第3話

店内には客がまばらにいる程度で、特別混んでいる様子はない。ポテトとコーヒーを注文してから窓際からは離れた四人がけの席に座り、一息ついた。数分間、ぼんやりと店外の様子を見ていると少女が二人で談笑しながら歩く姿が見えた。一人は最近見知った顔、もう一人は今日初めて見た顔だった。二人は楽しげなまま店内に入り、先に席に座っていた俺の姿を認めると手を振って近づいてくる。ぼんやりと、小動物っぽいなぁと思いながら軽く手を上げて答える。

「お待たせしました!」

 店内であることも気にする様子もなくライブ後とは思えないほどの活発さを見せる大伴とは対照的に警戒心を露わにするもう一人の少女が傍に半歩引いて佇んでいる。スレンダーな金髪ロングのこの少女は確か・・・ライブ始めのコールをしていた娘だ。

「すいません、遅くまで付き合わせてしまって。お時間は大丈夫でしたか?」

「ああ、問題ないよ。それで・・・」

 ちらっと、もう一人の少女の方へ視線を向けると、その意を汲んでくれたようで紹介をしてくれた。

「こっちの娘はみっちゃんです!」

 雑だな・・・。なんの情報も得られなかった。げんなりとしていると、終始居心地悪そうにしていた『みっちゃん』が名前を呼ばれたことで渋々といった感じに自己紹介を始めた。

「アタシの名前は石上いしかみ美香みかです。『brilliant night』のリーダーしてます。・・・この人、誰?」

 『みっちゃん』こと石上美香は、ここに連れられた理由がわかっていないようで隠すこともなくその疑問をぶつける。話していないのか、という視線を大伴に返すと、バツが悪そうな顔をした。

「・・・とりあえず、座りましょうか」


 ライブ終わりの彼女たちの手を煩わせまいと、二人の要望を訊いてドリンクと何個かつまめるようなものを注文する。商品を待っている間に彼女たちの方を見ると、謝り倒している大伴としょうがなさそうにため息をついている石上の姿があった。どうやら話がついたようで、こちらも安心して話に臨めるようだ。一安心して商品を載せたトレイを持って席に戻ると、二人は手荷物の中から何かを取り出す仕草をした。

「あー、金ならいいよ」

 何を取り出そうとしていたかはすぐに察せたので、出させる前に断った。

「でも・・・悪いですよ」

「じゃあ、今日は良いもの見せてくれたお礼ってことで。それでもダメか?」

 その言葉を受けて渋々納得したのか、財布をしまう大伴とは対照に頑として財布を持ち続けるのは石上だった。

「知らない人から奢られるのは嫌。借りとか残したくないし」

「みっちゃん・・・!」

 咎めるような声色で石上の方を見るが、譲る姿勢を見せない。ここで荒波を立てるわけにもいかないのでこちらが折れて、ドリンクの値段だけ伝えた。すると大伴からも不満げな視線を向けられたので、結局両名からドリンク代だけもらった。 

 このままでは話が進まないので強引に話題を変えた。

「とりあえず、自己紹介からするか・・・。数日前、大伴から悩みを相談され、それを解決するために動いている。お悩み解決係みたいなものだ」

 どこまで話したものかと悩んだ末、中途半端で言葉足らずな説明になってしまい石上には納得してもらえていない様子。すると大伴から助太刀が入った。

「私が人気になりたいっていう相談をして、そのお手伝いをしてもらってるの」

 大伴の説明には納得できたのか。しかし石上は率直な疑問をぶつける。

「なんでこの人なわけ?」

「あの喫茶店の人なんだって」

 大伴の説明にぎょっとした様子の石上。その反応を見るにあの店のことを知っていたようだ。

「あの店の人って、すごく綺麗なんじゃなかった?」

 綺麗じゃなくてごめんね。

 説明しないと進まなそうなので訳を話した。

「店長、サブカルとかは門外漢でな。俺の方が適性高いだろうっていう判断で今回は俺が担当する」

「じゃあ、あんたはアイドルとか詳しいの?」

 初対面の男にいきなりあんた呼びとは大した度胸だ。全く、ライブの時の愛嬌はどこに行ってしまったのか。少しでも敬意を持ってもらおうと思い、その質問に自信を持って答える。

「いや、全く知らん」

「じゃあダメじゃん・・・」

 あれ?全く尊敬の念が感じられないけど。

 呆れ顔の石上を宥めるように大伴がフォローしてくれた。

「で、でもいないよりかはいた方がいいでしょ?猫の手も借りたいっていうか」

 どうやら大伴も俺のことを猫の手程度にしか思っていないようだ。胸の痛みを我慢しながら、話を続ける。

「大伴の話を聞く限り、運営に相当困っているようだな」

 二人は考える間もなく首肯した。

「ぶっちゃけ、アイドルのパフォーマンスのこととかは何も分からん。ただ、裏方の仕事ならそこそここなせる自信がある。人気になりたいっていう要望に応えられるかは分からんが運営面でのメンバーの負担を減らすことはできると思う。その分、パフォーマンスの向上に努められるだろう。だから、手伝わせてくれ」

 仕事のことを考えれば嘘でも、人気にさせると言った方がいいのかもしれないが彼女らのパフォーマンスに誓って不実なことをすべきではないと思った。彼女たちと行動を共にする以上、不実も虚飾などの不純物を持ち込むわけにはいかない。

 何より、俺は『brilliant night』のファンになってしまったのだ。仕事を抜きにしても彼女たちの、向こう五十年は語られ続けるであろう伝説の一助になれたらと心から望む。

 依頼された側ではあったものの、自然と二人に対して頭を下げていた。顔を見ずとも二人は驚いた表情をしていたのだろう。ただ、今の俺にできることはこれしかない。

「みっちゃん・・・」

 不安げな声をかける大伴に絆されたのか、石上は諦めたようにため息をついた。





 街灯に照らされた並木通りには二人の少女が肩を並べて歩いていた。不安げな表情を浮かべる長髪の少女とは対照的に楽しげな栗色の少女。なぜそんなに楽しげなのか、栗色の少女に聞いてみることにした。

「友、なんでそんなに嬉しそうなの?」

「え〜、みっちゃんは楽しくないの?」

「・・・あの人、本当に大丈夫?」

「う〜ん、分かんない」

「分かんないって・・・、あんたね・・・」

 呆れたと思うと同時に、友奈らしいとも思った。他でもない、そんな楽観的なところが好きでこのアイドルという道に誘ったのだ。いつでも前向きで仲間思い、太陽のように明るい彼女は自分にはない才能を持っていると思ったから。だからこそ長髪の少女は、売れなきゃ何も残らない厳しい世界であるこの業界に招いてしまったことに罪悪感を抱いていた。その太陽を曇らせてしまうのではないかと、後悔すら感じていた。いつの日か、アイドル活動に挫折したときに責められるのではないかと。彼女はそんなことはしないと頭で分かっていても一度浮かんだ疑念は簡単には消えてくれない。ただでさえ、必要以上の苦労を背負わせてしまっている現状。本当に悩みを相談したかったのは、長髪の彼女の方だった。

 そんな不安を抱えているなど知ってか知らずか、栗色の少女は一層明るく笑う。

「みんなで、人気になろう」

 長髪の彼女はあまりの眩しさに目を細めながら、うん、と頷いた。




 店に戻ると、すでに厨房以外の灯りが落とされて昼間のような温もりはなく森閑とした空気に包まれていた。この辺りは夜になると車通りもぐっと減り、風が窓を叩く音が時折聞こえる程度にしか外部の環境から遮断されていた。

 暗闇の中でテーブルにぶつからないように注意深く奥へ進んでいくと、店長が厨房内のパイプ椅子に腰掛けて読書をしていた。どうやら俺が帰ってきたことに気づいていないようで、声をかけるのを憚られたので回れ右して引き返そうとしたが、不注意にも足音を鳴らしてしまい気づかれてしまった。

「おや、戻っていましたか。おかえりなさい」

「・・・ただいま戻りました」

 店長は読んでいたページに栞を挟み、立ち上がって食器棚からカップを二つ取り出す。

「声をかけていただけたらよかったのに」

「いや、集中してるっぽかったんで・・・」

「そうでしたか。それで、ライブはどうでしたか?」

「思っていた以上に良かったです」

 カップにコーヒーに注がれたコーヒーを受け取りながら、主観が混ざった状況報告をした。『brilliant night』のあまり芳しくない現状、ライブの内容、メンバーの情報。分かっている限りの全てを話してみる。初めて任された仕事にも関わらず初っ端から頼ってしまうのも裏切り行為のように思ったが、店長は嫌な顔一つせず話を聞き続けてくれた。

「どうすればいいですかね・・・」

「ふむ・・・。メンバー全員の話を聞かないと判断できませんが、彼女たち・・・少なくとも大伴さんは本当に人気になりたいのでしょうか」

「え?どういうことですか?」

「メンバーの人たちともっと仲良くなりたいというのが目的なのでしょう?人気になるというのはあくまで手段でしかない」

「で、でも依頼内容は人気になりたい、ですよ」

「それはあくまでも便宜上ということでしょう」

 店長の言わんとすることはわかる。しかし、それはあくまでも読みの域を出ない。依頼を額面通り受け取った方がスムーズに事が進むかもしれない。腑に落ちないことを見てとってか、悪戯な笑みを浮かべる店長。

「まあ、それも一つの考え方ってことです。あまり囚われ過ぎないように・・・。今回の件に限らずこれからの仕事にも言えることですが、吐いた言葉の全てが本心とは限りません。逆に、言わないからといって思っていないわけではないです。特に日本人なんかはその傾向が強いですね。相手に気を遣ったり、自分が傷つかないように」

 黙って首肯する。

「この仕事は相談者の繊細な心を取り扱うわけですし、ここにきた相談者全員が本心を話してくれるわけではないです。言外に含ませたり、遠回しにいう時もあります。というかほとんどの相談者はそんな感じです。私たちはその奥にある意図を汲まなくてはいけません」

 いかにお悩み解決所が相手と言えど、赤の他人に自分の恥部を曝け出すことは中々できない。だからこそ言葉を濁すこともあるのだろう。

「でも、それって難しくないですか?」

「はい、とても難しいですね。かくいう私も未だに勉強中です」

 そう言いながら、手に持っていた本の表紙を俺に見せる。そこには心理学の三文字が記されていた。

 確かに、誰もが相手の真意を汲み取ることができるのならとうの昔に世界平和は訪れている。誰もが相手を慮り、誰もが相手を尊重できれば争いの火種は生まれない。しかし現実はそうではない。悪意を持って他人を排し、害意を持って自分以外を傷つける。互いが互いの心中を完璧に理解できるならそれ以上のことはないが、それができないからこそ俺たちは言葉を尽くし行動で示す。自分の感情を発信することで、あるいは発信しないことで伝えるのだろう。

「この仕事の難しさは私が誰よりも知っています。だからこそ、今までにあなた以外の従業員を雇うことはありませんでした」

「・・・」

「でも、あなたは私の唯一の家族です。どれだけ迷惑かけられても構いませんし、逆に私があなたに迷惑かけることもあるでしょう。面倒ごとを持ち掛けることもあるでしょうし、生涯添い遂げてもらおうと考えてます。なんなら地獄の旅もお供してもらおうと思ってます。我ながら歪んでいると思いますが、それでいいとも思っています。・・・だって家族ですから。あなたのことは世界中の誰よりも信じていますし、期待もしています。悪いところがあれば容赦なく指摘します。来世でも必ず家族になると決めてますし、それが無理なら恋人からでもいいでしょう。・・・それ程までにあなたを愛しているのですよ」

 それは店長から初めて告げられた、紛れもない店長自身の気持ちだった。

 あっけに取られ、継ぎ接ぎだらけの言葉を紡ぐ。

「・・・どうして、俺なんかにそこまで・・・。血縁関係も無いし、戸籍上になんの繋がりも無いじゃないですか。言っちゃえば、赤の他人ですよ。本当に、ただ偶然、あなたがあの場にいただけで・・・」

「共になる運命だったのでしょう。それに血縁はなくとも、血は繋がっているし縁も合ったでしょう」

「そんなの、詭弁です」

「・・・私と共にいるのは嫌ですか?」

「そんなことはないです!店長には返し切れないほどの恩がありますし、この店も居心地が良くて・・・。でも、俺は・・・!」

「大丈夫ですよ」

 赤子をあやすような声にはっとした。聖母のような微笑みを湛えた店長にそっと抱きしめられ、頭を撫でられる。生まれてからこのような扱いをされた記憶はなく、気恥ずかしさから逃れようとするが店長はそれを許さない。

「大丈夫です。そんなに気を張らずとも、頑張ってくれていることはわかりますから」

 多分、この世に俺という存在が始まってから以来の温もりだった。普段コーヒーを飲みながら感じている温かさとは比ぶべくもなかった。抵抗を諦め、目をスッと閉じて温もりを享受する。 

 ・・・ああ。そうか。店長以上に家族が必要だったのは紛れもなく、俺だった。

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