第21話 枠内一陣 その5
遊の叱咤怒号。
余裕そうな俺は、事実、余裕ではない。
揺れる大地――地球の悪戯に、バランスを崩してしまう。
同時、雄叫びと共に、破壊音が響き渡る。
遠くから、どんどんと近づくように、音が迫ってくる。
そして、到達する。壁が、割れる。瓦礫が、横殴りの雨のように、迫ってくる。
咄嗟の判断はできた。伏せればいい。頭を隠せば、尚、良し。
しかし、体が動かなかった。
氷漬けにされてしまったかのように、ぴくりとも、反応しない。
その間に、瓦礫が距離を詰めてくる。当たる――けど、俺の視界は一気に低くなる。
膝が、折り畳まれた。寝転がっている、俺。
胸には、人一人分よりは少し軽いくらいの、重さが乗っている。
「おい――遊」
「安心しろ。怪我はしてないよ」
あれだけの、瓦礫を――避けた? できないことはないかもしれないが、できるのか、そんなこと。半信半疑の俺は、見えているが認識していなかった前を向く。景色は、変動していた。
樹理さんが、瓦礫を全て防いでいた。
流す――そんな対処法。砕くのでも、受け止めるのでもなく、流す。
側面をとん、と叩いて、軌道をずらす。
たったそれだけの行動が、俺たち全員の命を救っていた。
左右には、瓦礫が溜まっている。
継続して、溜まっていく。積まれていき、山となる。
「式神――か。しかも、獅子ときたのね――。
確かに、このレベルは、私でも少し、いや、かなりきつくなるわね」
すると、樹理さんの声。
落ち着いた雰囲気を保つことが、得意技のような印象を抱かされたものだが、そんな彼女は、焦っていた。涼しげな表情を、変わらずしているのだろう。
しかし、震えている。肩が、縦に、揺れている。なにをそこまで怯えているのか、興味本位で視線を、樹理さんを跳び越え、前に移動させる。
――見る。
青い、化け物がいた。
獅子――そう、獅子。
イメージ通りの獅子がそこにいた。
牙――爪――巨体。
よくも、この姿を見るまで、存在に気づけなかったな、と思う。
ここまでの威圧感を放っていれば、気づくはずだ――だけど眼中の外。意識の外。追いやってしまうほど、状況に喰われていたのかもしれない。
それにしても、異常だ。なんなんだ、これは。どうなっているんだ、これは――。
人生が、破綻している。日常が、破壊されている。状況が、もう終わっている。
詰みではないか、こんなもの。どうしようもないではないか――。
「安心なさい」と、樹理さん。
言葉は続く。
「大丈夫よ。時が過ぎれば、解決されるからね。というか、させるしね。
おとなしく避難して、安全を保持していれば、それでいいのよ。あなたたちはね――」
樹理さんに全てを任せている感じになってしまったが――仕方ない。
この獅子に、俺たちが勝てるとは思えない。気になることは、あの獅子がなんなのか――ということだが、しかし、今、無理して知る事ではない。
今は、逃げるべきだ。全速力で、全力で、安全な所へと――。
「遊――」
「分かってる。けど――下手に動くのは、あまり良い手じゃない……」
「けど、ここにいるのも、良い手じゃねえよ」
「そんなことは知ってる!」
二人、寝転びながら、切羽詰まったような表情を、晒し合う。
樹理さんよりも焦っている様子を、無様に表現していた。
ちらりと見てみる。樹理さんと獅子――まったく、動かない。
チャンスとは思えないタイミングだが、ここで動かない場合――、きっと、いつまでも動けない気がした。なので、体を起こす過程に、『遊を抱き上げる』を入れて、立ち上がった。
獅子の視線が、俺に向いた気がした。だが、構わず、勢いそのまま横に走った。
「ちょ、どこ触っ――」
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
セクハラすんな、とでも言いたげな遊の主張は、オール無視。ただ、走る。闇雲に。
獅子と自分の間に壁を挟みたくて、廊下に出てきたはいいが――失念していた。
獅子にとって、壁などなんの障害にもならない。壁を豆腐のように崩す、獅子の爪。
同じく、牙。体当たりで全てを薙ぎ払う、巨体。どうしようもない、武器ばかりだ。
そして、予想は面白いくらいに当たった。
予言者も嫉妬するほどのもの。
思った時にはもう、予言の思考に、現実が追いついていた。
隔たれた壁――破壊される。
瓦礫の隙間から見える、獅子の顔。目、眼光。
覗いている一つ一つのパーツが、俺を威嚇してくる。足をすくませてくる。
「一陣、ぼーっとすんな! 動け、足を、動かせッ!」
「でも、よ――」
脳と体は、実は繋がっていないのではないか、と思うほど、体が硬直していた。
命の危険が、体を固めている。
あー、やはり、情けない。自己嫌悪だった。
でも、せめて――。
「きゃっ」
可愛らしい声。遊が声を漏らしたのだ。
地面に、背中から着地したらしい。痛むそこを手でさすっていた。俺が投げたせいで痛がっているので、罪悪感が芽生えてくる。けど、これでちゃらにしてくれ、と思った。
「なにを……」
「先輩であり、女である遊を巻き込んで、一緒に情けなく死ねるかよ」
遊が、俺を睨みつけながら、向かってくる。
しかし、たぶん、間に合わないだろう。
投げたのは、結構な距離だった。
こういう事も考えて、という意図もあり――念のためが、効果を発揮したようだった。
それでは――立ち向かおうか。
生憎と足も手も、総合して体が動かないけど、それは逆に、良かったのかもしれない。
これなら、無意識に逃げることはないだろうし。思い立つこともないだろう。
きちんと、立ち向かうことができるのだから。
そして、獅子と、目が合った。イメージが先行して、視界に映し出される。
あー、と納得。なるほど、俺は、爪に切り刻まれて――そして、死ぬのか。
無様でないだけ、マシかもしれない。いや、それは、今更か。
なんにせよ、これで――、
「思ったよりも、なかなかに良い男だね、一陣くん」
声がしたと思ったら、すぐさま変化が訪れた。
獅子が吹き飛ばされた。
壁、天井、地面を同時に削りながら、数十メートルを大げさに吹き飛んだ。
しかし、立ち上がる、獅子。攻撃の手は、緩める気はないようだ。
「樹理さん――あなた、今、蹴りました? あの、獅子を」
「え? 私、そんな怪力娘に見えるの? それって、すっごくショックなんだけど!」
え? え? とテキトーに誤魔化す樹理さん。いやいや。
確実に、あなたが蹴ってしまたけど。獅子のこめかみに、容赦なく、それはもう全力で。
「冗談は……いや、なんでもないです」
しかし――誤魔化すということは、知られたくないことなのだろう。
今は、助けられた恩がある。詮索は、しないでおこうと決めた。
「って、二人とも、なにぼさっとしてんのよッ!」
遊の声に、樹理さんは問題なかったが、俺の方は驚いてしまった。
意識が逸れて、遊を見てしまう。
しかし、逆だった。遊が言いたかったのは、獅子が迫っている――とのことだった。
にもかかわらず、俺は遊を見てしまうことになり――、
それは、獅子に背を向けていることになる。
隙だらけだった。
隙しかなかった。絶好の、攻撃の的である。
遊の意図に気づき、俺はすぐに振り向いた。
けれど、焦る必要はなかったのかもしれない。
いや、人任せはあまり良くないから、継続して焦っていた方がいいのだろうけど。
樹理さんがいるのだから、なにも、恐くはないのだ。
「さあ――」
樹理さん、にっこりと笑顔。
拳を握っている。さっきの、蹴ったこと。もう隠す気もないようだった。
「おねんねころりよ、ねむりなさいな」
そして、勝負は決した。
予想通りとは――ほど遠く。
「が、あ――」
獅子の爪をまともに喰らった樹理さんは、ゆっくりと、膝から倒れていく。
俺は、慌てて、彼女を支えた。
なにが起きたのか、分からなかった。
速過ぎて、見えない程の世界で、攻防をしていたのかもしれない。
だから、見える限りのところで言えば、樹理さん、動きが、鈍くなった。
なにかに、気を取られたように。意識が、逸れていた。
呟く樹理さんの言葉は、俺には、理解できないものだった。
「明吉くん、どこ……に」
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