第10話 初めてのステージの上で
「えっと……」
ステージの上で、スポットライトを浴びたつづりは辺りを見回す。
はた目から見れば心細そうであり途方に暮れているようにも見える。実際、つづりの心の中はパニック状態だった。
「ほら、自己紹介、自己紹介」
ピアノマンが小声で伝えてくる。辺りは騒がしいのに、妙によく通る声だった。
「えっ、あ……あのっ、私、あざ――り、リリックです」
――ワアアァァァァァッ!!!
マイクに向かってなんとか声を出せば、すぐに歓声が返ってくる。
ブルブルと身体を震えさせる振動がつま先から頭のてっぺんまで駆け巡る。その迫力につづりは身体をよろけさせるが必死に立て直す。
ここで膝でも折ろうものなら、二度と立ち上がれる気がしなかった。
「緊張してるー? ほれほれ、リラックスリラックス!!」
「飛び入りなんだから、ぶつかってけよー!」
「でも、この初々しい感じもイイのよねぇ」
「制服姿ってことは学生さんかなぁ?」
いくつもの声がつづりの耳に入り込んでくる。観客席より一段高いステージの上からは、声を発した一人ひとりを見渡すことができた。
つづりを見つめ、これから起こるだろう、パフォーマンスを期待する視線視線シセン――
学校帰りなのか制服姿のままの学生や、私服姿の大学生と思しき人が多い。これだけ多くの人の視線を一身に受けたのは、初めての経験だった。
『お姉ちゃん』に歌を教わったときは、観客は彼女だけだった。
中洲で歌っているときは、つづりを注目する人はほとんどいなかった。
大勢の前で歌ったことはあっても、その人々の意識がつづりに向いたことはない。
――今からここで、歌う?
できるのだろうかと、つづりは自問してしまう。
ステージに上がるのならば、ちゃんと準備をしてこれ以上なく完璧なパフォーマンスをできるようになってから――そう、おぼろげに思い描いていた。
気持ちも意志も、何一つ定まっていないのに。これで失敗なんてしたらつづりの評価は低いものになる。
――こんな状態で歌えるの?
中洲で見向きもされない時は、彼らは忙しいのだと。他に予定や事情があるのだからと仕方ないのだと、言い聞かせることができる。
だが今は――その言い訳はまったく通じない。
つづりの実力がそのまま試させる瞬間でもある。
「あ……」
つづりの膝が震える。歓声の衝撃ではなく背筋を流れる冷たい汗のせいだ。
自然と息が荒くなり、心臓の音が耳元で聞こえるほどうるさく高鳴る。
アイドルに負けたくない――そう思っているのに。
「んん? なんだぁ?」
「おーい、どーしたのー?」
「マイクの故障?」
黙ったままのつづりに異常を感じ取った観客たちがざわめき始める。
期待の視線は徐々に訝しげなものに変わり、そして不審と失望に塗り替えられていく。
「ま、まって……」
つづりの喉から、かすれた声が漏れる。
歌えるのに、どうして身体は言うことを聞いてくれないのか。
このままじゃ、何もできないまま『負け』――
「――え?」
不意に響き渡るピアノの旋律。
押しつぶしてくるような圧迫感がフッと和らぐ。
辺りに膨れ上がるざわめきを優しく撫であげ、なだめるような音。
これ……。
ステージピアノから放たれた曲は、ほとばしる感情を包み込むように。
失望に笑いかけるように、不審を落ち着かせるように流れ出している。
ざわめきは、水を打ったように消えさっていた。
「うそ」
静かだが、力強いバラードを呼び起こさせる前奏。
この曲をつづりは知っている。当然だ。
今日中洲で歌った曲――お姉ちゃんの曲をピアノマンが奏でている。
とうに忘れ去れられたであろう曲を、どうしてこの人が弾けるのだろうか。
一度聞いたきりで覚えたか?
それとも、たまたまこの曲を知っていたのか?
渦巻く疑問が心を縛り付ける。
「いけるかい?」
その疑問の鎖は、よく通るピアノマンの声が断ち切ってくる。
「え、ええ」
そうだった。ステージの上でやることは一つしか無い。
歌うこと。つづり自身の歌声を届けること。
「――っ」
息を小さく吸ってから声を出す。
あれだけ緊張していたのに、想像以上に声が出る。
――いける。
つづりは歌い始める。憧れの人がかつて歌った曲を。
タイトルは――『新世界への目覚め』。
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