問い銃

【Have no Choice ~サヨナラの時間~】

 とうとうこの時が来てしまった。

 考えたくはなかったけど、僕はどこかでこの時を覚悟していたような気がする。


「マリア! 何してる!? その銃を下ろせ!」

「フタヒロ、来ないで! お願いだから、来ないで!」

「関川先輩!」

都梨子とりこ、目黒さんを呼んで来てくれ。僕がマリアを引き留める」

「わ、わかりました。お願いします!」


 僕とマリア、そして今この場を離れた都梨子とりこ、あとはマリアと同行して部屋へと連れてくるはずだった女性警官……廊下には四人しかいなかった。このエリアは倉庫になっている部屋も多いので、極端に人の往来が少ない。それが災いした。


 マリアが女性警官の首に当てていたのは銃だった。さっきまで僕のいる部屋へ近づくように歩み寄っていたけれど、僕が部屋から出てきたことで逆にジリジリと後ずさりし始めている。その目は怒りや憎しみよりも、追い詰められた小動物みたいに怯えていた。周りを見ずに後ろへ下がっているもんだから、自分で勝手に逃げ場を消していることに気づいていない。ついには、女性警官共ども壁を背にして動かなくなってしまった。

 それにしても、どこで手に入れたのだろう? マリアが銃を持っているなんて驚きだ。この建物のどこか警視庁の中で盗んだものではなさそうだ。今まで見た銃の中でも口径が断トツに小さい……おそらくはポケットピストルだ。至近距離でないと意味を成さない代物だが、相手を脅したりケガを負わせるくらいのことはできる。ただ、人質にされている女性警官が撃たれたら即死で間違いない。


「マリア、まずは落ち着こう。その人を離すんだ。人質が欲しいなら、僕が代わりにそっちへ行くから」

「動かないで! お願いだから、これ以上は近寄らないで……お願い……」

「マリア!」


 僕はマリアの名を呼ぶことしかできなかった。精神が錯乱している彼女に対してできることと言えば、名前を呼んで注意を引きつけるくらいだ。下手に動いて刺激すると、銃で乱射しかねない。なるべく余計な言葉を出さないよう、時間を置きながら強弱をつけて「マリア」と連呼した。

 それでも、少しずつり足で二人の方へと近づこうと密かに試みている。さっきよりかは彼女たちとの間隔も縮んできた。しかし、まだ手を伸ばしたところで届くような距離ではない。

 もう一歩、もう半歩、前に出ていく。僕が「マリア」と呼んだのは何度目か。数える余裕も無いほど緊張していた。マリアもようやく僕との距離が近くなっていることに気づき、グイッと女性警官の首を剥き出しにして銃を突き付ける力を強めた。


「来ないで!」

「マリア、望みは何だ? まずは聞こう。何が望みなんだい?」

「望み? そうね、あったけど……そんなものは、もうどうでもいいわ」

「…………?」

「ヘイク=ロー様の釈放。それが私の望みでもあったわ」

「なっ?」

「本当のことを言うとね、私が一番ヘイク=ロー様に気に入られていたのよ。私はジェーンとは違うの。あの人を喜ばせるためなら何だってしたの。すればするほど、私の願いが叶ったわ」


 何が起きているのか、マリアは何を言っているのか、僕の耳がおかしくなったのだろうか。いや、耳だけじゃなく自分自身がおかしくなったのかもしれない。


 フィリピンパブで起きた逮捕劇の日、自分が捕まることを覚悟したヘイク=ローは事前にマリアを呼び寄せて「時間をかけてでも俺を助けろ」とマリアに言い聞かせ、あの個室へと隠したらしい。ジェーンはその密命を聞かされておらず、たまたま近くにいたから一緒になって隠れたのよと言いだした。

 二人を保護し、それぞれ新しい人生を歩み始めたはずなのに、ちゃんと歩いていたのはジェーンだけだった。マリアの方は、その裏でヘイク=ローの手下を仲介させ連絡を取り合っていたとか……マジかよ?


「でも、もういいの。私は何も見えていなかった。ただ、あの人の言いなりとなって動いてただけ……それじゃあダメだって、フタヒロに教えてもらったわ」

「マリア……」

「この前、公園で幸せかって聞いてくれたよね? 確かに、私は幸せだった。子供の頃とは比べものにならないくらい幸せだったわ。でもね、私には私の幸せがあるの。なにが幸せなのかって? それを決めるのはフタヒロじゃなくて私なの」


 僕は何も言うことができない。何を言えばこの場が収まるのか、それすら考えることもできなかった。言葉が出なくなると体も動かなくなる……僕はいつの間にか、二人へにじり寄ることをめていた。


「勘違いしないで欲しいんだけど、フタヒロを嫌いになったわけじゃないの。だから今しかないの……サヨナラするのは」


 マリアは女性警官の首筋から銃をそっと放し、おもむろに自分の蟀谷こめかみへと当てた。


「今までありがとうフタヒロ……とっても楽しかった」


 そう言って、彼女は穏やかに微笑んだ。

 もう答えは出ているようだった。

 最後の最後まで事件の真相も言わないままに。


 僕は銃を握っている彼女の手を見つめた。引鉄ひきがねに触れている指が微かに震えているようにも見えた。何かしなければ……何もしなければ、その指を眺めているだけだったら本当にサヨナラだ。


 掴まえなければ……。


 生か? 死か?

 マリアが投げた最期の問いかけ……そこに選択の余地は無かった。

 全ての力を振り絞って、彼女に向かいダッシュした。しかし、ここにきて僕の動きは想像以上にスローだった。音も色もごちゃ混ぜになり、低い呻き声だけが頭の中でハウリングしている……視界まで水を掛けられたかのようにボヤケてきた。



 ――パアァァァァン!



 乾いた破裂音が耳をつんざく。

 サヨナラの時間は残酷だった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る