Film Out(Epilogue)

 あの騒動から一週間、僕はジェーンの部屋にいた。

 リビングの壁に貼り巡らしていた写真やメモをはがし、一つの段ボール箱にまとめて封をする。ジェーン殺害事件の捜査は、これにて終わりだ。テーブルにずっと残されていたポテトチップスを持ち、袋を開けながら寝室へと移動した。

 寝室の明かりを暗めにして、ベッドの脇にあるラジオを点けた。ジェーンが日本語の勉強をするために買ったものだった。寝転がりながら勉強している彼女をくすぐったりして、よく邪魔してたっけ。


 ――今日もカノーステーションの時間がやってまいりました。まずはこの曲――。


 ラジオから甘い歌声が聞こえてきた。韓国で人気を博しているアイドルグループの曲だった。ジェーンも彼らのファンだった……グループの中で誰がなのか聞いてみたことがあったけど、彼女は「みんな素敵で、みんな好き」と言っていた。それぞれの個性が重なって、一つの大きな存在価値となる……そんなところか。

 僕はポテトチップスをかじりながら、ベッドの天板の上に飾ってあるジェーンの写真を眺めた。僕の押すシャッターに向かって、にっこりと笑った彼女。事件が解決する前とした後では、その笑顔にも微妙な影が見え隠れしているように思えてしまうのは仕方のないことだろうか――。


 銃声が廊下に響き渡ったあの時、不覚にも閉じてしまった目を再び開けると、マリアは廊下に仰向けとなって気を失っていた。人質となっていた女性警官は、片膝をついてマリアの傍で片腕を投げ出している……結論を言えば、その女性警官が隙を突いてマリアに背負い投げを決めていたのだ。

 何が起きたのかわからないまま茫然としていると、銃声を聞いて駆けつけてきた職員たちがマリアを抑えていた。マリアを投げた女性警官が「大丈夫でしたか?」と僕の方へ歩み寄ってくる……チラっと見えた名札には『月村涼子』とあった。人質になっていた時から「どこかで見たことのある人だな」と思っていたら、三大会連続でオリンピック女子柔道の金メダルを獲得した世界の人気者「リョウコちゃん」じゃないか。警視庁勤務で広告塔としての役割も担っていた有名人だったけど、実際に「涼子」を拝見するのは初めてだった。やっぱ、映像で見るのと生で見るのでは印象も違うものだね。マリアも人質にする相手を間違えたわ……それが彼女の運の尽きだったのかもしれない――。


 僕はポテトチップスの袋をラジオの横に置いて、ゴロリとベッドの上で仰向けになった。視線の先には、少し大きめのパネルで焼いたジェーンのモノクロ写真がある。これは、前に彼女とのデートで知り合った写真館の悠木さんにお願いして、別の日に撮ってもらったものだった。

 肩を出し軽く髪を乱して、右手で顔の上部分を隠しつつ、左目だけ指の間からコチラを覗いている様は、何かの宣材写真で使えそうなくらい色っぽかった。当初は僕の部屋に飾ってあったものだけど、彼女が亡くなった後に僕がここで寝転んでも寂しくならないよう天井に取り付けたものだった――。


 マリアの意識が戻ってからの取り調べは、全て目黒さんと都梨子とりこに任せていた。ヘイク=ローとの関りも改めて洗い出し、二人を並べて取り調べをした日もあったらしい。現段階でわかっている事件の概要は次の通り。

 ヘイク=ローの逮捕後、密かに連絡を取り続けていたマリアは、まず僕とジェーンの仲を裂こうとしていたことがわかった。ジェーンを味方につけて僕から引き離し、一人になったところで暗殺……それがダメでも重傷くらいは負わせようというがあったらしい。それを、どこでどう間違ったのか、さぁ始めるぞという段階でジェーンに計画がバレてしまった。

 初めの何回かは、ジェーンから問い詰められても知らないフリをして場をやり過ごしていたようだけど、やがてはそれも通用しなくなり、しまいには姉妹のようだった絆まで壊れるほどの大喧嘩へと発展してしまう。どうにも収拾がつかなくなってしまった末に起こした事故だと……マリアは主張しているようだった。彼女の供述をどこまで参考とするかは捜査関係者の判断に委ねることとなるが、ジェーンが死に至った経緯や死体遺棄の詳細など、そこからさらに掘り下げた犯行の真相は闇の中に葬られる可能性が強かった。ここまでくると、犯行の裏で糸を引くヘイク=ローとの繋がりの方が、警察としては興味事項となってくるからだ――。


 僕は寝返りを打って、壁に飾ってある三つ目のジェーンの写真を見つめた。彼女の座るテーブルの上には、ハッピーバースデーのプレートが飾られたホールケーキが写っている。誕生日を知らなかった彼女に対して、少しでも今の生活に馴染んでもらおうと配慮した一回目のお祝いの日に写したものだった。

 逆に悲しい表情を見せるかなと心配していたけど、ジェーンは満面の笑みで蝋燭ろうそくを吹き消してくれた。そのあとには「ローソクの数、ちょっと多いんじゃない?」って冗談まで言ってたっけ――。


 最後に、マリアから僕宛の伝言があった。「嘘をついてゴメン」という始まりに何のことだかわからなかったけど、続けて「ジェーンはフタヒロに会うまでキレイだったよ」という言葉でその意味がわかった。

 ヘイク=ローはジェーンを慰みの相手にしていなかった。もちろん奴には目をつけられたけど、マリアが言葉通り体を張って彼女の身代わりを買って出たそうだ。逮捕前の公園で彼女が語っていた過去話の中には、事実じゃないことも混じっていたということだ。「私ばっかり貧乏くじ引いてたような気持ちだったから、フタヒロにも苦しんでもらおうと思った」と取調室で対面していた都梨子とりここぼしていたらしい。仮にその話が嘘だったとしても、そう言ってもらえたことで僕の心は救われた――。



『あたしと仕事、どっちが大事なの?』



 今さらだけど……事あるごとにジェーンの言ってた二択の問いかけにも、実は別の意味があったんじゃないかなと思えてきた。マリアの企みを知った彼女は、言うに言えない苦しみを抱いたまま僕に助けを求めていたのかもしれない。


 やっぱり僕は、仕事を選ぶべきではなかった。

 やっぱり僕は、神を……いや、僕自身を恨むしかない。

 やっぱり僕は……僕は……。


 ジェーンと過ごしたこの寝室には、まだ彼女の香りが微かに残っている。僕と愛し合った熱も冷めてはいなかった。これからあと何年……僕は彼女を見つめながら生きていけば良いのだろう。


 嗅いでしまった香りが……触れた熱が……。

 残ってるうちは……残ってるうちは……。


 そうだね。残ってるうちは、僕も部屋の中で浮かぶジェーンの姿に手を伸ばし続けることだろう。ゴロリとうつ伏して枕に顔を埋めた僕は、声を押し殺して泣いた。今日くらいは好きに泣かせてくれ。


 ラジオから流れていた曲は、いつのまにか次の曲へと移っていた――【了】。




《二択探偵フタヒロ:エンディング曲 『Film out』/BTS》

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