第6話 スカウト、二度目
本日も、つづりの放課後の予定は決まっている。
いつものように池袋の中洲で演奏すること。財布に余裕があれば、カラオケに行って発声練習もしたいところだが、年末年始に稼いだお金はステージピアノのメンテナンスに使ってしまった。
(また短期のバイトとか、ないかなぁ……)
無い袖は振れないのが学生の辛いところだ。軽音楽部に入ればいいのかもしれないけれど、誰かと演奏をしたいわけでもない。
(私はただ、私の思うようにやればいい)
そう思いながら、
「やぁ、昨日は寒そうな格好だったけど、風邪を引かなくてなによりだ」
聞き覚えのある声は、昨日の青年のもの。相変わらずのスーツ姿。印象的な空色のネクタイと年齢不詳な容貌で、つづりに微笑みかけてくる。
「なに?」
「そりゃもちろん、スカウトに来たのさ」
つっけんどんに言ったつづりの言葉もなんのその。
笑みを絶やさず、平然とした様子で青年が言う。
「あんな名刺を寄こしてスカウト?」
「あっ、見てくれたんだ」
「目に入っただけ」
カーディガンのポケットに手を突っ込む。カサリと指に触れるのは、もう一度握りつぶしてクシャクシャになった名刺だ。
「なによ『ピアノマン』って」
『PIANOMAN』と書かれていた名前は、改めて口にしても冗談みたいだった。
「もちろん僕の名前。多少ピアノを嗜んでいてね」
「ペンネームみたいなもの?」
「うん、そう考えてくれて構わないよ。業界でもその名前で呼ばれてるからねぇ」
「スカウトなのに、本名を名乗らないなんてどういうこと?」
もし、つづりがアイドルに興味を持っていたとしても、堂々『ピアノマン』と名乗る不審者にスカウトされたいとは思わないだろう。
「どういうと言われても色々事情があってね。それに残念ながら僕にはまだ、担当のアイドルがいないんだ。当面の生活はピアノ演奏の手伝いをして糊口をしのいでいるから、なおさらこの名前で呼ばれるのさ」
「えー……」
つづりの口から、容赦なく呆れた声が漏れる。
ただでさえ
「まぁまぁ、そんな顔しないでくれ」
つづりの表情がよほどのものだったのか、青年――ピアノマンが苦笑する。
間違いなく不審者だが、『ヘラヘラ』や『軽薄』ともとれそうな笑顔は、不思議とマイナスには見えなかった。
「スカウトの話なら断ったでしょ?」
「ほら、三顧の礼とも言うから、あと最低一回は許してもらいたいかな」
「えぇー……」
見た目は明るいビジネスマンとも言えそうだが、昨日と今日の短いやりとりの中でつづりはひとつ確信を持つ。
「……変な人」
「ははは、容赦ないなぁ」
歯に衣着せぬ物言いにもピアノマンは朗らかに笑っている。
スカウトをするぐらいだから、つれない態度は慣れているのかもしれない。
「そもそも、そんな怪しい人相手に『アイドルになります』なんて言うと思うの?」
「おや、これでもアイドル協会所属だから身元については安心して欲しいな。なんなら協会に問い合わせてもらっても構わないし」
「そんな面倒なことするわけ無いでしょ」
そこで話を打ち切って、つづりは演奏の準備をする。ギャラリーにからかわれることだってないわけじゃないから、放っておいたほうがいい。
「おっとこれはすまなかった」
無視しても気を悪くすることもなく、微笑んだまま青年はつづりを見つめている。
(営業スマイルってやつ……?)
よくわからないが、これ以上声を掛けてこないのだから自分のペースでやるだけだ。
準備ができたら軽く鍵盤を叩く。今日は晴れているからか昨日よりも音の伸びがいいような気がした。
「――――っ」
小さく息を吸ってから曲を奏で、始め歌を乗せる。
今日は歌うのは、『お姉ちゃん』がよく唄ってくれた曲。
きっともう、ほとんどの人が覚えてないだろう曲。
――でも、私は覚えているから。絶対に忘れないから。
声を張り上げ感情を込めて。つづりなりの音楽を紡いでいく。
だが、人は通り過ぎる。いつものことだ。
中洲を渡る人々は、ただ青信号をそそくさと渡って黄色信号で走り、赤信号で止まる。そして雑談したり手にしたスマホの画面を見たり、イヤホンから別の曲を聞いてる。つづりを見る人はいない。
――スーツの『彼』を除いては。
ただ無言でつづりの歌を聞いている。
静かに微笑んで。たったそれだけのことだが、観客がいるというのは珍しいことだ。しかも、こんなに集中して聞く人。
(こんなの、勧誘の一手に決まってる)
そして曲が終わったらきっと調子のいいことを言うに違いない。
だから喜んではいけない。そもそもこの男に演奏しているわけじゃない。
私が演奏をするのは――
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