問い伍

Innocent until Proven Guilty

 海浜公園で恋人ムードから遠ざかってしまったが、無事にデートを終えマリアを家まで送った僕は、その足でジェーンの住んでいたマンションを訪れた。名義こそ僕の名前に変えたけど、彼女が暮らしていた時の内装や家具類はそのままだった。僕はダイニングテーブルに鍵を置いて「ただいま」と独りちる。テーブルの上に置かれた深めのガラスボウルには、未開封のポテトチップスが残っていた。


「まさか、あの日が特別とは……ねぇ」


 マリアが「特別な日」と言っていた救出劇は、ジェーンにも同じことが言えた。にもかかわらず、ジェーンからの特別なメッセージや思い出話などのたぐいは、年を重ねて恋人同士として一緒に暮らすようになっても全く出てこなかった。まぁ、記念日を作りたがる性格でもなかったけど……今思えば、彼女は過去に記念日を見つけ出すよりも、未来に向けての記念日を作りたがっていたような気がする。


 不意にスマホから着信音が鳴った。都梨子とりこからだった。


「もしもし」

「関川先輩、こんばんわ!」

「遅くにどうしたんだい?」

「マリアちゃんとのデート、どうでしたか?」

「なっ! なんで知ってるんだよ? まさか……けてたんじゃないだろうな?」

「正解でーす! 一応、彼女は参考人ですからね。でも、安心して下さい。私一人で監視してますから、誰も知らないし誰にも言いませんよ」

「お前なぁ……」


 僕は冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、通話をスピーカーにしてプシュッと封を開けた。


「で? ヒマ人の都梨子とりこさんが、何の御用ですか?」

「あー! ひどい言い方ぁ。関川先輩が襲われないよう見張ってあげてたんですよ」

「誰に襲われるんだよ?」

「マリアちゃんに決まってるじゃないですか」


 僕は飲みかけていたビールを「んぐっ!」と止めて、テーブルにおいた。あぁ、少しビールが飲み口からこぼれちゃったじゃないか……もったいない。


「どういうことだい? まさかだったとか……?」

「大丈夫ですよ。彼女はでした」

「じゃあ、なんで襲われなきゃいけないんだよ?」

「……関川先輩、やっぱり鈍感ですね。ふふふ!」


 調子が狂う……今日はマリアにも翻弄ほんろうされてるんだぞ。僕は疲れた口調で「勘弁してくれよ」と気の抜けた声でぼやいた。しかし、マリアがだったのは朗報だ。例の写真では、間違いなくマリアがターゲットにされているんじゃないかと思っていたけど、それは僕の思い過ごしだったようだ。


「偶然だったんだな?」

「そうですね。視線はマリアちゃんの方を向いてましたが、詳しく分析したら、もっと先のターゲットを見ていたのではないかという意見が出ました。あの事務所の先には、テレビでも話題になった人気のコリアンレストランがあるんですよ」

「コリアン? それが、琥珀こはくとどういう……?」

「まだ確実ではないんですが、チャイニーズマフィアと思われていた琥珀こはくって、韓国か北朝鮮の出身ではないかというのが濃厚になってきました」

「なんだって?」


 僕が琥珀こはくに目を光らせていた時は、チャイニーズマフィアの幹部だという調べがついていた。それを根底に捜査を続けていたのだが……どうりで尻尾が掴めないはずだよ。続けて都梨子とりこは「もしかしたら、中国と朝鮮半島を股にかける二重……か、もしくは三重スパイの可能性も」とまで言い出した。もはや、僕の手には負えない規模の話となってきた。

 しかし、新しい外事三課に配属された都梨子とりこにとっては好都合だった。北朝鮮の動きを中心に目を光らせている職務なら、ここで琥珀こはくの尻尾を掴むことができれば大手柄だ。


「マリアがなら、これで琥珀こはくの捜査に集中できそうだね」

「それは、まだわかりませんよ。これからも、関川先輩とマリアちゃんの監視は続けていきます。あ、でも邪魔はしませんからね!」

「それは必要無いだろう。何か引っかかるのかい?」

「うーん……上手く言えないんですけど……女の勘かな。えへへ」

「…………」


 あきれてものが言えない。

 外事課のエースなんだから、余計な捜査なんかしないで大物を追いかけてればいいのに……僕は「まぁ、ほどほどに頼むよ」と応えて通話を切った。


 ビールで酔いが回ってきたのか、それとも朗報で興奮したのか、僕は上機嫌で飲み干したビールの缶を片手でクシャっと潰し、ダイニングスペースからリビングへと移動した。左からテレビ、ローテーブル、ソファと並ぶ奥の壁には、ジェーンの写真を中心に事件と関わりのある資料や走り書きのメモなどが所狭しと貼られてあった。僕は壁に近寄り、ジェーンの写真に触れてからスゥっと右へ伸びる赤い線を辿って終点にある写真をはがした。それは、マリアの写真だった。


 僕はソファに座り、持っていたマリアの写真をひらひらとかかげてあの日救出劇のことを、そして二人が見せたそれぞれの表情を思い出した。発見した時の青ざめた顔、助けた時の安堵の顔、取り調べを受けている時の泣きそうな顔、日本に残ったままでいいと僕が言った時の嬉しそうな顔。どれも印象深いものだった。

 僕が手にしているマリアの写真は、無表情きわまりない仕上がりのものだった。日本滞在延長の手続きをした時に、外事課の機材で撮影したものだったから仕方がない。やっぱり、彼女は笑顔が似合ってるよ……。


「もちろん、ジェーンもね」


 と、そこにジェーンがいるかのように、テレビの斜め手前に飾られたフォトスタンドへ語りかけた。その中の僕と彼女は、頬をすり寄せ合い笑っていた。

 僕が王子様でジェーンがお姫様。言葉だけではない、本当にプリンスとプリンセスの姿になって撮影した記念の一枚だ。これを「撮ろう!」とジェーンが言い出した時は、どうしたものかと狼狽うろたえたものだよ――。



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