第14話 枠内一陣 その3
「なあ……、遊」
「気安く呼ぶなよ、後輩」
「お前が呼べっつんたんだろうがッ!」
身勝手過ぎるよ、この先輩。
つーか、お前はころころとキャラが変わり過ぎていないか? 男勝りの時もあれば、女っぽいところもあるし。しかも、お姉さんキャラを前面に出す時もあれば、幼さを強調する時もあるし――ぶれぶれだな、ほんと。
「今は、おふざけなしで頼む」
「な――なんだか、いつもはふざけているように言われている!」
「その態度だよ」
まったく、疲れる。今は、この、訳の分からない状況に参っていると言うのに。
それに加え、先輩の名前通りの、遊び――。小さい子を相手しているようで、疲れる。
相手にしていると、さらに歯車が回ってしまう予感がした。
なので、ここはスルーして、用事を先に済ませてしまおうと、先手を取った。
「今、なにか聞こえなかったか? たとえば――『……えれ』、とか」
「なんだその、言いかけてやめたみたいな、中途半端な言葉」
「やっぱ、そう思うよな……」
なにかを言いかけて、言えなかった――。
それか、たまたま聞こえたところが、そこだけだった――とかな。
なんにせよ、このまま放置していいものか、判断に困る。
誰かは知らないが、必死になにかを伝えようとしているのかもしれない。
今の、この状況――その注意事項だった場合、逃せないものだ。
「お前も――あ、いや、遊も耳を澄ましてみてくれ。なにか、聞こえるかもしれない」
「努力する」
そう言って、遊は階段を下りて行ってしまった。
その迷いのない歩行は、感心する。
俺も、ああやって余計なことを考えずに進めればいいんだが――。
「早く来いよ、もしかして、びびってんのか?」
にやりと笑って、挑発してくる。
「はあ?」
俺は、考えをまともにまとめないまま、足を踏み出した。
「誰がびびってるっつったよ。びびるわけねえだろうがこんなもん」
「うわー。こんな安い挑発に乗るのかよ、お前」
「? なんか言ったか?」
「なんでもないない。ほら、足が遅いぞ、一陣」
「だから、びびってねえって言ってんだ――」
『……えれ――は……く、か――れ』
「…………聞こえた……」
そう――やはり、聞こえる。
間違いなく俺の耳は、得体の知れない音――声を、聞き取った。
「……遊、おい――」
「あのなあ――」
俺が呼びかけると、遊は、階段の途中で立ち止まり、そう言いながら、振り向いた。
先輩として俺よりも優位に立とうとしているのかもしれないが、俺は、見逃さなかった。
すぐに表情は戻していたが――しかし、遅かった。遅かったし、しかも、隠し切れていなかった。顔が、引きつっている――遊。
「この暗闇で声が聞こえたとか言って、私をびびらせよう、とでも思っているのかもしれないけど、そんなもんに引っ掛かるほど、若くないんだよ。
もう高校二年生なんだ。くだらないことすんなって」
「そう言うわりには、辺りを警戒し過ぎじゃねえのか」
「当然の警戒だ。お前の策にびびっているわけじゃない」
どうやら、びびっていないことにしてほしいらしい。
しかし、見ていると丸分かりで、隠す意味はまったくないと思うんだけどなあ。
俺でなくとも気づけるぞ、これ。中学生――は少し年齢が近いか。
たとえば、小学生なら――何気なく、相手の懐に踏み込んでいけるだろうけど。
無邪気に、遊の痛いところを突いていけるのだろうけど。それは見てみたい。
この先輩があたふたとしているところを、じっくりと見てみたいものだ。
それはともかく、びびっていないことにしてほしいと訴える遊――、そうしたいの山々だが、しかし、となるとこいつは、本心ではびびっていることになる。
つまり、『聞いた』ということだ。
声を。得体の知れない声を。
不気味で、謎の塊である声を、聞いたということだ。
それは、避けることができない事実――見逃せない一つの重大なヒント。
俺だけが聞こえている、なんて幻聴めいたことでないのは、俺にとっては、仲間ができたようで、心が安心する。これで、同じ危機を心にしまい込んだわけだ。
ここからの脱出は――二人で一つ。
一心同体。運命共同体。さすがに、相談もなにもないままに、進めるわけではなかった。
びびっていないことにはしてやるが――声を聞いていない、ことにはしないぞ。
「遊は、なんて聞こえたんだ?」
「だから――」
「そういうのはなしで頼む。まじめなことだ」
「…………さっきと、同じだ」
「同じ、か」
呟いて、考える。
さっきと同じ。虫喰いのように声が聞こえていないところがあり、全体像は浮かんでこない。
「確か、なんとか『えれ』だったような――いや、まったく分かんねえ」
そうこうしている間に、俺たちは一階に辿り着く。
二階と、道の雰囲気は変わらない。まあ、同じ建物なのだから、それもそうかと思うが。
それに、変わらず真っ暗――暗闇の中。闇に慣れた目は、景色をいくらか見えやすいように加工してくれているけど。だが、慣れても尚、見えにくい。
「くそ! 謎の声と言い、ここの、謎の場所と言い――」
『……く、か、えれ』
「――どうなってやがんだよ!」
「今更それについてを嘆くのも、遅いだろ――」
『は、やく、かえ――』
「今は現実を受け止めて、どうするかを考えた方がいいだろうが。
不良なんだから、うろたえるなって」
「うろたえてねえって」
『はやく、かえ、れ――』
「うろえたえてる奴は、いつだってどこだって――」
『かえれ、はや、く、かえ、れ』
「――同じことを言うんだって」
「だからっ――」
頭に血が上って、顔が真っ赤になりそうだった俺は、唐突に、全てが冷める。
そして同刻――意識が覚醒する。
無駄な言い合いを客観的に見れば、なんて子供のような口喧嘩だったのだろう、と思う。
そして、今はそんなことをしている場合でもないということを、考えつく。
そう――言い合いよりも、それよりも、気になっていることがあったのだ。
一つ。一つしかないが、一つだけでも、質で言えば、重過ぎる一つだった。
「声――だ」
俺たちの声と声の間に滑り込んだ、声。
さらりと当然のように入ってきた声は、違和感など欠片も持っていなかった。
だから、気づけなかったのだろう。
「はっきり、聞こえたよ、な?」
「……いや、な、なにも?」
がたがた、と震えている少女――否、先輩。
遊は、聞こえてないと言い張るが、この反応は、聞いた奴が起こす行動だ。
間違いなく、聞いたのだろう。
「『はやく、かえれ』って言ってたな……。
帰れ、か。帰りたいのは山々なんだけどなあ。帰り方が分からないんだよなあ」
出口は、どこなのだろう?
道のりが、全然まったく、親切じゃない。
非常用階段でもあれば、同じところに明かりがあるはずだが――。
いや、電気が流れていないのならば、関係ないか。
他と同じように、非常用階段を示すランプも、同じように明かりは点いていないはずなのだ。
一階に下りたはいいが――結局、やることは二階と変わらない。
手探り状況の継続だった。
そんな時――、「あ!」と、遊が声を上げる。
「どうした?」
「見て見てー! どろん! ってな!」
遊の顔がはっきりと見える。光だった。光がある。
黒の世界で輝いている、白の、天に上がっている、光の線。
どこかで見たことあるようなアングルだなと思ったら――これは、肝試しをする時に、雰囲気を出すためにやる、光を顎から上に照らす、あれだ。
懐中電灯を見つけたらしかった。
目ざとく気付くものだなあ。俺、完全に見落としていた。
怖いのは、嫌いそうな遊だが――こういうのは、平気なのだろうか。よく、分からない。
苦手なのにあえてやるそのスタンスは、理解できない時がある。
いや、でも、だからこそみたいな……スリルを味わうため、かもしれない。
自分を追い詰める、危機的状況を味わいたい、とか。好きだねえ、女子は。
「ったく……そういうくだらないことしてねえ――、で……」
「? どうした?」
遊が聞いてくる。しかし、俺は、すぐに答えを返すことができなかった。
というか、声が出なかった。喉の奥に、なにかが詰まっている気がして、塞いでいる。
肺にいくはずの空気が、上手く回らない。
循環しない。俺は、呼吸をまともにできていないらしい。
明かりを真下から受ける遊の真後ろに立っていたのは――否、浮いていたのは、
――女の、人だった。
長い黒髪を、腰まで垂らしている。
前髪は、目を覆う。毛と毛の隙間から見える目は、充血している――呪ってやる、とでも言いたそうな、目。分かりたくもない意思が、俺に伝わってくる。
「ひ、ぃ、ぅ」
声にならない声が漏れたところで、遊も、
「なんだよ?」
と後ろを振り向いた。
しかも――いや、当然のことだとは思うが、しかし――、
懐中電灯も同じように振り向けさせ、自分の視線と同じ方向を照らす。
そこには、しっかりと、女の人が映る。
遊の体が、硬直。
たっぷりと数秒、俺たち二人は固まり――そして。
「う、……ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?」
俺たちは、同時に、一心不乱に駆け出した。
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