第6話

神岡さんと打ち合わせをした翌日。今度は大伴が一人で店に訪れた。三回目ともなれば勝手知ったると言った感じか、初回ほどの緊張はない。

「昨日はありがとうございました!昨晩神岡さんから日程のこととか、・・・あと可愛いお名前のことも聞いちゃいました」

 からかうように話す大伴が見せた悪戯な笑みは、店長が見せたそれとはまた違った魅力に溢れたものだった。つい目を逸らしながら、しどろもどろに言葉の接ぎ穂を探す。

「あー、悪いな。今まで名乗らなくて」

「いえいえ、お気になさらず。このお店のことは噂で聞いていたので、あまり私から名前を伺うのは悪いかなって思ってただけなんです」

「そんなに有名なのか?この店・・・っていうか店長のことは」

「もちろんです!店長さんはこの街のご意見番なんですよ!いいえ、この街だけじゃなく、もっと広い範囲に知れ渡っているかもしれないですよ!」

 サムズアップして力説する大伴に、椅子を退いて距離を取る。そんなに近づいたら顔が当てるっての。

 店長に拾われてからの生活は、基本的にこの店で完結していた。もちろん食材や日用品を買いに出かけることは多々あるものの、逆に言えば用事でもない限りはずっと引きこもり状態だ。ネット環境はおろか、テレビも備わっていないこの店では外の世界に触れることもなければ街の噂を聞くこともなかった。改めて考えると俺たち、世捨て人みたいな生活してるな・・・。俺に限って言えば、ただのニートだし。

「これは前に神岡さんから聞いた話なんですけど・・・、ここの店長さん、政界にも通じてるとかなんとか」

「ん?・・・ああ、その話は本人から聞いたよ。友達が衆議院議員になったって話だろ」

「はい。けどそれだけじゃないんですよ」

「・・・まだなんかあるのか」

「実はですね・・・、神岡さんのお友達は無所属の無名候補だったんですよ!普通当選するはずないじゃないですか!」

 確かにおかしな話だ。衆院選ともなれば、議席のほとんどがなんらかの政党に所属している候補者で埋められるし、バックについている政党が大きければ大きいほど、その議席を取る可能性も高まる。なぜなら、いわゆる三つのばん、地盤・看板・鞄が備わっているからだ。鞄とは資金のことだが、一定の支持者を有する地区、全国的に知られている名前、潤沢な活動資金。選挙とは簡単に言えば票取りゲームなのでこれら三要素が備わっていなければ、まず勝つことは難しい。稀に無所属の候補者が勝つこともあるが、これは元々の知名度がずば抜けていたタレントだったり、潤沢な資金が有ったりで大政党に匹敵するほどの三つのばんが初めから備わっていると言うだけの話で、それすらない無名候補者が勝つ道理などないはずだ。事実、参院選ではタレント出馬が多い。参院選だと衆院選とはまた違った枠組みのもとで行われるので、一括りにまとめることはできないが・・・。それに無所属では政党の名前で決まる比例復活もできないはず。・・・何、この無理ゲー。この状況で出馬した神岡さんの友人も友人だが、この状況をも覆した店長の辣腕に驚愕を禁じ得ない。スタンドプレーとは最も縁遠い、多数派が勝つゲームで果たしてそれが可能なのか?俺だったら、と考えても自分以外の候補者を全員暗殺するくらいしか思いつかない。もしそれを実践しても、中止になるか期日を延長しての再選挙か。よしんば選挙がそのまま行われて当選しても自分以外の候補者が死んでたら真っ先に疑われ連座制で当選取り消し、刑事罰に問われることになる。結局、俺だったら勝たせることはできそうにない。というか、店長以外の誰がこんな偉業を達成できるんだ。

「だから、店長さんが政界の偉い人とのコネを使って当選させたんじゃないかって」

「あり得ないだろ・・・って言いたいところだが、店長だしな・・・」

 あの人ほど謎に満ちた人も、まあいないだろう。数年一緒にいる俺ですら本名を知らないんだから。実際は、訊くのがただ怖いだけなのだが。こうも時間が空いてしまうと、何か特別なきっかけでもないと、なかなか切り出しづらい。そうやってどんどん先延ばしにしていった結果が今なのに、全く、我ながら懲りない男だ。

「そうなんですよ〜。他にも・・・」

「まだあるのか・・・」

「もちろんですよ!なんでも、この間のテーマパークの誘致も店長さんの鶴の一声で決まったとか」

「は?まじで?」

 そのテーマパークとは我が県が唯一他所様に誇れる、世界的に有名なキャラクターの世界観を忠実に再現したもので、そのキャラクターならではのアトラクションも数多く存在し来園者を楽しませている。実際に行ったことはないのだが、一日では全てのアトラクションを周りきれないという、どこかで聞いたような文句が巷で流れているほどには広大な敷地を利用しての大掛かりのものになっている。元々は海外発祥のアニメなのだが、このテーマパークは、各国にあるうちの日本支部と思ってくれれば理解も早いだろう。世俗に疎い俺でも名前を知っているほどには世間に広く浸透しているようで、休日になると最寄りの駅では乗車率二百%を超えることもあり、この県は随分な経済効果を享受しているようだ。そういえば店の本棚にこのアニメの日本語訳版の小説が蔵書されているのを思い出し、合点がいった。店長もこういうな本読むのかと、勝手に親近感を覚えたのだが、今思えば完全に仕事のための参考資料だった。

 大伴は何度も大きく頷き返す。なんか圧が凄い・・・。

「まじです。開園式の写真がホームページに載ってたんですけど、端の方にちょこっとだけ写ってました。ほんとに端っこだったんですけど、あの美しい女性を見間違う訳ないと思います」

 美しいという点は異論を挟む余地はないが、一つだけ訂正しなければいけないところがある。おそらく、店の裏で休んでいるであろう店長に聞こえないように小声で話す。

「あー、店長な、女性じゃないかもしれないんだ」

「えぇ!? どういう意味ですか!?」

 俺の意図を全く汲んでくれず、怒号を轟かす大伴。ただ、その反応も無理はない。俺だって同じことを聞かされたら、ブラジルまで届く絶叫を上げるだろう。

「しっ!静かにしろ。店長に聞こえちゃうだろ」

「ああ、ごめんなさい・・・。つい驚いちゃって・・・」

「気持ちはわかるけどな。それに、店長が男だって言っている訳じゃない」

「へ?ますます意味が分からないんですが・・・」

「実は、俺も店長の性別・・・、それだけじゃないけど、あの人に関することは何も知らなくてな・・・」

「は?家族じゃないんですか?」

「いや、一応家族だけど・・・。ていうか、何でそのこと知ってるんだ?

「神岡さんから聞きましたし、噂でも耳にしたことがあります」

 また噂か・・・。ここまで情報が広まっているとなると、少しというかかなり鬱陶しい。噂、と言う点が何より煩わしい。話している誰もが、無責任にその内容を口にし無自覚に広めていく。 とりわけ店長のことだ。根も葉もなくとも華があるから余計に奇異の目に晒される。そのことで見えない誰かが傷つくことなど、まるで気にも止めない。自分の暇潰しやささやかな好奇心を満たすために、他人のプライバシーなど取るに足らないと言わんばかりに。なんて無責任な奴らなのだろうか。

 しかし、ここで愚痴を吐いてもしょうがない。込み上げた怒りを嚥下して、話を進める。

「悪い、誤解させる言い方だったな。俺が言いたかったのは、どっちかは断定して話を進めない方がいいってこと。何なら、店長のことは天使だと思った方がいいかもな」

「天使?それくらい綺麗ってことですか?」

 首を大きく傾げ、頭上にハテナを浮かべている。

「それもあるけど・・・、例外はいるけど、ほとんどの天使は性別ないから」

 あと、悪魔も。

「へ〜、そうなんですね。分かりました!私も店長さんのこと、天使って思うようにします!」

 この子、簡単に人の話を信じすぎでは?いや、別に疑って欲しいわけではないけれど・・・。ここまですんなり話が進んでも、逆に不安になる。将来、悪い人に騙されないか心配だな・・・。

「とにかく、もし店長と話す機会があったとしても、あまりそこに触れない方がいいかもな」

 過去を明かさないという店長の思想に、余人がとやかく言う権利は無い。そこにはきっと、知られたくないことや触れられたくないことがあるはずだからだ。それこそ墓を明かすようなことはしたくはない。

 仕事をする上で、個人情報を開示しないという方針は、確かに筋が通っているし理解もできる。けれど、それだけではないということも薄々分かっている。それなら、俺に話をしない理由にはならない。神岡さんは、あまり他人に干渉しないという俺の性質を肯定してくれていたようだが、今回に限ればマイナスに作用しているようだった。

「でも、家族なら色々話した方がいいと思いますよ。私もよくお母さんに悩みとか話しますし」

「・・・そうか?」

「そうですよ!きっと店長さんも待っているはずです、プーさんが訊いてくれる時を!」

「でもなぁ・・・。きっかけがないと、なかなか・・・」

「何言ってるんですか!家族との会話にいちいちきっかけを探す人がいますか?」

「む・・・」

「それに、店長さんが、訊いて欲しくないって言ってたんですか?」

「・・・言ってないけど」

「じゃあ、なおさら訊いてみるべきです!そんなことで壊れちゃうような間柄ではないでしょう?」

 大伴の説得はもっともだった。要するに、俺が臆病なだけなのだろう。俺を拾ってくれて、あまつさえ、あのような言葉をかけてくれた店長にさえ、俺は踏み込むことが出来ない。踏み込んでいいのかも分からない。果たして、今の俺にはそれだけの覚悟と権利があるのか、その確証と資格を持ち得ているとは到底思えなかった。

 でも、少しだけ、ほんの少しだけ、踏み込んでみよう。

「・・・うん、分かった。ちょっと頑張ってみるわ」

「はいっ。陰ながら応援しています」

「・・・じゃあ、今日はありがとうな、相談乗ってくれて」

「いえいえ、こちらこそ力になれて嬉しいです。では、私はこれで・・・」

 満足げに席を立つ大伴。その背中には充足感と自信に頼り気に満ちていた。店内を後にするその背中に、百戦錬磨の戦士を戦場に見送るような、そんな感傷に浸っていると、くるっと踵を返し、先程まで座っていた席に座り直す。

「って、違いますよ!私が相談しに来てるんですから!」

「ああ、そうだった。すっかり忘れてたわ」

「もう、困りますよ〜」

 うっかりすっかり忘れていた。あまり時間をかけていても仕方がない。

「んじゃ、まあ、本題を聞こうか」

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