第二十三話 ボイラーの神様2 1

「……ん? なんか焦げ臭くないですか?」


 その日、お昼休みが終わり、午後からの仕事にかかろうとしていた時、焦げ臭いに気がついた。発生源はどこなんだと、事務所内を嗅ぎまわる。


「たしかに、なにかにおうわね」


 榊さんも気がついたらしく、眉をひそめた。


「まずはコンセントの確認を。一宮いちみやさん、そっちはどう?」

「いま見てるんですけど、コンセントに異常はありませーん」


 あちらこちらから「異常なし」の返事が返ってくる。だが、間違いなく焦げ臭い。


「いったい、どこから……?」


 窓に近づき、そっと開けてみる。するとにおいが一気に強くなった。


「うわっ、外でにおってるみたいです!」

「どこかで、き火でもしてるのかしらね?」


 けっこうなにおいなので、窓をいそいで閉める。


「ここ、住宅地のど真ん中じゃないですか。そんな広い場所、ありましたっけ?」

「児童公園とか? 公園の落ち葉を集めて燃やしているとか」

「あそこの落ち葉は、市の清掃局さんが集めて、契約している堆肥たいひ工場に持ち込んでいるって、聞きましたけど?」


 その場の全員で首をひねっていると、課長がやってきた。


「隣の事務所から電話が来たんだけど、うちの事務所で漏電してないかーって」

「なんでそんな電話が?」

「焦げ臭いかららしいよ?」


 課長は呑気に返事をしたが、自分を含めたその他の面々は、憤慨ふんがいした顔つきになった。


「失礼な! なんでこっちが疑われるんですか。においの元は、あっちかもしれないのに」

「そりゃまあ、こっちは古い町家まちやだからねえ」

「作りが町家ってだけで、配線やらなにやらは、きちんとリフォームされてるんですよね?」

「そりゃまあね」

「だったらやっぱり、失礼な!」


 そう言うと課長が笑った。


「まあ、しかたがないよ。あっちは鉄筋コンクリートだから」

「鉄筋コンクリートでも火事にはなりますよ!」

「そりゃそうなんだけど。でも、こっちは屋根裏を、ネズミやイタチが走り回ってるからね」

「そんなの関係ないですよ」


 とは言え、電気の配線をかじる可能性は、無きにしもあらずだが。


「で、こっちが問題ないとなると、においの発生源はどこなんだろうね」

「うちのハロワでないことは、間違いないと思います」


 昼一番の相談者がいないことをこれ幸いにと、その場にいた全員が事務所の外に出た。焦げ臭いにおいは強くなる一方だ。


「うわー、こりゃ本格的にヤバそうなにおいだねえ……」


 通りを歩いている買い物帰りの人達も、妙な顔をしながら周囲を見回している。


「……あ、課長、あそこ!」


 民家の屋根越しに、黒い煙が見えた。


「こりゃまずい。火事だね、あれは」

「俺、ちょっと一っ走りして確認してきます」


 珍しく事務所にいた浜岡はまおかさんが、スマホを片手に走っていく。


「あ、じゃあ私、事務所に戻ります。浜岡さん、なにかあったら事務所へ!」

「りょうかーい!」

「課長、私は事務所に戻りますね」

「そうだね。一宮さんも、羽倉さんと一緒に戻ってくれるかい? 転職希望の神様が来るかもしれないから」

「はい!」


 私と一宮さんは、屋根越しに見える黒い煙をもう一度見てから、事務所に戻った。相談に来る神様はいないので、いつもの自分の席ではなく窓際にいき、窓をあけて外を見る。見つけた時は細い一本の黒い線だったのが、今は黒い煙のかたまりが、どんどん上へと上がっていくのが見えた。


「あの方向って、なにがあったっけ? 民家だけだったかな」

「えーと……お風呂屋さんがありませんでしたっけ?」

「そう言えば……」


 言われてみれば、あのへんで『湯』とかかれた暖簾のれんを見かけたような気がする。


「まさか、そこが火事?」

「あれだけ煙がもくもく出ているってことは、けっこう燃えてますよね……」


 二人で話していたら、遠くから消防車のサイレンの音が聞こえてきた。その音はどんどん近づいてくる。このタイミングだと、浜岡さんが到着する前に、誰かが119番に通報したようだ。ご近所の奥さんやお年寄り達が、家から出てくる。そして、黒い煙を不安そうに見あげた。


 事務所の電話が鳴ったので、急いで自分の席に戻る。


「……はい、八百万やおよろずハローワークです」

『ああ、羽倉さん? 浜岡です。やっぱり火事で、火元は銭湯せんとうだった。今、消防車が到着して、消火活動を始めたよ。隣近所への延焼の心配はなさそうだから、安心して業務に戻ってくれてかまわないと思う』

「了解しました。戻ってくる時に、課長達をこっちに追い立ててください。ぜんぜん戻ってくる様子がないので」

『りょうかーい』

「一宮さん、やっぱりお風呂屋さんが火事なんだって」

「お湯をわかすのに、大きなボイラーがありそうですもんねー」


 それからしばらくは、ご近所周辺はかなり騒々しいことになった。もともと住宅地で道路が狭いのと、集まってきた消防車があちらこちらに止まったせいで、周辺一帯が大渋滞になってしまったのだ。


 ちなみに119番に電話をしたのは、お風呂屋さんの奥さんだった。ボイラーにまきをくべていた御主人は、火傷やけどはおったものの、幸いなことに軽症ということだ。


「あそこのお湯は、柔らかくて心地良いって評判だったらしいよ。まきを使って、お湯を沸かしていたそうだ」


 一人だけ遅れて戻ってきた課長が教えてくれた。一人だけ戻ってくるのが遅いと思ったら、そんな情報を一体どこから?


「それ、どこ情報ですか?」

「お向かいのお爺ちゃん情報。今さっき教えてもらったんだ」

「もー、課長ってば。仕事してください、仕事!」

「これも仕事のうちさ。ご近所さんと良好な関係を築くのも大切なことなんだよ? 一応うちも、ここの町内の一員なんだし」

「そこは正しいと思いますけど!」


 ただ、タイミングが!という話なのだ。


「でも、続けられるんでしょうかね、お風呂屋さん」

「どうだろうねえ」

「隣接しているお宅への延焼は、なかったんですよね?」

「水浸しになったぐらいだね」


 とは言え、まったく被害がなかったわけではない。火元になったお風呂屋さんは賠償責任を負うことはないけれど、ご近所づきあいをしていく上では、そう簡単に割り切れるものでもないだろう。なかなか難しい問題だ。


まきをくべるボイラーって、今どき珍しいですよね」

「そうだね。まあそれが、今回の失火の原因になってしまったみたいだけど」


 昔は町中にたくさんあった銭湯も、各家庭にお風呂が普及するようになってから、その数をどんどん減らしている。そんな中で営業を続けていたお風呂屋さん。廃業ということになったら、残念がる人も多いだろう。


「お風呂屋さんが廃業になったら、新しい居場所を探す神様も出てきますよね、きっと」

「そうだね」

「さすがにもう、ボイラーの神様の空き枠はないですよ……」


 しかも今回は失火だ。神様のせいではないとは言え、今までの経験から、かなり責任を感じているだろうと予想できた。新しい行き先を見つけることもだが、今回は神様の心のケアも必要な気がする。


「火事で神様もショックを受けてますよね。そういう場合の対処って、どうしたら良いんでしょう」

「話を聞くことに徹することだね。下手に口出ししないほうが良いかな」

「そういうものなんですか」

「聞くことに徹すること。判断は神様自身がするからね。そしてその判断に疑問を感じたとしても、神様が決めたことは尊重すること。ここが大事かな」


 そこが人間とは違うところだった。


「ま、羽倉さんなら心配ないよ。とても聞き上手だし、神様との関係も良好なことが多いからね」


 とは言え相手は神様。うっかり怒らせたら天変地異てんぺんちいで国家滅亡の危機だ。これからも気を引き締めて、神様への新しい居場所の斡旋あっせんにのぞまなければ!

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