第20話 枠内一陣 その4
目の前に現れた、一人の女性。
大人な女性――黒い髪が、腰辺りまで伸びている。
真っ直ぐな黒髪なんて、久しぶりに見た。
ここまでの長さ、そして綺麗な黒髪は、なかなかいない……。
誇ってもいい――いや、誇るべき長所だと思う。
大人な女性、との印象も、確かに、見た目でそういう印象を抱かせるほどに、容姿はそう見える。けれど、隣にいる先輩が、小ささを極めたような小ささだから、比較して、大げさに見えてしまうのかもしれない。
そんな彼女に、遊が、「あんた、誰?」と失礼なことを言った。
不機嫌を顔に出すかと思われた彼女は、しかし、
「そうね――お姉さん、じゃ駄目かしら?」と、落ち着いた声で言う。
「だめだめ。名前を言って」
「……樹理よ……。葉宮、樹理」
聞いたことがない名前だった。顔は、いや、顔ではなく、この纏っている雰囲気が、ついさっき見たような感じがするけど……気のせいか、と思考をあっさりと捨て置いた。
「葉宮……樹理?」
遊は、首を傾げる。
俺とは逆で、聞いたことがある名前なのだろうか。
考えている様子――しばらく続き、すると、
「先輩の言っていた……」
「そう――あなたの先輩の、先輩と言ったところね」
遊の言葉を遮って、主張してくる――葉宮さん。
遊の先輩なら、三年生。その先輩と言うのなら、もう高校生ではないのか。
まあ、高校生とは思えないほど、大人びているし。
実際、高校生ではなかったわけだ。
「じゃあ、葉宮さん――」
「樹理でいいわよ。葉宮は、名前じゃないしね」
「名前では、ないんですか?」
「ええ、名字だもの」
…………それも、名前に含めてあげればいいのに。
思うが、しかし、ここで問答する気はない。
なので、そこは無視して、本来しようとしていた会話に戻る。
ごく自然に、無理やりに戻す。
「あなたは、なぜ、ここに?」
俺は聞いた。
「そうね……助けに来てあげた。これじゃ、少し、信じられないかな?」
「いや、そういうわけじゃ――いえ、訂正します。信じることはできないです。でも、この廃墟のことを知っているのならば、教えてほしいです。
ここがどこで、どこが出口なのか――知っていることを、なんでも」
「いいわよ。それにしても、あなたは、意外と冷静なんだね。枠内一陣くん」
「はい。意外と、って言葉は、少し気になるところですけど。
……――ちょ、ちょっと待ってください」
声を上げる、俺。
意識の外側でなにか、引っ掛かった。
「あの、俺、名前……言いましたっけ?」
「…………私はね、占い師なの」
取ってつけたような設定を足す樹理さん。
大丈夫か、それ。
「だからなんでも知っているわ。プライベートなことは、分からないけどね」
「それじゃあさ」
遊が言葉を挟んでくる。
樹理さん、あの様子だと、遊のことも知っていそうだな。
不気味だが、けれど、困るわけではない、か。
「なんか占ってみてよ」
「……まあ、いいわ」
言う樹理さん。手元には、なにも用意しない。
水晶玉も、トランプも、なにも用意せず、手はぶらぶらのままだ。
「これから先の展開を、占ってあげましょうか?」
遊は、不満そうだったが。
俺はすぐさま、「お願いします」と言っておいた。
自分から、やる占いを限定するということは、そうしてほしい理由があるのだろう。
とりあえず、見え見えの誘いに乗ってみた。
内容も、別に占ってほしくない事柄ではないし。
それに、なんだか樹理さんは、その占いをしたいように見えた。
占い自体ではなく、内容を、早く話したいような様子だった。
「見えたわ」
手を、定位置から斜め上に移動させただけで、樹理さんはそんなことを言う。
それっぽく見せる努力すらもしないのか、この人。
占い師に見せようとしているのは分かる。
だから俺も、遊も(……いや、遊は信じているのか、疑っているのか、分からないな)、
占い師として、樹理さんのことを見ているわけだが、これはツッコミたくなる。
なんとかがまんして、彼女の話に、耳を前のめりにさせた。
「――この廃墟からは、あなたたちは出ることができませんね。でも、それは数時間の辛抱になるでしょう。状況が落ち着いたら、そこの鏡に触れてみなさいな――。
あなたたちの望むことが起こるわ」
そう言って、樹理さんは言葉を置いた。
重大なことを言われた気がする。それは、分かっている。
いるが、しかし、思わず――どういうことなんだっ、と言ってしまった。
「あの、どういう意味ですか?」
「そのまま意味よ。変換なんてしなくていいわ」
「いや、でも、出れなくなるって――」
「もう、出れなくなっているわ。それに――」
樹理さんは、言いにくそうに。
そして、意を決して、言う。
「ここは戦場になる」
「は――?」
心臓が、一周したような感覚の後――叫び声。いや、雄叫び。
猛獣の雄叫びのようなものが聞こえてきた。
廃墟の、廊下。
天井、壁、地面。繰り返し、音が、跳ね回る。
「なん、だ、今――の」
俺の声は、情けなくも、震えていた。
「早いわね……。もう少し、遊べる余裕はあると思ったんだけど――」
樹理さん、遊びって。
とんでもないことを、さらりと言われた。
こんな訳の分からない事態になることを分かっていながら、あの占いの茶番をやっていたというのか。それには、少し責めたいところだった。
だが、状況の説明として利用しているお遊びだったのかもしれない。
遊びながら説明するか、シリアスに説明するか――。
どちらかなら、やっぱり、後者がいいよなあ。
後で会えれば、責めてやろう。心に決めた瞬間――地面が揺れる。
「な――地震か!?」
「声を出す暇があるなら、頭を隠せ――バカ一陣っっ!」
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