とにかく、最低最悪な1日だった。

くだらない話題を振られては、あのパネルを見せられる。ウンザリだ。

むしゃくしゃして、動きが荒っぽくなる。その度に、体のどこかしらを物にぶつけて、またイライラする。悪循環だ。どうにか抜け出したいのに、なかなかできない。

せめて、にいなと話ができれば……。

そんなことを考えながら、身支度を済ませる。

帰ろ、帰ろ。

撮り溜めてたアニメ見て、元気出そう。

ペンケースしか入っていない、ぺしゃんこのリュックを背負い、教室の外に出る。


「イナミ、くん」


下を向いて歩いていた俺は、突然視界に入ってきた上履きに驚いて足を止めた。ゆっくり顔を上げる。

俺を呼ぶ声は、緊張しているのか、かたい。

うっかり名前を呼んでしまわないように、1つ深呼吸してから声をかける。


「望月さん、こんなところで何してるの」

「あ、あの、話があって。パネルのことで」

「何の不便もないよ。生徒会業務、お疲れ様」


会ったらバシッと言ってやろうと思っていたのに、出てきたのはそんな言葉だった。


「でも、少しだけ聞かせてほしいことが……」


彼女はめげずに、俺の前に立ち塞がった。右から抜けようとすれば右へ。左から抜けようとすれば左へ。鉄壁の防御だ。


「悪いけど、急いでるんだ。本当に何もないから安心して」

「嘘ですよね? 私、今日1日見てたから分かるんです。時折、面倒くさそうな顔をしてました。ウンザリだって顔を」

「それは」

「図星でしょう?」


にいなは俺の腕をつかむと、近くの空き教室に引っ張り込んだ。そのまま、壁際まで誘導される。


「あのさ、帰りたいんだけど」

「話が終わったらいいですよ」

「話って、だから、パネルのことだろ。それなら終わりだよ」


そっけなく告げて、その場を後にしようとすると、にいなが動いた。俺の腰のあたりにギューッと抱きついて、離すまいとする。

想像もしていなかった展開に、俺の脳内はパンク寸前だ。憧れの女の子、恋焦がれていた女の子。

こんな風に近づくことは、もうできないと思っていた。

だから、2人の間にできた壁を壊そうともしなかったんだ。


「……昔みたいに話そうよ。私のこと、宝物だって言って、優しくしてくれたよね」

「そんなことできない。俺は身の程知らずじゃないから」

「身の程って」


彼女の腕に力が入る。それを難なく解いて、距離をとる。

身の程にあった距離を。俺たちに相応しい距離を。


「もういい? 下校時間だし、望月さんも」

「……ね、せめて、望月さんって呼ぶのやめてもらえないかな」

「ダメだよ。この村のルール、知ってるだろ」


名前呼び=好き。好き=名前呼び。

それなら、俺だってルールを破っていることになるのに、自分のことは棚にあげた。


「望月さんだって、俺のこと、名前で呼べないでしょ? あんなパネル、用意しちゃうくらいなんだし」

「そんなことっ」


にいなの目に、大粒の涙が浮かぶ。

やってしまった。すぐに謝るべきだと、心の中の俺が訴える。それを無視して、俺はひたすらに口をつぐんだ。

どれくらい、そうしていただろう。通りすがりの先生がドアをノックした音で、俺たちの間を流れていた空気が変わった。

にいなは乱暴に目元を拭うと、


「それじゃあ、課題はちゃんとやってくるようにね」


と、生徒会長らしい一言を残して去って行った。

その後ろ姿があまりにいつも通りで、さっきのできごとが夢のように感じられた。

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