第7話 イイコトして欲しいから声かけた

 演奏が終わる。

 一応聞いてくれたのだからと、つづりは唯一の観客だったピアノマンに軽く頭を下げる。


「良かったよ」


 案の定、本気かどうかもわからない感想を言ってくる。


「そりゃどーも」

「まぁまぁ、そんな顔しないで。綺麗な顔が台無しだ」

「きれいって……」


 つづりは思わず奥歯を噛みしめる。曲の話ではなく容姿の話をするなんて。

 演奏すらまともに聞いていなかったのか。


「きれいだからアイドルにならないかって? ナンパと一緒ね」

「間違ってはいないかな」


 睨みつけたが、ピアノマンは笑みを絶やすことはない。


「女の子とイイコトしたくて声をかけるのがナンパなら、女の子にイイコトして欲しくて声を掛けてるのが僕だ。うん、近いね」


 イイコトして欲しい――アイドルになれということか。


「もちろん、いかがわしいことはまったくないから、そこは心配しなくていいよ」

「その言葉がとっくにいかがわしいのよ」


 だいたい、いかがわしいことをする人間が「します!」なんて言うわけがない。


「ははは、違いない。でも、今のアイドル協会がどこよりもクリーンなのは知ってるだろ? 『大氾濫デリュージ』の後にあった『大粛清カーネイジ』って聞いたことないかな」

「知ってる。『大粛清カーネイジ』の後にできたのが今のアイドル協会だってこともね」


 4年前にあった大規模な不祥事によってかつて一大勢力だった『アイドル連盟』は崩壊した。その後にできたのが、今のアイドル協会だ。

 そのため、アイドル協会は不正な取引や汚職、枕営業といった負の部分に対して、かなり厳しい態度で臨んでいる。実情はつづりにはわからないが、それでも以前よりはクリーンになったのは間違いない。


「だから、安心安全な協会のアイドルになりましょう! って?」

「そういうこと。この場所だけじゃなくて、もっと色んな場所で君の歌声を届けたいとは思わない?」


 つづりとて、こうして歌っているのは『誰かに聴いてもらいたい』という気持ちがあるからだ。そうでなかったら一人カラオケでもしている。


「……別に。私は目の前の人に歌を届けられたらいいだけだし」


 つづりはお姉ちゃんのように歌いたいだけだ。今ならネット配信でも曲を届けられるのにその選択をしないのは、憧れの人と同じことをしたいから。

 ましてや、その夢を壊したアイドルなんかになりたくない。


「なるほど、目の前の人に向けて……か」


 ピアノマンが辺りを見渡す。相変わらず、つづりの前に立ち止まる人はいない。


「そりゃ、今はアンタしかいないけど」


 まるで演奏を聴いてもらえない現状を揶揄やゆされているように思えて、つづりの声が一段低くなる。


「ごめん、今の君を悪く言うつもりはないよ。でも、仕方ないかな」

「え?」

「今の君には弱点があるから、こうなるのもむべなるかなってね」


 あっさりと。まるで天気の話をするように「つづりが見向きもされないのは当然である」と語られる。


「どういう意味よ?」

「さて?」


 つづりの言葉にどこ吹く風の様子だ。余裕そうに見える笑顔も腹立たしい。


「弱点を教える代わりにスカウトを受けろとか言うつもりじゃないでしょうね」

「ああ、その手があったか」


 あたかも初めて気づいたようにポンと手を叩かれる。


「うーん、でもその取り引きはおいしくないなぁ」

「おいしくない?」

「こういうのは君の需要と僕の供給が合わないとスカウトも何もないからね。ちょっと今のじゃ、君にとって不利すぎる」


 弱味につけこむ気もないらしい。あっさりイニシアチブをゆずるような発言につづりは戸惑う。スカウト自体、からかわれているのではないかと思えてくる。


「私が求めてることは、アンタがここから去ってくれってことよ」

「その提案は僕の需要とあってないんでね。もう少し付き合い願いたいかな」

「付き合うも何もアイドルにはならない。これで話は終わりでしょ?」

「手厳しいね。目の前の人に届けたいからアイドルになりたくないことはわかったよ。それじゃ――」


 ピアノマンは一度、息をつくとつづりの瞳を見つめる。


「あ……」


 表情は笑っているのに鳶色の瞳はまったく笑っていない。

 視線から感じる意志の強さに、思わずつづりは釘付けになる。


「――『勝ちたく』はないか?」

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