Have no Idea
僕は、ひとまず探りを入れることにした。
記念日らしきものは思いつかなかった。マリアの誕生日は、とりあえず七月の「海の日」にしてある。これは、彼女自身も産まれた日を知らなかったからだ。ついでに言えば、彼女の歳も具体的にはわからない。
僕がマリアとジェーンに初めて会った頃は、二人ともまだ少女と言って良いほど幼い顔をしていた。子供とまでは言わないが、十代半ば……
その日から五年。
そして、ジェーンが亡くなってから八ヶ月目を迎えようとしている。マリアもすっかり大人の女性になっていた。今日の姿は、さらに拍車をかけて大人びていた。
ゆるくウェーブのかかった長髪を、ミドルポジションでポニーテールにまとめた姿は実に僕好みだ。おくれ毛を絶妙にバラした感じも色っぽい。流行りのフレアスリーブが施されたライトブルーの花柄プリーツワンピースも、彼女の世代に相応しいフェミニンさで決まっている。白無地のスニーカーだって、これから水族館を歩く格好としてピッタリだ。
とりあえず、水族館へ向かう前に僕たちは早めのランチをとることにした。駅ナカのファーストフード店にしようかと思っていたけど、マリアの「特別な日」という言葉を意識して別のところに変更した。同じ駅ナカにイタリアンの『ナポリチョーザ』があって良かった。
「私は、ペンネのおこりんぼうにしようかなぁ。フタヒロは?」
「そうだね。僕は、このウィッチ風チキングリルにしてみるか」
「イタリアンなのに、ピザとかパスタにしないんだね」
「なんとなく、ウィッチ(魔女)風とか言われると気になってね」
「へぇ、フタヒロって魔女が好きなの? こんどコスプレしてあげようか?」
僕は飲みかけていた水を「ぶっ!」と
食事を済ませ、デザートの「バニラアイスのブルーベリーソースがけ」も堪能した僕たちは、次の水族館へと歩き始めた。
「あのデザート、ブルーベリーのソースがあったかくてビックリ!」
「冷たいアイスに温かいソースをかけるのって、けっこう海外では見かけるみたいだね。ほどよく溶けたアイスが濃いめのソースと混ざって、絶妙な味わいに変化するんだよ。あの店に行ったら、僕は必ず頼んでるんだ」
「ふーん。そうやって、ナンニンノオンナノコヲ泣かしてきたのかな?」
「なんで急にカタコトの日本語になるんだい?」
「さぁねー」
マリアの腕がスッと僕の腕に絡みつく。
今日の僕は少し緊張していた。先日、
「なぁ、マリア……」
「ん?」
突然「
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ。ほら、水族館に着いた!」
僕は絡みついていたマリアの腕を解き、手を繋ぎなおして歩いた。
彼女の手は温かかった。
水族館は何年ぶりだろうか……子供の頃の記憶しか無い。大きな水槽に種類豊富な魚たちが泳いでいるイメージだったが、今の水族館は小窓から覗くタイプの水槽が点在し、その中に種類別の魚たちがテリトリーを
「フウセンウオだって! ぷっくりしてて可愛い!」
「そうだねぇ」
「チンアナゴって、ずっと同じ格好なのかなぁ?」
「疲れないのかね。潜って横になったりした方が楽そうだけど」
そんな解釈は、チンアナゴたちにとったら大きなお世話かもしれない。砂からニョキっと体を出して、ゆらゆらと水の世界を
小さな水槽の中には一種類の魚しかいないのかと思っていたが、どうやらそれも解釈違いだったようだ。チンアナゴそのものだって色や柄が違う。説明文を見れば、ニシキアナゴとかホワイトスポッテッドガーデンイールとか、思ったよりもややこしいじゃないか。その
「あっ! チンアナゴが泳いでる!」
「どこ? あぁ、本当だ。小さなヘビみたいだね」
想像以上に癒しの効果が絶大だ。水族館って、こんなに楽しい施設だったとは思わなかった。マリアも喜んでいるし、ちょっと別の水族館も行ってみたくなる。
一通り楽しんだ僕たちは、水族館を出てカフェで休憩しようということになった。ここの施設は展望台もあって、街を一望できるというカフェが人気スポットの一つにもなっている。今はまだ明るいが、夜景の見える時間帯になるとカップルがどっと集まり、絶妙に設置された二人掛けのソファが満席になるほどだった。
「すっごい楽しかったね!」
「あぁ、こんなに癒されるとは思わなかったよ。他の水族館も行ってみたくなるな」
「今度、クラゲだけ展示してる水族館に行かない?」
「そんなのもあるの?」
マリアはフィリピン生まれのせいか、海に
フィリピンはダイビングの盛んな国だし、きっと日本では見られない珍しい魚とかもいるのだろう。彼女と一緒にダイビングっていうのも悪くない。
マリアに「ダイビングとかはやるの?」と聞いたら、意外にも「泳げない」という答えが返ってきた。子供の頃に、海で溺れたことがあったようだ。ビーチへ吹き込む海風や熱帯魚は好きだけど、事故に遭ってからは海に近づかないようにしていると語ってくれた。
長い間、家族同然で接してきたつもりだが、まだまだマリアについて知らないことは多い……まぁ、ジェーンのこともそうだったけど。
だいぶ日も傾き始めてきた。
僕は「どうする? このまま夜景でも見ていくかい?」と聞いたが、マリアは「ベイエリアまで行きたい」と言い出した。ここからベイエリアまでは、車でも電車でも同じような所要時間で行けるが、施設の横を流れる川に沿って水上バスが出ているのを思い出した。僕は「じゃあ、あれに乗っていく?」と、席から見える
「気持ちいいー!」
「思ったよりスピード速いね。寒くないかい?」
「うん! 大丈夫。見て! 綺麗だよ!」
黄昏どきのビル群から、点々と小さなライトが光り始めた。その奥ではオレンジから赤へと映える夕陽のグラデーションが流れ、見ていて飽きることのない景色が広がっている。寒くないとは言っていたが、僕は羽織っていたジャケットをマリアの両肩に被せて寒風から守った。
「川を下ると、あっという間にベイエリアまで着いちゃうね」
「こんな移動手段があったとはねぇ。運賃も安いし、天気のいい日なんかはコレで移動するのも悪くないな」
「あー、フタヒロだけずるーい! 乗る時は私にも声をかけてよね」
「仕事で使うんだぞ。遊びに行くわけじゃないんだから」
「じゃあ、私も探偵になろうかな。あ、助手でもいいよ。ワトソン君みたいに」
「今の仕事はどうするんだよ?」
「自営業みたいなもんだから、いくらでも融通は利くわよ」
助手か……確かに、僕一人では限界があるからなぁ。
海浜公園と名付けられた人口的なビーチにも、ここから見える街の夜景を見て愛を語り合うカップルが何組かいた。僕もマリアもスニーカーだったので、砂地など気にもせず波打ち際まで歩いた。
「フタヒロ、今日は楽しかったよ!」
「僕もだよ。ありがとう」
「……夜景、綺麗だね」
「そう……だね」
僕はまだ、とても大事なことを解決していなかった。マリアの言ってた「今日はフタヒロとの特別な日」という謎が残ったままなのだ。いい雰囲気なので、何事も無かったように特別感だけを与えて今日を終えてもいいかと考えたけど……いつ「何が特別だったかわかってる?」とか聞かれると怖い。
「フタヒロ……」
「うん?」
不意にマリアの歩みが止まった。僕は振り返って「どうしたの?」と、
考えてもダメだ。僕は悩むことを諦め、意を決してマリアの口元に左の人差し指を添えた。思っていた感触と違う反応をした彼女は目をパチっとさせて、少し怒ったような口調で「もーう」とぼやいた。
「ごめん」
「……私は、ジェーンがフタヒロの中に残っていても平気だよ」
「いやっ! 違う、そうじゃないんだ! ごめんって意味がそうじゃなくって、ほんとごめん。えっと、何を言ってるんだ僕は……」
「なによー? 私じゃなくて、別に好きな人でもいるの?」
「違うから! どうしても知りたいことがあるんだよ。その……ごめんな、本当にわからないんだ。マリアの言ってた特別な日っていう意味が」
僕は観念した。
すると彼女は、さもありなんという表情でクスクスと笑い出した。
「マリア?」
「ふふふ……やっぱ、わからないよね。前から言ってたわけでもないし、あの時のフタヒロは私に興味なんか無かったし」
「え? それって、どういう……?」
マリアに興味が無かった頃の僕? でも、ジェーンに夢中だった頃の僕を言っているわけでもなさそうだ。となると、初めて二人に出会った頃のことを言っているのだろうか……やはり謎だ。
「大丈夫だよ、わからなくて当然だから。私だけの……個人的な記念日なの」
「…………」
「今日はね、フタヒロが私とジェーンを助けてくれた日なんだ」
「…………!」
今日だったか……フィリピンパブを拠点にした売春グループの本店へ押し入った強制捜査の日。摘発した連中は過去最大の人数だったこと、グループを仕切っていたボスも逮捕できたこと、不正入国で隠れていた女の子たちの中にジェーンとマリアがいたこと。他にも印象深いことが多かった日だが、それが今日だったことは覚えていなかった――。
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