第二十四話 ボイラーの神様2 2

「おはようございます、羽倉はくらさん。お風呂屋さんの火事、今朝の朝刊に載ってましたね」

「おはよー。大きく出てたねー」


 昨日のお風呂屋さんの火事。新聞の扱いは大きかったが、さいわいなことに、近隣の住宅への延焼はまったくなかったらしい。記事のタイトルにもなっていたが、これだけ密集している住宅地での火災で、延焼がなかったのは奇跡的だということだ。


「立て替えですかね、お風呂屋さん」

「どうなんだろうねえ……これを機に廃業ってことにも、なりかねないよね」


 空気の入れ替えをするために、事務所の窓を開ける。昨日の今日なので、まだ焦げ臭いにおいが漂っていた。


「まあ、ほとんどの家にお風呂はありますもんね」

「常連さん達は寂しいだろうけどねー……」


 そしてお風呂屋さんが廃業になれば、そこにいた神様達全員が、新しい場所を探さなくてはならなくなる。ことと次第によっては、ここも忙しくなるだろう。


「廃業するって話、その可能性はかなり高いみたいだよ」


 そこへ浜岡はまおかさんが顔を出した。


「おはようございます、浜岡さん。それ、どこ情報ですか?」

「はおよー、羽倉さん、一宮いちみやさん。お風呂屋さんのお向かいのお婆ちゃん情報。缶コーヒーを買ってたら、教えてくれたよ」

「すごーい。リアルタイムの情報だー」


 第一報の御近所さん情報に、一宮さんが感心している。


かまたきをしていたのは、先代のお爺ちゃんだったらしくてね。火事をおこしてしまったことで、かなりショックを受けているらしい。もう廃業するって言ってるらしい」

「火元は積んであったまきでしたっけ?」


 浜岡さんに質問をする。出てくる直前に流し読みしただけなので、火元のことまで読んでいなかったのだ。


「ボイラーのかまから飛んだ火の粉ひのこで、積んであったまきが燃えたってことらしい。ここ最近、空気が乾燥していたからねえ」

「あー……」

「でも今の経営って、たしかお爺ちゃんではなく、お孫さんですよね?」


 一宮さんがつぶやく。


「そうなんだけど、ご近所のお年寄り達に頼まれて続けていたって話だし、店舗は半焼、ボイラーも丸焼け状態だったし、営業の継続は難しいかもね」

「わざわざ見てきたんですか?」

「見てきたって言うか、俺、そこが通勤ルートだから」

「ああ、なるほど」

「そこまでヒマじゃないよ、俺だってさあ」


 浜岡さんは「ひどい誤解だよ」とブツブツいいながら、奥の事務所へ行ってしまった。


「続けるにしろ廃業にしろ、大変そうですね」

「だよねー」


 古い銭湯とは言え、それなりに大きな設備だ。どちらにしてもかなり大変なことになるだろう。


「それに、あそこには神様もたくさんいるでしょうし」

八百万やおよろずハローワークとしては、そこも気になるところだよね。さーて、そろそろ始業時間だね。今日も一日、がんばろー」

「はーい!」


 自分の席につくと、パソコンのスイッチをいれる。パソコンが立ち上がる同時に、神様が顔を出した。


「おはようさんじゃ」

「おはようございます。今日も一日よろしくお願いします。これ、なんですか?」


 机にコピー用紙が置かれているのに気づく。


「わしのおすすめのおやつじゃ。思いのほか、候補が多くなってしまってのう」

「ああ、れいのあれ……って、ぜんぜんダイエットっぽくないですけど!」


 A4用紙いっぱいに印字されているお菓子類。ナッツやドライフルーツ系かと思いきや、地方都市のお取り寄せ和菓子ばかりだ。


「洋菓子より和菓子のほうが、カロリーが低いんじゃ。どうせ食べなら、和菓子一択じゃな」

「クッキーやチョコより、おまんじゅうのほうが良いってことですか」

「そういうことじゃ。まあ最近の和菓子には、生クリームやバターを使うものもあるんじゃがな。ちなみにわしは、ずんだ餅が食べたいのう」


 神様が蛍光ペンで線をひいたのは、仙台名物のずんだ餅だ。枝豆を使ったあまじょっぱい餡は、自分も気に入っている。たまに催事コーナーで売られているのを見かけるが、それ以外ではあまり見かけることがなかった。


「ずんだ餅、おいしいですよね。せっかくですし、一度お取り寄せしてみましょうか」

「それは楽しみじゃ!」


 神様がうれしそうに笑った。



+++



 しばらくして、焦げ臭いにおいが強くなった。窓をしめようと立ち上がりかけると、たくさんの神様達が事務所に入ってくるのが見えた。どうやらにおいの元は、外ではなく、あの神様達のようだ。


「まあまあ、そう気落ちしなさんな」

「そうじゃよ。あの火事はお前さんのせいじゃない」

「こればかりはしかたないぞい。空気が乾燥していたのがまずかったんじゃ」

「幸いなことに、まだ客もおらんかったしのー」

「延焼しなかったのもラッキーじゃった」


 大勢の神様がそんなことを言いながら、一人の神様を取り囲んでいる。


「延焼しなかったのは、他の神達のおかけじゃ。しかし今回の火事で、みなの居場所がなくなってしもうたなあ……」

「問題なしじゃ。これまでずっと働いてきたからの。たまにゆっくりするのも悪くない」

「廃業すると言っておるじゃろ。ゆっくりどころの話じゃないじゃろ……」

「わしらは人と違って、働かなければ飢えて死ぬということもないからの。問題なしじゃ!」

「じゃがのう……」


 この会話からして、目の前にいる神様達はお風呂屋さん関係の神様達のようだ。一番落ち込んでいるのが、お風呂屋さんのボイラーの神様だろう。


「あの、新しい働き先をお探しですか?」


 目の前にやってきた神様達に声をかける。


「そう思ってきたんじゃがなあ……わしはもう自信がないんじゃ」

「自信がないとは?」

「お前さんも知っているじゃろ? 昨日の銭湯せんとうの火事。わしが火事を出してしまったんじゃ……」

「ああ、あのお風呂屋さんの」


 言葉を続けようとすると、他の神様達がいっせいにあれこれ言い始めた。


「だからじゃ! 火の粉ひのこが飛んでしもうたのはお前さんのせいじゃなかろう!」

「そうじゃそうじゃ! 空気が乾燥しておったのが悪いんじゃ!」

「あえて言うなら、雨を降らさなかった竜神りゅうじんのせいじゃ!」

「雨雲を運んでこない風神ふうじんのせいでもあるぞい!」

「とにかく、お前さんのせいじゃないぞい!」


「あのー、皆さん、少し落ち着きましょうかー……他の神様も新しい場所をお探しなんですよね? なにか希望はありますか?」


 黙っていたら終業時間までこのままだと判断し、思い切って口をはさむ。神様達がいっせいにこっちを見た。


「いや。銭湯せんとうが廃業になるとは、まだ決まっておらんのじゃ。じゃから新たな場所を探す気はないんじゃ」

「そうなんですか。では皆さん、どうしてここに?」

「こやつがの、自信がないと言い出しての。銭湯が続くなら、新しいボイラーの神の募集をかけると言い出したんじゃ」

「こやつが銭湯の神達の責任者じゃからな」

「なるほど」


 一人だけ落ち込んでいる神様に目を向けた。


「最近はボイラーの神様の募集自体が減っていまして。募集も希望者も少ないんですよ」

耄碌もうろくしたわしよりマシな神はおるじゃろ」

耄碌もうろくって」


 神様達は便宜上、高齢者の姿をしていることが多いが、だからと言って人間のように年老いているわけではない。神様はいつまでも神様で、長い年月のせいで力が衰えることはないのだ。


「こんな調子で困っているんじゃよ」

「火事になったのはこやつのせいではないんじゃ」

「もちろん、あの人間の爺様のせいでもないんじゃ。あっちもかなり落ち込んでいるらしいがの」

「とにかく乾燥していたのが悪いんじゃ」

「風が吹いていたのも悪いんじゃ」


 再び神様達がいっせいにしゃべり始め、その場は混沌こんとんとした状態になった。


「あの、皆さん、ご静粛せいしゅくに! ご静粛せいしゅくに願います!」


 手を叩き、神様達の注意を自分に向ける。


「まずは新規募集の件ですが、銭湯せんとうが継続するかどうか決まりませんと、こちらで登録するのは難しいと思います」


 ボイラーの神様がなにか言いたげな顔をしたが、それを無視して言葉を続けた。


「と言いますのも、さっきも言いましたが、ボイラーの神の募集枠も希望者も非常に少ないんです。万が一、希望者が来たのに銭湯せんとうが廃業となったら、それこそ一大事です」


 一気にそこまで言うと、ボイラーの神様の目を見る。


「はやる気持ちはわかるのですが、ご了承ください。お願いします」

「……まあ、応募してくる神が気分を損ねてしまったら、大変じゃからな」


 神様は渋々といった感じでうなづいた。その様子に他の神様達はホッとした様子だ。


「では、銭湯がどうなるか決まったら、またよろしく頼むぞい」

「はい。その時はしっかりお手伝いさせていただきます!」


 こちらの返事に一応は満足したのか、銭湯せんとうの神様達は事務所を出ていった。神様達の話し声が聞こえなくなったところで、ホッと息をつく。


「あー、びっくりしたー……」


 これはお風呂屋さんが廃業しても継続しても、大変なことになりそうだ。

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