第5話 ??? その4

「できるけど……」


 浮いていようが座っていようが、私にとっての感覚は、あまり変わらない。

 普段から浮いている私なので、慣れているというか、それが当たり前で気にする必要もないというか――浮いている方が楽と思えるわけだった。

 けれど、彼が言うなら喜んで座ろう。


「じゃあ座る」


「いや、」

 彼が嫌な顔をした。ちょっとショック。いや、かなりショック。


「どうして僕の膝の上に座るのか、まったく分からないんだけど」


「お姉さんが読んであげよう」


 私は、彼が読んでいた本を優しく取り上げて、手に持つ。


 ちなみに、彼は私のことが見えているので、いたって普通の光景に見えているだろうけど――たとえば今のこの状況を一般人に見られた場合。その人にはこう映っていることだろう。


 彼の前に、本が浮いている。

 まるで超能力でも使っているように。


 これが見られた場合、あることないこと噂が拡散し――結果、七不思議に登録されてしまう。

 でも、七不思議ってもう七個、あったはずだし……八不思議になるのだろうか。

 そこらへんは、生徒にしか分からないところだし。

 生徒でも生者でもない私には、知ったことではないものだ。


「おっほん」

 わざとらしく咳払いし、これから読むよ、かっこハートマーク、を示してみた。

「えっと、何ページかな?」


「本気で読むの? 樹理は、音読って苦手なんじゃなかったっけ?」


「いつどこで誰が、どこでそんなことを言ったの?」

「どこでが二つ入っているけど」


 どうでもいいことを指摘された。こういう細かいところは、彼の悪いところであると同時に、良いところでもある。そう、ラブ! 私は彼の全てが、ラブなのです!


「まあ、いいや。でもさ、読んでくれるのは構わないんだけど、

 せめて降りてくれるかな? 体勢がつらいっていうか――」


「それって、私が重いってこと?」


 最近、食べ過ぎているのかな!? それのせいで、重くなっているとか?


「いや、幽霊だから重さないよね?」

「あ、」


 そういえばそうだった。

 それに、最近は食べていない。なにも食べていない。

 最後に食べたのはいつだったかな……千年前くらい? 

 よく覚えていないから、確かなことは言えないけど、

 生前に食べてから、なにも食べていないと思う……。


 それにしても、千年前のことを最近って……。私の感覚、おかしくなってる。


 まあ、そりゃこれだけ長い時間を生きていれば、麻痺してくるとは、思うけど。


 なんとか世界と時代に適応しようと頑張っているんだけどなー。どうにもできない。難しい。


 けど、今は世界に適応よりも、彼に適応したいわけなんだけどね。



 明吉みょうきちくん。――信彦のぶひこ明吉みょうきちくん。


 孤独に、誰にも話しかけられないままだった私に、唯一、話しかけてくれた彼。


 たったそれだけ。他にきっかけはなく――知り合ってから色々と過ごす内に、エピソードは積み重なっていくけど、それは、付加要素でしかない。

 結局、根本を掘り起こしてみれば、私の一目惚れだった。


 状況にも助けられて、惚れることができたわけだ。

 あの時、孤独でなければ、私は明吉くんに惚れることはなかっただろう。

 だから、孤独な状況に感謝。あの時の地獄に感謝。


 あの時があったからこそ、今が天国に思えるわけだった。


 よく成仏しなかったものだと、今は思う。

 そこには感情なんて挟まってはおらず、単純に、どうすれば成仏できるのか分からなかっただけで、方法が分かればしていたはずなのだ。

 ……うーん。でも、分かっていたのかと言えば、分かっていたんだと思う。

 未練があるから残っていたわけで、未練が消えれば、成仏できるわけで――、

 結局、方法が分かっても、あの時の私では、成仏はできなかったのかもしれない。


 未練? ――なんだろう、それ。


 世界になにか後悔でもしているのだろうか。ないと思うけど……。

 死んだ理由だって、病気なわけであるし。未練とか、あるはずもないんだけどなあ……。


 逆に、今は幽霊の体になって、成仏すること自体が、世界に残す未練になってしまっている。


 あの漫画が完結するまでは、死ねない! 

 明吉くんがこの世に生きている限り、死ねない! 


 だから私はいつまで経っても成仏できない! 世界に依存しまくります!


 さすがに口に出すことはしなかったけど、そう叫んでみた。

 意気込みのような、事実確認のような――ともかく、待ちに待った私のターンである。


 明吉くんはガードが堅いので、あまり私は甘えられないのだった。

 誘惑も、できそうで、できない。いいようにはぐらかされて、煙に巻かれてしまう。

 その方がこちらとしてもやりがいがあると思えるわけだけど、しかし!

 堅過ぎるとそれはそれで、うんざりしてしまうこともある。


 これくらいで明吉くんへの想いがぽっきりと折れるわけではないけど、溜息は漏れてしまうのだ。溜息と一緒に、幸運まで逃げてしまうとかよく言われているけど、幸運なんていらねえ! 

 私は自力で頑張る!


 そんな運命頼りな方法は、昔だけにしてほしい。

 今は現代、努力で勝ち取る社会なので。


 そして、私は頬を明吉くんの頬にこすりつける――は、恥ずかしくてできないので、押し付けることでがまんした。これもこれで、恥ずかしいことには変わりないけど。


 溜まっている不満。そのままぶつける。


「明吉くんー、なんでそんなに私を降ろしたいのー? 重くないんでしょう?」


「まあ、そうなんだけど」


 それでも尚、私を膝から降ろそうとする明吉くん。

 理由を問い詰めようとして聞いてみても、彼は声を上手く出せていないのか、それとも意図的なのか――言い淀んでいた。


「別に、樹理が嫌いなわけじゃない。全然、好きな方だよ――人間的に、幽霊的にね。

 ただ――この格好だと、樹理の背中しか見えないんだよ。

 真っ黒で、真っ暗で。視界としては面白くないんだ」


「理由って、それだけなの?」

「それだけ」

 間髪入れずに、即、答えが返ってきた。


「じゃ、じゃあ――私が、たとえばこうやって」

 私は、彼の膝に座る。

 ただし、今度は明吉くんと向かい合うようにして。

「――これの方がいいってことなの?」


「ああ――こっちの方が全然、良いよね。顔を見れるし、全部が見れる」


 向かい合う。目が合う。全てを、見透かされている気分。


 ――って、無理無理っ! 

 さすがにこれは、私でも無理無理っっ!


 幽霊で、誰にもばれないからと思って恥ずかしいことをたくさんやってきた私でも、これには引くしか選択肢がない! ごめんね明吉くん! 

 なんだか私が避けたみたいになってるけど、全然、そんなことないから! 絶対にないから!


 慌てて彼の膝の上から飛び立って、近くのソファの後ろに隠れる私。


 ソファに置いたままになっていた毛布を掴んで、頭からかぶる。

 顔だけ出して、彼を見る。

 顔が赤くなっているのをどうにか誤魔化すための行動だったわけだけど、

 それは彼を苦笑いさせてしまう結果へ導いてしまった。


「ち、違うのよ明吉くん!」


「うん? 勘違いしているっぽいけど――僕、なにも思ってないからね?」


 平気そうな顔で、そう言った明吉くん。

 確かに、なんとも思ってなさそうだけど。そういう人に限って、色々と内心で考えていたりするんだよね。考え過ぎているというか、深く考えているというか。

 深読みできるからこそ、余計なことまで考えてしまうようで。


 明吉くんもそのタイプなのかと思うけど――しかし、違うのかもしれない。


 なにも考えていないのかもしれない。

 それは別に、馬鹿、ってことじゃない。

 ただ、考えなくていいことは考えないような――、

 必要なことしか考えないような、効率が良い思考をしている、感じ?


 そう――効率が良い。まるで機械のように正確に、余計なものをカットして、考えられる可能性の中でも素晴らしい一品を完成させるような、精密な動きと思考。


 それが彼。

 こう言うと人間っぽくないと思うかもしれないけど、それでも、そこには多少の感情も入っているわけで、人間っぽさは出ている。

 それに、見た目通りに、子供っぽいところもちらほら見えて、私のストライクゾーンを正確に撃ち抜いてくる。さすが、照準がはずれないねえ、彼。


 他とは一味も二味も違う。

 枠から飛び出ているような彼。


 それもそうか。だって彼は――、


「ん?」

 そこで、明吉くんは、不意に声を出した。

 考えて出したのではなく、反射的に出してしまったような感じだった。

「今って、何時なんだろう?」


 時計を見る。八時半過ぎ。

 授業は始まっていないけど、もう学校は始まっている。

 今は朝のホームルームでもやっているのだろう。

 生徒は全員、遅刻していない限りは、みんなが教室にいるはずである。


 私がそう言うよりも早く――、

 明吉くんは、全てを追い抜かして、自身で完結させてしまった。


「一時間目が、始まる前か――ということは、サボりなのかなあ」


 呟いた明吉くんの言葉。なんのことなんだろう? 毛布を取るか否かで悩んでいる私は、一歩も動けないままでいた。そして、時間は経ってしまい――音がやってくる。


 同じく、音を鳴らしている原因もやってくる。


 部室の扉が開き、少女が入ってきた。


 女子の制服を身に纏い、髪がつんつんしている――ざくざくと刺さりそうな赤毛だった。


「あ、もういたんだ、先輩」


 音の発生源――弐栞遊。


 彼女は明吉くんにそう声をかけた。

 一応、彼は先輩になるのだから、敬語を使えよと思うけど、それは明吉くんが嫌がっている。

 なので、少し苛立ってしまうけど、私ががまんするしかないのだ。

 まあ、彼女のこの言葉遣いも、彼の親しみやすさからきているものだと思うけど。


 そういえば、さっき体育教師に連れて行かれていたのに――、

 もうここまで来れるとは、今日の用事は凄く早かったらしい。


 紙束をたくさん持っているけど、それ、なんなのだろうか。

 字がたくさん。黒くて紙の上を這いずり回っているように見える。

 蟻が群がっているような――、想像して鳥肌が立つ。


「今日は、一時間目からサボりかい? 補習になるからやめた方がいいよ」

「先輩に言われたくないよ。先輩だって、ずっと部室にこもってるじゃん」


「僕はいいの」

 理由は言えないけどね、と明吉くんは付け足した。

「僕のことはいいんだ。今は遊のことさ。このままだと、留年してしまうかもしれないよ」


「それならそれでいいもん」

 もんっ、て。まだまだ子供だなあ、遊ちゃん。


 彼女に私の姿は見えていない。下手に干渉すると、騒がれてしまうだろう――つまり、なにもできない。なので、このまま毛布の中で隠れていることにした。

 毛布が浮いて見えてしまっているのは、すぐになんとかしなくてはいけない。


 毛布をゆっくりと地面に下ろす。これで安心。おかしなところはなにもない。


 よほど勘が鋭くなければ、気づかれることはないだろう。


 でも――遊ちゃんって、勘がすっごく、鋭かったイメージがあるんだけど。


 しかし、今回は遊ちゃん――気づくことはなかった。そのまま、会話が再開する。


「留年してもいいって……君がいいなら、いいんだけどさ」

 いやいや、そこは説得して、明吉くん。


「したいくらいだよ、まったく。

 まあ、さすがにそれは恥ずかしいからしないけどさ」


「――したい、くらい?」

 明吉くんが、その一言に気づいた。

 私も気づけたから、当たり前か。

「何か、面白いことでもあったのかい?」


 にい、と遊ちゃんは笑う。


 嬉しそうに。よくぞ聞いてくれた、とでも言いたそうに。


「うん――見つけたんだ。

 一年生の新入部員。今、勧誘してるとこ」

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