第9話 リリック

 ――で。


「さぁーーーっ! 紡ぐは果たして歌詞か、それとも新たな時代かァ!! 今日の飛び入り参加者、『リリック』だァーーーーーっ!!!」


 頭がぐあんぐあんしそうなほど大きな音が間近のスピーカーから鳴り響いている。


「まぶし……」


 降り注ぐスポットライトにつづりは目を細める。

 周囲はざわついているのに、そばに近くにいるのは、先ほど『リリック』とつづりのことを紹介した司会者と、舞台に備え付けられたステージピアノの前でスタンバイしているピアノマンだけ。

 つまりつづりはステージに立っており、目の前には観客がひしめいている。


(ほら、挨拶挨拶)


 ピアノマンは気軽に言ってくれるがつづりの頭の中はすでに真っ白だ。


 ――どうして、こうなった。


 唯一、その問いかけばかりがぐるぐると駆け巡っていた。



   ◇


 話は一時間ほど前に遡る。

 ピアノマンが今から手伝いに行くライブハウスに来て欲しいと誘ってきたのだ。

 アイドルが多くの人々に馴染んだ存在となった現在、ライブハウスの出入りについてのハードルはカラオケレベルまで下がっている。

 ライブ活動を中心にするアイドルだけでなく、駆け出しのアイドルの登竜門としても使われている。

 各地に作られたライブハウスでは、毎日のようにライブが行われており、そこでお気に入りのアイドルを『発掘』するファンも多い。

 二人が向かったのは、池袋駅からほど近い場所にあるライブハウス『Shooting Star』。その中はすでに人がごったがえしていた。

 最大二百人が収容できるライブハウスは、入り口に自動のチケット売り場があり、時間によって値段が分かれている。夕暮れ時は新人アイドルたちのイベントが多く執り行われ、入場料も格安となので学生を中心に多くの人が出入りする。

 入り口で買ったチケットを確認されたら、入場完了。入ってすぐの場所にはカウンターが設けられ、飲み物や軽食を買うことができる。

 近くには軽食を食べられるエリアがあり、さらに奥がライブハウスの目玉であるステージと観客席だ。

 席と言っても、椅子があるわけではなく基本は立ち見で飲食禁止のエリアになる。


「今は、こうなんだ……」


 ライブハウスに入ったつづりの感想はそれだった。

 入った瞬間から、耳を揺さぶるのはアイドルたちの歌声と、それに合わせてコールする観客の歓声だった。ライブハウスにはすでに、ほどほどに人が入っている。

 昔、憧れの人に招待されて入った時は、とてもアダルティで大人な雰囲気があった。今も雰囲気そのものは変わっていない。だが、若い年齢層が多いからか、明るさのようなものがある。

 これもライブハウスを使用する主な人たちが、ミュージシャンではなく、アイドルが主流になった故に『変わった』ことなのだろう。


(これでいいのかしらね)


 思わずそんな皮肉交じりの感情がつづりの中に湧き上がる。

 ステージではパフォーマンス中のアイドルがいる。三人のチームらしく、軽いダンスを見せつつ唄っている。下手ではないが、所々に破綻を覗かせる動きは、つづりの目にもすぐにわかる。


(あの子達だって『弱点』だらけ……つまり、そういうこと?)


 ピアノマンはつづりに『弱点ぐらいじゃ負けない』といったが『アイドルになればミスも愛嬌』ということだろうか。

 もし、ピアノマンがそう伝えようと考えたのなら、つづりには逆効果だ。そんな下駄を履かせてもらって売れるなんて、つづりが最も嫌がることなのに。


(ついてくるんじゃなかった)


 だいたいつづりをここに連れてきた当の本人は『ここで待ってて』と行って去ってからしばらく経っている。

 このまま帰ったところで、バチは当たらない気がする。


「ああ、ごめんごめん、待たせたね」


 タイミングが良いのか悪いのか、人をかき分けピアノマンが戻ってくる。


「こんなもの見せて、どうするつもり?」

「いや、まだまだ。これを見せたかったんじゃないよ」

「じゃ、なによ」


 つづりの声音は、隠すつもりのない険のある言い方になっていた。


「もうちょっと待ってもらえるかな。まだ手伝い中でね。この時間はフリードリンク制だから、何か飲んで待っててくれ」

「あまり遅くなるのは困るんだけど」

「今が17時だから……あと一時間ぐらいなんだ、このとーり!」


 つづりの冷たい声にもピアノマンめげない。それどころか手を合わせて頼み込んでくる。年上の威厳というものはまったく感じられない。


「……これっきりにしてよ」


 ここで帰ったところで、ピアノマンこいつはこりずにスカウトに来るだろう。

 これが最後だと思えばいいし、それに『弱点』はやはり気になる。


「ありがとう! ――あ、そうだ。まだ君の名前を聞いてなかったね」


 名前。


「……リリック」


 少し考えて、あえてそう名乗ることにした。

 向こうが本名を言ってないのだから、これだって問題ないはずだ。


「なるほど『lyric歌詞』か。いい名前だね」


 思った以上にあっさり頷かれた。やはり気にしないらしい。


「それじゃ、リリック。時間が来たら呼ぶから」

「え、ええ……?」


 ――呼ぶから?


 少し疑問が頭をもたげたものの、すぐにピアノマンが去ってしまったから、そのまま待つことにする。



   ◇


 ――そして一時間後、つづりは安易に頷いたことを後悔することになる。

 たいした説明もなく、こうして舞台に立たされているからだ。

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