第4話

穏やかな陽射しに心地よい時つ風が頬を撫で、うっすらと額にかいた汗をぐいっと拭い天を仰ぐ。今日は出かけるには最適な日だった。ジリジリと肌を焼くような陽射しはなく、目を瞑れば数瞬で眠りに落ちてしまうような、そんな緩やかな温もりだった。

 例のライブから一週間、彼女たちから連絡はなく漫然とした日々を送っていた。とは言っても図書館で運営について勉強をしたり、以前会った二人以外のメンバーの顔と名前が一致するくらいにはライブ映像を鑑賞していたが。

 しかし、運営について調べてみると予想以上に多忙で、本当に彼女たちだけで回せていたのか甚だ疑問を覚えた。箱を押さえることは勿論、機材や動線の確認、当日歌う曲ごとに演出も変えなくてはいけない。大きなスタジオや有名な店でのライブならプロの演出家やPAがいい感じにしてくれるそうだが、当然そんな場所でライブできる程の知名度も金もない。そのためのセットリストや彼女たちの歌の後ろで流すCD音源も作成しなくてはいけないし、さらにはグッズを含む物販の取りまとめや告知と宣伝。ライブが終わればそれら全ての撤去。ライブを行うだけでもこれだけの作業量。全体としての運営を考えるとさらなるタスクが山積しているであろうことは容易に想像つく。大見得切って息巻いたはいいものの、ここまでの仕事量とは思わなかった。店長のおかげで現在の俺はスーパー俺なのだが、早くも意気消沈しそうだ。安請け合いは良くないとあれだけ言い聞かせていたのに,結局は自分の安請け合いのツケが返ってきた。逃げ出したい気持ちは山ほどあるけれど、これは仕事だ。顧客の満足度を高めるためにベストを尽くさなくては。何より俺の不手際で店長の評判が下がることは避けなくてはいけない。店長はああは言ってくれているけれど、甘えるだけが家族ではないはずだ。互いを助け、互いに迷惑をかけ合う。そのためには寄りかかられても倒れないだけの強さが必要だ。その強さを得るための仕事と思えば、これくらい苦行でもなんでもない。

 閑話休題。昨晩,図書館で借りた本を例のごとく店で寛ぎながら読書をしていると一週間ぶりに大伴が石上を連れて店に顔を出した。今日まで連絡が取れなかったのはメンバーの多忙さ故だろう。やはり学生とアイドルの二足の草鞋は相当ハードなようで、休日にパフォーマンスの練習をするため平日の夜は各自バイトで活動費を稼いでいるそうだ。スポンサーも後援会も無い以上,自分たちで活動費を稼ぐしかあるまい。ちなみに大伴はファミレスで石上はアパレルの販売員で働いているらしい。それで、明日・・・今の時間軸だと今日の話だが、次回のライブの予定を交渉するためにライブハウスの店長と話をするそうだ。先週にライブを行ったばかりだというのに随分と急ピッチだと思ったが早計だったようで、あのライブハウス自体の開催頻度が少ないため早めに予定を入れないと下手をすると半年後や一年後に回されてしまうということで、俺がその交渉役に任命された。他のメンバーは振り付けの打ち合わせが入っているため、俺一人での交渉になる。アポはすでに取っているとのことであとは時間に間に合うように店に向かって、話をつければいいということだ。

 そして現在、ライブハウスに向かう道中。喫茶店が少し外れた場所に位置しているため駅前に向かうとなるとそれなりの距離になるのだが、今日のこの陽気のおかげで苦にはならなかった。むしろ、こういった理由でもないと運動する機会もないので怪我の功名といったところか。とにかく遅刻だけは避けようと、こまめに時間を確認しながら店に向かう。この陽気で足取りがゆっくりとしたものになってしまうが、今はただの散歩じゃない。頬を二、三度両手で叩いて気合いを入れる。

 そうこうしているうちに店の前に到着した。以前は辺りが暗くなってから来たので店の外観を見ることが出来なかったが、明るいうちに見ると黄色や紫を基調としたかなりサイケデリックな様相だった。ライブハウスらしいっちゃライブハウスらしいのだが、見る人が見ればマッドサイエンティストの実験室だと思われてしまいそうだ。それに駅前の落ち着いた街の景観に一人で反抗している感が否めない。一言で言うと、非常に浮いていた。一体どんな人がこの店の主人なのか、戦々恐々としながら店に入ると主人と思しき中年の男性がわざわざ出迎えてくれた。

「お、君が例の・・・」

 紺色のワイシャツに黒のスラックスといういかにも大人という服装に、そんな印象を全てぶち壊すほどにいくつものネックレスやペンダント、ドックタグなど色味や形が無秩序なままに飾られていた。身につけているだけで首がもたげてしまいそうな程の数だが、当人はどこ吹く風といったような印象だ。

「こんにちは。初めまして」

 警戒心剥き出しで挨拶すると、俺の肩を軽く叩きながら陽気に言う。

「おいおい、そんな固くなるなよ。僕はそういうの苦手なんだよ。敬語もやめてくれよ?フランクにいこうぜ。フランクに」

 初対面で距離感が近い人は漏れなく全員警戒対象なのだが、邪険にしてはこの先の仕事に支障をきたす。

「ああ、まだ名前を名乗ってなかったな。僕の名前は神岡かみおか、この店の店長だ。君は・・・って、あの店は名乗らないんだっけな」

「はい。訊かないでいただくと助かります・・・助かる」

 神岡さんは俺が敬語を直すと満足げに頷く。まあ、追々慣れていこう。それよりも気になることが一つ。

「神岡さん、店長のことを知ってたの?」

 うちの店のルールで、名乗らないというのがある。これは、もし仕事になんらかの損害があり、依頼を遂行できなかったときに個人情報やそれに関することを外部に拡散されないようにするためだ。今の時代、名前一つでなんでも調べることができる。あらゆる過去の経歴はデジタルタトゥーとして電子の海に永遠に残り続ける。それらの追跡を避けるために名前を名乗らずに仕事を受けるそうだ。なんなら俺も店長の名前を知らない。

「一度、ダチが世話になってな。なんでも『当選できたのは店長のおかげだ』って言ってたぜ」

「当選って・・・その人は政治家か何か?」

「ああ、今はシュウギインギインらしいな。まつりごとに関してはよく分からないし、シュウギインがなんなのかも知らないけどな」

 そこそこいい歳してそうなのに・・・。大丈夫か、この人。

「おおっと、勘違いするなよ。一応、国民としての役目は果たしているからな。こう見えて選挙の日はちゃんと投票所に行ってるんだ。ただ、なんの選挙なのかが毎回分からんがな。よく分からんから、一番カッコイイ人に票を入れてる」

 選挙に毎回行ってるだけ偉いと思うが、投票にかかわる以上は政治の勉強は国民の義務なのでは・・・。けれど、二十歳になっても一度も投票しに行ってない俺が他人に義務を説く資格はなかった。そもそも一度も投票通知が手元に来たことがないのだが。

「ま、そんなことはどうでもよくてな。君のことはなんて呼べばいい?あの子たちのプロデューサーを務めるんだろう。そうなったら、僕との付き合いも長くなるだろうし、何か便宜上使える名前でもないと呼びにくい。あの子たちには何て名乗ったんだ?」

「・・・あ、名乗るの忘れてた」

 うっかりしていた。彼女たちから名前を訊かれなかったため、名乗るタイミングを逃していた。

「おいおい、しっかりしてくれよ。あの子らをビッグにするんだろ?気合入れてけよ」

「うっす」

 しかし、この人内情に詳しすぎるでしょ。大伴がどこまで話をしたかが気になるところだが、逆に言えばこの人には一定の信頼を置いていることが窺える。

「さて・・・じゃあ名前をどうするかだな。君は何かつけたい名前はないのか?」

 神岡さんは困り顔で問うてくる。俺も多分似たような表情をしていることだろう。しかし、いざ、自分の名前を決めるとなると答えに窮する。ハンドルネームやゲームで名前を決めるような適当さではお互いに困るだろう。変な名前をつけると呼ぶときも気を遣うだろうし、呼ばれるときも恥ずかしい。互いに思案していると神岡さんが何か閃いたようだ。

「じゃあ、プーさんってのはどうだ?」

 名案、とばかりにドヤ顔をしているが、この人にはセンスがないのか。

「ダメに決まってるでしょ。色々な意味でアウトでしょ」

 夢の国だけは敵に回してはいけないと暗黙の了解になっているはずだ。むしろ暗黙どころか、バッチリ著作権侵害だし。

「誰も黄色いクマの話はしてない。プロデューサーだから、プーさん。分かりやすくてイイだろ」

「それ、分かりやすいだけでしょ。分かりやすさのために色んなもの犠牲にしすぎでは」

「名前なんてそんなもんだろ。文句があるなら自分で考えるんだな。あと五秒以内に思いつかなかったら、プーさん決定」

「え、ちょ・・・」

「ごー、よんー、さんー・・・」

 横暴にも程がある。無茶苦茶すぎるだろ、この人。

 人間は急かされると何も思いつけなくなるのは誰しもが経験あることだろう。そんな状況下では何も出来ないという人類の性に、どうやら俺も例に漏れないらしい。

「分かりました!もう、プーさんでいいですよ!」

 両手をあげて、諦めたというジェスチャーをすると神岡さんはニヤッと嫌な笑みを浮かべた。・・・くそ、腹立つな。同じ店長と言ってもこんなにも違いがあるとは。これが社会に出るということか。

「よし、じゃあよろしくな、プーさん。いや、プー」

「・・・はい。よろしくお願いします。神岡さん」

 肩を落としながら差し出された右手を握り返すと、神岡さんはニカッと笑った。

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