第3話 ??? その2

 学校の校門前であいさつをしている生徒が、何人かちらほら見えている。

 生徒会役員なのだろうか。

 しかし、しているあいさつは、きりっとした真面目君を冠するようなものではなく、言われたからやっている、と言える、テキトーを極めたようなあいさつだった。


 まあ、結果ではないのかもしれない。

 やるまでの過程が大事なのだ、とでも先生方は伝えたいのかもしれない。

 生徒からすれば、うんざりなものだったが。


「おはようございます」

 言われて、はっと気づく。

 しかしあいさつをし返すことはしなかった。


 そのまま歩いて行き、校舎の中に入る。

 自分の靴箱まで一直線に進み――彼は、そこで躊躇った。


 枠内わくうち一陣いちじん


 髪の毛は金髪に染めている。不良にでも憧れているのか――ピアス、ネックレスをつけていて、校則違反のフルコースだった。

 だが、先生や生徒会も、彼のことを注意することはない。諦めているのか。それとも、それくらいは許されるほどにゆるゆるなルールなのか。

 ただ――彼が恐れられている、との発想は、誰も思考の中には存在していなかった。


 彼は――枠内一陣は不良だ。


 しかし、なりきれていない。


 中途半端なのだ。ピアスやネックレスをつけて、しかも金髪に染めているが、それでも、暴力はせず、言葉遣いも丁寧で、困っているおばあちゃんを見つければ声をかけ、優しく手伝ってあげてしまうくらいには、心が優しいのだ。


 花壇には水をあげ、ゴミを見つければ掃き掃除をし、先生にはあいさつを必ずする。


 不良なのは見た目だけ。

 いや、不良とはさすがに言えないだろう。

 ここまでくれば、少しやんちゃな優等生だ。


 しかし、彼は自分のことを不良だと思っている。

 憧れが強いのか――色々と影響を強く受けてしまっているが。

 変えられたのは見た目だけで、

 どれだけ努力をしたところで、内面を変えることはできなかった。


 心は、偽れない。


 素が、出てしまう。

 心優しいのは、彼の中でデフォルトなのだった。


「…………行くか」

 彼は、自分の靴箱の蓋を開ける。


 中にあるのは自分の靴――と、一枚の紙切れだった。


 ああ――またか、と思う。

 いつもと同じ日常。いつもと同じパターン。

 ということは……と、

 毎日のように繰り返されているので、さすがに彼も、流れを読めてきている。


 見つけた紙切れは、内容に目も通さず――字は、一字一句も視界には入れず、くしゃくしゃに丸めて、ポケットに突っ込んだ。

 すぐに靴を履き替え、全力でダッシュ。


 廊下を走ってはいけません、とのルールは、この際は無視した。

 彼にしては、見た目以外での珍しいルール違反であったが、このルールに関しては最近、破りまくっている。なので、抵抗はなかった。


 慣れって、恐い。

 ここ最近で一陣が得た教訓は、これであった。


 走る一陣は、ちらりと後ろを見てみるが――見えるものは驚いている生徒だけである。


 いきなり走り出したからびっくりしたのかもしれない。

 多少の危険を感じて恐怖したのかもしれない。

 なんにせよ、

 いつもとは違う感情を抱かせてしまったことに、心の中で謝る一陣は、すぐに前を向く。


「――今日は、セーフか?」

 呟いた言葉と同時。

 緩めてしまった少しの気は、一陣の動きを鈍らせた。


 前を向いて、咄嗟である。

 視線の上、恐らくは額の部分。


 そこにいるであろう少女の存在に気づいた彼は、しかし、避けることも受け止めることもできなかった。そう――さっきの気の緩みが、ここに影響してきたのである。


 少女は、一陣の頭を股で挟み――その勢いのまま、一陣の体を背中から地面へ、倒れさせた。

 鈍い音がしたが、一陣は少女の股のせいで、声すら上げられない。

 荒い息だけを、ふー、ふー、と漏れさせている。


「ふっふっふ……」


 少女は、口元を歪めて楽しそうに笑っていた。


「やっと捕まえた! 一年二組、枠内一陣! 

 さあ、入れ! 部活の勧誘だ勧誘っ! 私が率いる『遊戯ゆうぎ部』に入れ!」


「入るかぁあああっ!」

 ぷはあ、と拘束からなんとか逃げ出した一陣は、真下から少女を見上げ、叫ぶ。

「つうか離せ! 解放しろ、俺を!」


「遊戯部に入るなら、解放してやる」


「それを条件に組み込むんじゃねえ! つうかいいのか!? 

 この状況、勘違いされて困るのはお前も同じだと思うけど!?」


「先輩にタメ口は禁止。敬語を使って」


「常識を身に着けて。勧誘するならやり方を選んで。俺で遊ばないでこの幼児体型!」


「人が気にしていることを――なにを堂々と言ってんだこらあっ!」


 ぐぐぐ、と股の挟む力がどんどんと強まっていく。

 ぎりぎりで、押さえつけられていた両手を自由にさせ、迫る股を支えることには成功した。

 しかし、脅威はそれだけではない。


 相手は、両手が自由なのだ。

 一陣は両手を使えているが、

 しかし、股を支えるのに使ってしまって、ないものと同じことだった。

 使えるのは、顔くらいなものだ。


 その顔も、一定の高さから上には上がらない。


 そうこうしている間にも、相手の両手は一陣に迫ってくる。


 脇腹へ、迫ってくる。


「……おい、まさか――」


「ふっふっふ――ふんっ」


 もう一陣すら見ないで、少女は、ただの直感で一陣の脇腹をくすぐり始めた。

 見ないということは、相手の状態に目を向けないことになる。

 躊躇いはなくなり、容赦もなくなる。 


 止め時はない。


 きっかけが、ない。


「ちょ、待て――は、く、ぐ、だははっはははははっはははっはははッ!?」


「おらおら、ここがいいのか、ここか――ここなのか?」


 変なスイッチでも入ったのか――どんどんとヒートアップしていく少女は、くすぐりを止める気は、これっぽっちもなかった。

 だが――しかし、すぐに手は止まることになる。


 少女の体が、浮いた。


 猫のように、掴まれて。


 見上げる一陣には、状況がよく分かる。

 がっちりとした体格。ジャージ姿が似合う体育教師が、少女の首根っこを掴んで、持ち上げていた。本人が気にしている通りに、幼児体型なので、持って運ぶことは容易なのかもしれない。


「そこまでにしとけ、弐栞にしおり。一年の勧誘も、やり方には気をつけろ」

「はーい」


 少女――弐栞にしおりゆうは、テキトーにそう返事をした。

 体育教師は、それだけの注意でこの場を去ると思われていたが――そうではなかった。

 遊を連れて、そのまま職員室に向かって行った。


「ちょっと、先生っ! あの子から離れないでくださいってば!」


「いいから、お前には渡したいものがあるんだよ」


「部費ですか?」

「違う。お前の部活は遊んでばっかだろうが。部員だって多くないしよ」


 そんなやり取りが一陣にも聞こえる。


「いますよいます! あの子を合わせて、五人ですよ!」

「? 四人じゃないのか?」


「なにを――」

「ともかく、早く来い。勧誘なんて放課後にやれ」


 今じゃなくちゃ駄目なんです。駄目だ。いいから下ろしてください。駄目だ。この、バツイチ! なんだと! そんなやり取りを聞きながら、一陣は立ち上がる。

 去って行った先輩を追うようにして、同じ道を歩み始める。

 遊を追うためではない。ただ単純に、自分の教室に戻るためである。


「まあ、なんだな――」


 階段に差し掛かり、今日の放課後の予定を決めていく。

 そして、まず初めにやることは決まっていた。


「さっさと帰るか。あの先輩に見つかる前に」

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