんなこと、望むメリットはないだろうし。だから、ないのだろう。


 だが、現実は影響をきちんと受けている。


 世界が――混ざった。

 人間界――霊界が、混ざった。


「幽霊……」


 百の数を越える幽霊。いや、それ以上。

 良い幽霊も、悪い幽霊も、例外なく。

 全ての幽霊の姿が見え、物質として、世界に現れた。


「どうするのよ……これ」


 これこそ、イレギュラーだった。

 少なくとも、ワタシは、こんなことになるなんて、知らなかった。


 先輩は――いないし。どこに行ったのか、分からないし。


 どうすればいいの。どうしたらいいの。どうなるのよ――これっっ!


「茜……」


 親友の名を呼ぶ。


 一度、裏切っておいて、彼女の名前を呼ぶなんて。



 ――最低、だ。

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