Talk to Luna

 恐る恐るシチューを口にしたルナは、目を見開いてゴクリと飲み込んだ。

 良かった、まずは苦手克服の一歩を踏み込んでくれたようだ。実は、牛乳を使ってはいても、それと分からないように工夫してある。使う牛乳はごく少量で、その代わりとして豆腐を潰し、ペースト状にしたものを混ぜてあるのだ。

 そして、料理研究家フタヒロのメインアイテムであるスパイスも、シチューに少しばかり使っていた。鶏肉の臭みを消したり、柔らかい食感を出す効果で、ターメリックを下味として足していた。さらに、野菜を炒める時には、ナツメグとシナモンで風味を付け加えてある。これでシチューを作ると、牛乳の代わりに豆腐を入れたことによるあっさり感も緩和されるのだ。ターメリックの色味が滲み出てしまうので純粋なホワイトでは無くなってしまうが、味はしっかりとシチューになっているはずだ。


「これも一緒に食べてごらん。シチューに合うよ」

「…………」


 僕はシチューに使っている皿と同じ色のお椀を、ことりとテーブルに置いた。カボチャを使ったサブジ(野菜の炒め煮)だ。食べやすいサイズに角切りしたカボチャに薄切りの玉葱を加え、そこへクミン、コリアンダー、レッドペッパーと塩を混ぜて炒めてから、カボチャに串が通る程度まで弱火で加熱したものだった。仕上げに『フタヒロマサラ』を振りたいところだが、このメニューに関しては爽やかさを求めてはいけないので、パプリカパウダーで彩りを加える程度にしておく。シチューの甘味にピリッとアクセントを効かせる、ちょっとしたみたいなものだ。


 シチューもサブジも、好評を得て完食してくれた。

 両手を合わせてお辞儀をするルナの姿を見るのも慣れてきたけど、今回ほど「ごちそうさま」の姿を見て安堵したことは無い。気に入ってくれて、本当に良かった。


 今日の都梨子とりこは「帰りが遅くなる」と言っていた。

 彼女の分のシチューを別の小鍋に移し、後片付けをしていると、ルナがキッチンペーパーをロールごと手に持ってやってきた。どうやら、皿洗いの手伝いでもしてくれるような雰囲気だった。


「手伝ってくれるのかい? ありがとう。でも、大丈夫だよ」

「…………」

「今日は都梨子とりこも遅いから、洗う食器も少ないし。これが終わったらデザートもあるから……あぁ、そうだ。コーヒーでも入れておいてくれないか。いつものやつ、もう入れ方はわかるだろう?」

「…………!」


 元気に頷いて、棚からマグカップを二つ取り出し、プッシュ式のエスプレッソマシンがあるところへと向かうルナ。機械の「ブイィィィン!」と鳴る音を楽しんでいるようで、いつも入れている間はそこから離れなかった。


「はい、お待たせ。コーヒー、ありがとう」

「…………」


 イチジクが安かったので、そこにマスカルポーネチーズを足し、シナモンとフォアジャオ(花椒)を振りかけただけのシンプルなデザートにした。ポイントは痺れを効かせたフォアジャオ(花椒)を入れ過ぎないこと。ちょっとした刺激が、コーヒーの苦みも特別なものへと変えてくれる。二十歳前のルナには、この味はちょっと早かったかな?


 ここ数日、ルナは与えられたに夢中だった。ゲームや動画に興じている様子は無く、ずっとパチパチとキーボードを叩いているだけだった。いったい何をやっているのか、僕には全くわからなかった。しかしこの後、ルナは驚きの行動を見せたのだ。


「ん? え? えぇ!? 僕を呼んだのはルナ……だよね?」


 この家に来て初めて、ルナが喋った。見た目よりも大人しやかな声に、誰か別の人が彼女の代わりに喋っているのかと思った。それは正しく、その通りだった。

 テーブルの下に隠していたスマホを出して、恐る恐る僕の顔を覗き込むように見上げるルナ。それとは真逆のテンションで「やっと、喋れるようになりました!」と喜びを主張するスマホからの声が、なんとも滑稽だった。


「ス……マホ?」

「あ、ごめんなさい。何から話せばいいのか混乱しちゃって……」

「いや……謝ることはないよ。でも、驚いたよ。この声は、ルナの言葉なのかな?」

「はい。私はルナです! ルナの通訳です!」

「んーと、ルナの通訳もルナという名前ってことでいいかい?」

「いえっ! いえ、はいっ! じゃなくて……はいっ!」


 いかん、こんがらがってきた。

 僕は冷静になって「どっち?」と、ルナの目を見て質問した。


「す、すいません! 私はを頭文字にしたルナです」

「ふむ……」


 ということは、こっち人間のルナは頭文字がってことで……良いのかな?

 彼女がRUNAで、スマホがLUNA。ネイティブな人だったら、発音の違いもあるんだろうけど、僕には同じルナでしか認識できない。


「フタヒロさんからお借りしたパソコンとスマホで、ルナを再起動しました。そしてスマホと同期させて、移動中でも会話ができるように設定したのです」

「再起動……同期……」

「私は、小さい頃から人と話すのが苦手でした。その代わり、パソコンを使って自分の人格をプログラミングし、自動学習機能と併用して、人とのコミュニケーションが可能となるソフトを開発したのです。もちろん、多言語翻訳機能も完備してます!」

「う、嘘でしょ?」

「嘘ではありません。私とルナは一心同体なのです」

「ちょ……ちょっと待ってくれ」

「見たもの聞いたこと、そして抱いた感情も全て同期しています。これからは、私の言葉をルナが代わりに変換してお伝えします」


 スマホの画面にブイサインのイラストが現れた。そんなこともできるのか……っていうか、どこまで信じていいのか、まだ気持ちの整理がついてなかった。それでも僕は、なんとか平静を装って「すごいなぁ、ルナ」と彼女の頭を撫でた。気を良くしたのか、彼女はホッと安堵して、いつものように微笑んだ。


「ず、ずっとお礼が言いたかったんです……いつも、美味しいご飯、ごちそうさまです……って……」

「そんな、お礼だなんて。いやでも、嬉しいよ。ありがとう」

「本当に美味しかったんです! お茶漬けも、カレーも、そして今日のシチューだって! 小さい頃に食べたシチューがトラウマで、今までは避けてきたのですが、フタヒロさんの作ったシチューは美味しかったんです!」

「なんだか照れるなぁ」

「あと、トリコさんにも……お姉さんのように寄り添ってくれて、嬉しかった……」


 ちょっと「トリコ」の発音が変だったけど、それは翻訳機能の不具合ということにしておこう。本人が聞いたらガッカリするかもしれないが、まともに会話ができるようになっただけでも大収穫だ。


 本人は、人格をプログラミングしたとか、自動学習機能とか、素人の僕でもイメージが掴みやすい言葉で仕組みを教えてくれたが、実際にやってることはそんなレベルのものじゃないことくらい理解できた。

 既にアメリカや中国の政府筋から、熱烈な誘いを受けていたというのも納得だ。情報を網羅し、それを操作できる人材は、年齢など関係なく何人でも欲しいのが国家というものだろう。さらに、独自のアイデアで人体機能の欠点を補えるシステムまで開発できるなら、いくら金を積んでも惜しまない連中は数多あまた存在する。それが、良いように、悪いようにと使われようが関係無く。


 これで、ルナを匿う理由はなんとなくわかった。だからと言って、ルナが話せるようになったから解決というわけでもない。むしろ、余計に危険度が増したと言える。この進展を早いとこ都梨子とりこと目黒さんにも伝え、ルナをどうするのか次の一手を教えてもらわなければ。いや、しかし……。


「それじゃ、これからはルナの食べたいものも言ってくれよ。苦手なものがあれば教えて欲しいし、作る方としちゃ、リクエストをもらった方が腕も鳴るからね」

「わかりました。ありがとうございます!」


 ルナが自ら危険を感じて動いているのか、それとも日本の警察がルナをどうにかしたいのか、都梨子とりこや目黒さんの返答次第では、僕も身の振り方を考えなければいけなくなりそうだ――。

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