第7話

「顔見せ?」

「はい。今日は他の子たちは歌練していて、私だけ抜けてここに来ているんです。プーさんのことは、軽く事情は話したんですけど、まだみんなに紹介してませんし」

 ビジネスパートナーとしての関係を築くためには、必要なプロセスだろう。顔も見たこともないような相手の言う事は、なかなか信じにくいだろうし。

「例のライブハウスで練習してるのか?」

「はい。昨晩、神岡さんから連絡をいただいて、急遽スタジオが空いたから練習しないかって声をかけてもらって・・・」

 早速、例の強権を発動しているようだ・・・。あの人、結構行動が早いんだよな。意外と仕事ができる人なのかもしれない。

「てことは、この後はライブハウスに行くのか?」

 大伴がここに一人で来たということは、おそらくこの後『顔見せ』とやらをライブハウスでするのだろう。俺が会ったことがあるのは大伴と石上だけで、あとの三人はライブで顔をみただけで直接的な繋がりはない。とは言っても名前と顔は一致するくらいにはわかるので、実際に会えば、さほど困惑はしないはずだ。最近のアイドルは構成員が多すぎて全員を把握するなど到底できないので、やはりアイドルは五人くらいが丁度いい。メンバーカラーとかもあるのだろうか。あるとするなら、五人分のペンライトを買わなくてはいけなくなる。

「はい。ご足労いただきますけど・・・」

「ああ、いいよ。それくらい」

 申し訳なさげに話す大伴に気を遣わせないように、努めて明るく受け応える。実際、口実でもないと店に篭りきりになってしまうので、たまの外出は外部からの刺激を受けるいい機会だ。

「ありがとうございます。では、行きましょうか」

「ああ。・・・っと、ちょっと外で待ってくれ」

 大伴が店を出るのを確認してから、店長に声をかける。出かける時は場所と帰る時間を伝えねば。

「店長ー。少し出かけますね」

 返事はない、ただの屍のようだ。・・・なんてことはなく、ただ単に聞こえていないだけなのだろう。そんな時は大抵、他の作業をしている。厨房のさらに奥、書斎がある部屋に足を進めると、何やら書き仕事に没頭する店長の姿が見えた。小窓から差し込む光に当てられている姿は、先程大友に戯れで言ったことを思い出させた。この世のものとは思えない神々しさに、つい声をかけるタイミングを逸してしまった。いまだにこの人に話しかけるということに躊躇を覚えてしまうが、おそらく誰もがこの光景を目にすれば、犯してはならない禁忌の領域に足を踏み入れるかのように錯覚するだろう。二、三度深呼吸をして、ようやっと腹が決まる。

「店長」

「ん?・・・ああ、あなたでしたか。何か用ですか?」

 ペンを置いて、こちらに向き直しながら答える店長。どんな時でも、会話をするときは必ず正面を向いた状態で話を聞いてくれる。注意しなければ気づかないほど些細だけれど慈愛に満ちた心配りが、今まで築き上げてきた店長の人望の厚さの根幹にあるのだろう。

「大伴と少し出掛けてきます。もしかしたら帰りは遅くなるかもしれないので、夕食は外で食べてきます」

 終わり時間が見えない仕事なので早めには帰れない想定をして、それを伝えると店長は何やら思案顔をしている。数秒考えた後に、パッと顔を上げた。

「そうですか。それなら、私も今日は外食しようと思います」

「え?」

「普段は自宅で食事することが多いですから、たまにはいいでしょう?」

 基本的には自炊を心がける我が家なので、外食、ましてや二人でなんて過去にも数回しかない。店長は何かと目立つ人なので、飲食店に行こうものなら声をかけられるに留まらず、ある店では『店長からお代は頂けない』と言って、タダ飯を半ば強要されるような対応をされたこともあった。その時の店長の申し訳なさそうな顔は、今でも鮮明に思い出せる。同じく自営業という分類で働く者として思うところがあったようで、その出来事があって以来、外食することもめっきり無くなった。義理や人情だけでは経営は成り立たないことは、店長が誰よりも知っている。それに、ある個人にだけ特別な対応を取っていると認識されることは、その店にとって大きなマイナスになりかねない。

 そんな店長が、外食をしようと言い出したことに疑問が残る。それが表情に出ていたのか、店長がフッと微笑みかける。

「心配しなくても、ちゃんとお金は支払いますよ。それに、個室のあるお店を選べば話しかけられることもないでしょうし」

 どうやら、俺の心の中まで読まれているようだ。

 ため息をついて肩をすくめると、それを了解のサインと受け取ったようで、待ち合わせ時間と場所を決めて店長は再び仕事に戻った。

 一抹の不安を抱きながらも店外に出ると、店のフロントガラスの前で何やら身振り手振りをしている大伴の姿が目に入った。無人島で救助船でも見つけた時のような必死さがその活発に動く体躯から溢れ出していた。UMAや幽霊に遭遇したような気分で、恐る恐る背後から近づくと、その奇妙な動きはどうやら何かの振り付けのようで、目の前のフロントガラスに映し出されたもう一人の自分の姿を確認しながらダンスの練習していた。どうしても贔屓目で見てしまうが、それを差し引いたって十分に良い出来だと思うが本人は納得していない様子で首を傾げながら、何度も繰り返し向上を図っていた。邪魔をせずに見守ってやりたい気持ちは山々だがそうもいかない。

「おーい。大伴ー」

 背後からさりげなく、今来たかのように声をかけると、大伴は小動物のように体を跳ね上がらせた。

「ひゃっ!・・・なんだ、プーさんでしたか。いきなり声をかけないでください!ビックリしましたよ!心臓が飛び出るかと思いました!声をかけるときには、前もって言ってくださいよ・・・」

「それじゃあ、前もっていうときにも前もって言わなくなるぞ」

「じゃあ、その前に声をかけていただけたら・・・。って、あれ?」

「・・・やめやめ。これ以上は不毛だ」 

「あはは・・・、そうですね」 

 大伴は持参していたリュックからタオルを取り出し,汗を拭いながら花壇のレンガに腰をかける。夏の足音が聞こえ始めたこの頃にしては涼しい風が頬を撫で,ともすれば肌寒く感じるが額や首筋に滲むその汗からそのハードさは窺える。

「お話は終わったんですか?」

「ああ。滞りなく」

「そうですか〜,普段は店長さんとどんなお話するんですか?」

「普段か,そうだな・・・」

  ふと,普段の生活サイクルについて鑑みる。日中は基本的に店長と客の関係(客といってもタダコーヒーを飲んでいるだけだが)で営業終了後は本業の方で何かと作業していることが多い。専ら会話する機会があるとすれば朝夕の食事の時くらいのもので,店長の意向で食事はできるだけ共にすることにしているので,何かあるとしたらその時に話はするが、テレビもなければスマホも持っていないため話題の提供もままならない。だから、他人にいざ言及されると答えに窮する。

「・・・あー、ロマン主義の勃興と衰退が及ぼした影響についてとか、生産年齢人口の減少と国力低下の関連性についてとか・・・、まあ、色々と、な」

 そう、色々あるのだ。色々と。詳しくは言えないが。

「はえ〜、なんか難しそうな話をしてるんですね・・・。プーさんって意外と社会派?なんですね。すごいな〜」

「ま、まあな・・・。つーか、早く行かなくていいのか?」

「あ、そうでしたね。じゃあ、行きましょうか」

 なぜか、なぜだか大伴の目を見ることができないが、そんな日もある。若干無理やり話を逸らした感が否めないが、気にしない。忘却こそが人類に与えられた最高の機能だ。

 照れ臭そうに笑う大伴を尻目に駅前に向けて歩き出すと,触れてしまいそうな程にピッタリと左肩に添うように駆け寄ってくる。ふわりと立ち上った爽やかなジャスミンの香りにドキッとし,思わず半身退けぞってしまう。キョトンとした眼差しで向けられるが,何でもないと首を横に振り再び歩き出した。

 ・・・今日は暑いな。

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