第5話

店の奥に設置されている応接室に通され、お茶を頂きながら話に興ずる。応接室はアバンギャルドな見た目の店構えからは考えられない質朴な作りをしていた。大事な客を通す場所は流石に配慮しているのか、見た目とは裏腹に根は真面目な人なのかもしれない。校長室にありそうな革製のソファに腰を掛け、お茶を啜る。日頃、コーヒーしか口にしないので温かいお茶というのも新鮮に感じられる。真向かいに座っている神岡さんは背もたれに深く寄りかかり、随分リラックスしているように見える。まあ、元から緊張なんてしてなかっただろうけど。

 本題に入るため湯呑みをテーブルに置き、姿勢を正す。

「それで、ライブの日程ですけど・・・」

「ああ、そうだったな。それで、いつがいい?」

「いつと言われましても・・・、そういや、いつがいいのか訊いてなかったな・・・」

 ・・・俺はこの場に何しに来ているんだ。頭をガシガシと掻きながら、自己嫌悪に陥っていると神岡さんも同じ気持ちだったのか、愛想笑いとも呼べないほろ苦い笑みでため息をついていた。

「お前さ・・・、あの子らに信用されてんのかされてないのか分かんねえよ」

「俺も分かりません。向こうは俺のこと、猫の手って思ってるらしいですよ。俺も、出来ることなら猿の手なら良かったんですけどね」

 即座に切り返すと、今度は失礼なほどの大笑いが部屋中に響く。

「ハッハッハ!お前、面白いこと言うな」

「え?はあ、どうも」

 なんだこの人。もしかして関わっちゃいけない部類の人なのでは?

 そんな俺の困惑も露知らず、神岡さんは深く座っていた体をぐいっと前のめりにして俺の両肩をがっしりと掴む。

「僕も個人的には、あの子たちに人気になって欲しいんだ。だから、店長特権を行使しよう」

「はぁ・・・?店長特権・・・?」

 何とも要領をえない単語に疑問符を浮かべる。勝気な笑みを浮かべる神岡さんとは対照に終始困惑している俺だった。

「ライブのスケジュールは決まっちゃうと動かすことはできんが、スタジオなら優先的に使わせてやる」

「いいんですか?そんなことしちゃって・・・」

「いいわけないだろ。だから・・・内緒な?」

 何て楽しそうな表情をするんだ、この人は。勝気な表情を見たらこっちも自然と唇が歪んでしまう。

「できるならあの子たちにも内緒にしておきたい。余計な負い目を感じさせたくないからな。汚れ仕事は僕

たち大人がやればいい。・・・お前、携帯持ってるか?」

「いや、持ってないっす」

「はあ!?お前、この時代でどうやって生きてるんだ?原始人か?」

 とんでもなく失礼なことを言われているが、一旦スルー。

「あー、うちの店長が携帯・・・ていうか電子機器全般使えなくてですね、電子レンジも使えないほどなんですよ。それで、俺が連絡取り合う相手は店長くらいしかいないんで、だったらいらないかなって」

「お前んとこだけ、現世から隔絶されてるな・・・。ま、それはそれでいい生活ではあるんだろうけどな。ある種、羨ましくもある」

「そうですね。うちは色んな意味で静かですから。居心地も良いし」

「・・・なるほど。店長にとってもお前がベストだったのかもな・・・」

 どこか遠い目をしてぽつりと呟く神岡さん。その言葉の意図が分からず、つい問い詰めた。

「それは・・・どういうこと?」

 俺の質問に彼は初めて言い淀んだ様子を見せた。

「あー、こういうこと言っていいか分からないけどよ・・・、店長がお前を家族に迎え入れたとき、かなり噂になってな・・・。あの見た目で仕事が仕事だろ?だから元々噂にはなりやすかったんだが、それでも噂の内容は仕事の話ばかりで、長らくプライベートや浮いた話は一切聞いたことはないんだ。そんな時に、お前のことが噂に上がった。『あの店長が若い男を拾った』みたいな噂がな」

「・・・」

「お前の事故のことはかなり大きく報道されていたから、ここ近辺の人間なら誰もが知っているし、結果的に店長がお前を助けたということも、まあ大抵の人間が知っている。だが・・・」

 一度言葉を切り、お茶を飲んで一息つく。

「中には面白おかしく囃し立てる奴がいた。助けようとしたのではなく、もっと別の理由があるんじゃないのか、とかな。挙げ句の果てには、店長が起こした事故を隠蔽するためにお前を引き取ったとかな。おかしいよな、加害者はすでに捕まっているのに。そんなこともあって、他人ながら妙に心配しちまってな・・・。ダチも世話になったし、何よりこの街の人間を何人も助けてきた人がそんな風に言われているのが許せなくてな・・・。だから、今日お前がここに来ることを聞いて、かなり不安だったんだぜ?もし嫌な奴だったら、色々と複雑だしな。けどお前はいい意味で他人に無関心そうって言うか、過干渉じゃなさそうだし、だから安心したってのが本音だ。・・・悪い、こんな話をして。お前としては思い出したくもないことだろうしな。事故のことは本当に残念だと思っている。もし気に障ったなら謝る」

 先程までの軽薄さを感じさせない、真摯な声色だった。下げられた頭も膝につくんじゃないかと思うほど重くもたげ掛かっている。

 確かに、この人とは今日が初対面でまだ一時間程度しか会話していないけれど、悪い人ではないことは分かっている。周りの人が言いにくいことを俺相手に面と向かって話してくれたということも。今の話だっていつかは聞かされていたであろうことを今日聞いたに過ぎない。むしろ、この人の口から聞けたことが何よりの喜びですらあった。

「大丈夫ですよ。別に気にしていません。俺にとっては店長が助けてくれたという事実が全てなんです。他人がどうこう言おうが関係ありません。むしろこのことをあなたの口から聞けて良かったです」

「・・・プー、お前、めっちゃ良い奴だな・・・」

 心の友よ!とか言い出しながら抱きついてきそうだったので、できるだけ距離を取る。この人、若干涙目になってるんですけど・・・。

「よし、決めた!」

 重苦しい雰囲気を払拭するように、一段とテンションを上げて立ち上がる神岡さん。

「漢、神岡。お前の兄貴になる!」

「・・・はあ?何言ってんすか?」

「お前の家族は店長だけじゃないってことだよ!僕のことも兄貴だと思って、いつでも頼ってくれ!」

「いや、いやいやいや。意味わからないし。弟にならないし」

「釣れないこと言うなよ、兄弟!」

「・・・ウゼェ」

 こんなやりとりがあと数時間続いたのだが、それはまた別の話。



 本題に入る頃にはもう陽が傾いていた。途中から何しにきたのか目的をすっかり忘れて、

一緒にランチを食べに行ったり、弟にならない代わりに携帯を買ってもらいメル友になったり、ゲーセンで二人でレースゲームをしたりとすっかり時間を使ってしまった。存分に遊び倒してライブハウスに戻った時になってようやく今日の仕事を思い出し、彼女たちのスケジュールを決めた。彼女たちに何も連絡を入れずに、神岡さんから彼女たちのライブのスパンを聞いて参考にしてしまったが、俺に日付を指定しなかった向こうにも非があるのでトントンと言うことで。

 紆余曲折は経たものの、なんとか初仕事をやり遂げられた。彼女たちに連絡したいところだが手段がないので、向こうが店に来るまで完全な受身状態になってしまうが次会った時は携帯番号でも交換しようと、手のひらの慣れない重みに目をやりながら、そんなことを思った。

 その晩、ひっきりなしに鳴る携帯を確認すると『お兄ちゃん』と勝手に登録されていた、たった一人のメル友から洪水のように次から次へメールが受信されていた。ライブに関することだろうかと思っていたがそんなことではなく、自炊と思われる妙に美味しそうな晩御飯の写真だったり見ていたテレビの内容だったりで、いい歳したおっさんが女子中学生みたいなメールを送ってきていた。気持ち悪さを感じつつ、一言、『おやすみ』とだけ返して眠りについた。

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