第13話 枠内一陣 その2
「知らん知らん」と、少女は手を左右に揺らす。
「どこかは、知らないけど。ここがどういう所なのかは、なんとか分かるけどな」
「――え?」
「見て分かんないのか? 目は、もう慣れてきてるだろ?」
「そりゃあ、まあ――」
時間が経てば経つほど、目は慣れてくる。
相手の顔だけではなく、周りの景色も、なんとか見えてきていた。
「けど、どんな所かなんて、分からねえだろ、普通」
「分からないのか――だから中途半端なんだよ、お前は」
「言うな! 言われ続けてきたことなんだよそれッ!」
数え切れないほどに――だ。
不良になろうとした時から、今まで、俺は不良に、なり切れていなかった。
なにをするにしても、元々ある俺の、優しくも情けない評価である感情が入ってしまって、不良になり切れていなかった。人はそれを、中途半端と言う――。
どうやら、俺は役者にはなれないらしい。自分を偽ることができないのだ。
だが――、
「まあ、それがお前の良いところだと言えば、そうなんだけどな」と少女は言う。
「あん――?」
俺の全てを知ったような口ぶりに、少し苛立ちを覚えた。
だが、褒めてくれている事実は、その生み出された怒りを、いくらか柔らかくしてくれた。
柔らかくなった怒りはそのまま、消えるように散っていく。
「――で、一体どこなんだよ、ここ」
言いそうで言ってくれなかった答え――、
その逆算で出てくる質問を、遅くなったが言ってみる。
「どっかの廃墟じゃないのか?」
今回はおとなしく答えてくれた。最初から、すっと答えてくれよ、と思うが、
こいつからしたら、分かっていて当然のことなのかもしれない。
そして、言われてから、周りの景色を眺めて、納得する。
確かに、ボロボロの壁面と、同じくボロボロの地面のことを考えれば――、
人の気配もないことも追加させれば、ここは、廃墟なのだろう。
「一番重要な『どっか』ってのが分からないんだけどな」
「じゃあ、外の景色は?」
「窓がないんだから、確認のしようがないだろ」
「窓が、ない?」
まだここが、廃墟だと決まったわけではない。
言わば、未知の場所なのだ、ここは。
危険がわんさかあるはずだが、それでも俺は、大胆に道を進んでいく。
ボロの壁面を手で触っていって――綱を引っ張るかのようにして伝って行き――、
そして気づく。
「……ずっと、どこまでも、窓がないな」
窓はなく、ずっと壁だけが続いている。
「予想通りって、わけか。……とりあえず、進んでみるか」
少女が言う。
「ああ――気をつけろ」
少女が、俺よりも先にどんどんと進んで行ってしまう。
ここは、男である俺が先導した方がいいのだろうが――しかし、そんな心配は、無用だった。
たんっ、という音一つしか鳴らず――音はそれっきり。次に聞こえてきた音は、声だった。
「おーい、ここに、下に行ける階段があるぞー!」
声が反響し、繰り返し耳が音を読み取る。
反響の具合から、大体の予想ではあるが、相当の距離があるのではないか。
「……どこまで行ったんだよ、あいつ」
見えにくい、前の景色。
ところどころ、凸凹になっている道――地面。
壁を触って、どう進めばいいのかの基準にはしているが、
それでも、恐怖が消えたわけではない。
電気が点けばいいのに……。その辺にスイッチでもないのだろうか。
手を伸ばしてみると、なにかに触れる――ただ、ねちょねちょしていて、見るのも嫌なビジュアルが浮かんできた。鳥肌が浮かび上がってくる。
手を縮めて、いま起きたことはなかったことにした。――そのまま進む。
階段があるらしい場所――そこに辿り着いた。
「遅い!」
「お前が早いだけだ」
俺がそう言い返すと、どん、と頭頂部に衝撃がきた。
意識はなんとか、吹き飛ばされずに済んだが――。
少女が手加減してくれたおかげだろう。
こいつが本気で攻撃すれば、俺の意識など、簡単に刈り取れる。
「いっつ……――いきなりなにすんだっ!」
「私は一応、先輩なんだ! 敬え! 頼れっ!」
「なぜ殴られたのか、その理由がすごく知りたいッ!」
「私のことを、『お前』と呼ぶのをやめろってことだよ、馬鹿っ!」
はあ!? と、心の声は心の中だけで響き渡り、外界には吐き出されない。
それだけのことで、殴られたのか――。
生と死の境目のシーソーゲームをしていたのか、俺は。
目の前のこいつは、先輩だ。それは分かっていたが、見た目と、それと俺への接し方で、年上だということを完全に忘れていた。
まあ、確かに年上に対する態度ではなかったかもしれないな……。
でも、今更じゃねえ?
ここで俺が呼び名を変えた場合、すごく違和感があると思うのだけど。
「じゃあ――先輩」
「やめて。ごめん、お前に先輩と言われるの、思った以上に気持ち悪いわ」
「お前は俺に遠慮が無さ過ぎだ! オブラートに包んでくれ!」
「ちぇー」と、少女は唇を尖らせた。
一体、なにに関してむくれているのかは、分からない。
オブラートに包んでくれるくらい、できるだろ。
最低限の気遣いだよ、気遣い。
「堅苦しいのは、なし! 気軽に好きなように、名前で呼んでくれればいいよ」
「そうか――。けど、俺、お前の名前、知らないぞ?」
「――へえ、ここ毎日、顔を合わせている私の顔など、見たところで、覚えないと。ほお」
「顔じゃねえよ名前のことだよ」
顔は覚えるが、名前なんて、出てこない限り分からないだろうが。
脳に一度も情報として蓄積された覚えがない。
初見も迎えていないのだから、覚える云々以前に、まず、知ることをしなければいけない。
何段も飛ばしてしまった階段を、引き返すように、俺はあらためて聞いた。
「俺は――知ってると思うけど、一応な――枠内一陣。……お前は?」
「弐栞遊」
「じゃあ、弐栞――」
「遊でいい」
「いや、下の名前は、ちょっと――」
「あ?」
下から見上げるような視線で、睨みつけられた。
そして、射抜かれた。
殺意と敵意をごちゃまぜにした、優しさが欠片もない感情が、丸見えだった。
下の名前を呼ぶことに、抵抗は多少あったものの――仕方ないか、と諦めた。
下の名前は、苦手だ。馴れ馴れしい感じがするから、というしょうもない理由だったが。
嫌は嫌だが、命を懸けてまで、回避したいことではない。
「分かったよ……遊」
「そうそう、それでよろしい」
急に、先輩面をして、表情を緩めた――遊。
やっぱ、抵抗あるな、名前で呼ぶのは。にしても、遊――遊、か。
聞き覚えがある――のかな?
弐栞――名字の方は、まったく覚えがないけど。
ともかく――やっと自己紹介をした、俺たち二人。
この危機的状況で、遅くも俺たちは、互いを知るところから始めることができた。
ここを乗り切るのは、必要不可欠な要素。
他人も同然、信頼関係もなにもないところからよりは、進んだスタートではないのだろうか。
ただ――以前のごたごたが、少し後を引いているという、マイナスなところもあったが。
「暗闇だからって、変なことをすんじゃねえぞ」
「それは、私が言うべきセリフだと思うけど」
「お前になにかをする奴なんていねえよ。襲ったところで、返り討ちにされるっつうの」
「それは私に喧嘩を売っている――と解釈していいんだな?」
「したらだめだ。絶対」
俺の説得が効果を示したらしい。遊は、溜息を吐いて、
「いいから、早く行こう。一階に行ける階段を見つけたんだし。
ここから出るための、なにか重要なものでもあるかもしれない――」
と言った。
「下――か。ん? じゃあ、ここは二階なのか――?」
「今まで、ここをどこだと思ってたんだよ」
「いや、一階じゃねえかなーと」
つまり、この階段は地下に続いているのではないか、と漠然と考えていたのだが。
遊の言葉によって、下にあるのは一階――そして、ここは二階だ、という説が出てきた。
やはり、一人よりも二人の方が思考の違いが出て、色々と考えが出てきやすい。
「そうか……そういう考え方もあるのか……」
「お前も先入観でガッチガチだったのかよ」
「し、仕方ないだろうが! というか、いいよそんなの! 行けば分かることだろ!」
行けば分かることだが、事前に知っていた方が良い事ではないか? いや、もうよそう。結局、現段階で答えは出てこないのだ。考えたところで、答えが出たところで――、それは無理やりに引き出した、霧のような答えでしかない。
答えが答えとして活動しているかも、怪しいものだった。
「はあ。じゃあ、ま、行くか――」
『――えれ』
「――は?」
今、なにか聞こえた気がしたんだが――気のせいか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます