第57話・救世主

 そう言う、ことだったのか。

 コアとは何か、美丘羽根と言う人は分かりかけていた。

 だけど、答えに辿り着く前に緋色のコアに肉体を奪われ、コアの中に封じられ、手足の代わりとなるコンピュータと接続されて、コアの研究を続けさせられた。

『そう。恐らくはコア自身も、これから自分が何をすればいいか分からなかったでしょう。ただ、自分が人間と入れ替われる、そして人間の姿と異能を持った新人類として生まれ変われると知り、仲間を増やすべく私が設計したコアコンピュータの一部として接続した。私の頭脳が使えると思ったのね。コアと人間の総交代を早めるために』

 飲み込む唾すら出なかった。

 口の中がカラカラに乾いている。

 新人類との交代とか、難しいことは正直分からない。

 だけど、コアが人間と入れ替わろうとしていることは分かった。

 本当は、人類の誰も気づかないくらいにゆっくり入れ替わっていくはずだったコアは、「緋色」と言うコアによって加速した。

 美丘羽根と言う天才を餌に。

 そして。

「さっき、あちこち、滅茶苦茶って、言いましたよね」

 僕は震える声で言った。

「上で……何か起きているんですか」

『私と緋色は寄生関係で繋がっている。主従が入れ替わったとしてもね。だから分かる。緋色は今、学園中の人間をコア結晶に変えた』

 ひゅっ。

 変な息が漏れた。

「学園中の……人間を……? なんで……」

『貴方が残してきた友達が、緋色が黙ってろと言った事……学園長がコア監視員を創り出す創造主クリエイターで、それに敵対する創造主クリエイターがコア監視員の目を反らすコア生物を創って派遣したことを、学園中にバラしたのよ』

「その程度……その程度のことで……?」

 この地下研究施設の存在に比べれば、些細なことで、しかも真実じゃない……中途半端な話だ。学園長が創造主クリエイターと知っても、敵対する創造主クリエイターがいると知られても、今の学園長……緋色の影響力なら、楽に握りつぶせるはずだ。なのに。

『緋色は私に似すぎているから』

 羽根さんはそう答えた。

『最初から、秘密を漏らせば大粛清が始まると言っていたでしょう。それが始まっただけ。私は約束を守れない人間には心が狭かった。まして、秘密を明かす人間には徹底的に残酷だった。緋色も同じ。一人を除いては明かさないという約束を守れなければ、学園全ての人間がその秘密を知ったから、計画を早めただけよ。今、上にいるのは三人……いえ、二人。貴方のお友達だけ」

「彼方くんと、渡良瀬さん……?」

『緋色は人類を見下している。でも、それと同時に新人類たる自分を誇りに思っている』

「それじゃあ、見下した相手との約束なんて守らないはず……」

『人間ならね。でも、コアは自分は人間とは違うと思っている。愚かで、自爆目指して走っていく人間を、見習おうと思っていない。自分が旧人類と交わした約束を破るなんて、まるで人間のような真似をするなんてプライドが許せない。だから、異常なまでに約束を破ることを頑ななまでに拒絶する』

「自分は人間とは違うって言いたいんだ……」

『そう。同類で争って、殺し合い、新人類たる自分たちをも戦争の道具に使う人間とは違うのだとね。そして、相手を滅ぼさなければ満足できない私たちと違って、旧人類であろうとも利用できる者は利用する。私のように。ここの研究員にされたコア生物たちのように』

「新人類が、旧人類を頼る?」

『違うわ、利用するのよ。決して逆らえないようにして、ね』

「おやー?」

 唐突な声に、僕は我に返った。

「お呼ばれしましたー、私ー」

「お呼ばれって……学園長……緋色の……」

「ダメですよー。丸岡さんー。今の緋色はそのコアコンピュータの頭脳ブレイン。三つ目の肉体に宿った創造主クリエイター……いえ救世主メシアを、そんな風に呼んじゃいけませんー」

「本人にまだ言うなとは言われてないからね。で? どうせあの人に呼ばれたんだろう? 何の用かも教えられないのかい?」

「コア監視員全員に指令ですー」

 ココはにっこり笑った。

「いよいよ救世主メシアが真の姿を取る時が来たようですー」

『正気なのね、緋色』

「緋色はあなたのお名前ですよー?」

 ココはそう言うと、パッと姿を消した。

「ココは……一体どうして」

『言ってたでしょう。救世主メシアが真の姿になると』

「……学園長……!」

『彼女は一つの身体に一つの意識しかないから誰も愚かな行動しか取れないと言っていた』

 何を……?

 だけど、羽根さんは言葉を続けた。

『それは私の学説。コアに意識や学習能力があるなら、人間の第二第三の頭脳として、相談役として、より正答を見つけ出せると思った。緋色はそこからある一つの考えを生み出した。一つの意識しかないから間違った答えを導き出すなら、自分を主とした総合意識体となれば間違いは限りなくゼロに近付くと』

「えー……と、つまり……?」

『コア監視員の意識を自分の内に取り込み、精神集合体の女王になろうとしている』

 コアを有する学園の人間のコアを、そして精神を監視してきたコア生物。

『私が生み出したコア生物は、最悪に歪んだ形で完成した。コア監視員の支配下に置かれた学園の人間の意識は、働き蜂のように救世主メシアに収束する』

「羽根……さん……」

『ごめんなさい。人間だった私がもう少し寛容だったら、もう少し兄の言葉に耳を傾けていれば、こんな事態にはならなかった。でも、今の私はここから動けない。鍵は、貴方に託すしかない』

 鍵?

『さっき、コアを使って記憶を送り込んだ時、鍵も一緒に送り込んだ。緋色が貴方のコアを待ち続けていたように、私も貴方と言うコア主がここに来ることを待ち続けていた。そして、さっき、鍵を貴方のコアに仕込んだ』

 さっき、記憶を送り込んだ時に? でも、そんな感じはなかったのに。ていうか、どうして僕が学園長を何とかする役目になってるんだ?

『ごめんなさい。でも、恐らくは、今の人類が誰も気づかなくても、貴方は人類にとっての救世主メシア。その役割を負えるのは、貴方しかいない』

「僕に何ができるって……!」

『その、透明なコア』

 僕は思わず自分のコアを見た。今は羽根さんに影響を受けて緋色になっているけれど、本来は色のない僕のコア。

『それこそが鍵。人類にとっても、新人類にとっても。が貴方を見つけた時、私は決めたの。貴方しかいないって。貴方しか鍵はないって』

「だから……!」

『貴方の好きな先輩もコア結晶にされた』

 一瞬、八雲兄妹の顔が過ぎった。

『そして、このまま放置しておけば、貴方のご家族も』

 お父さん。お母さん。おばあちゃん。

『残るのは緋色が約束したあの二人だけになる。男と女が一人ずつ生き残っても、人類には敗北でしかない』

「今から、国規模で人間をコア結晶化しようと?」

『そして、あわよくば、地球全体も』

 人類は滅ぶのか。僕もまた、滅びるのか。僕が心配で約束させた渡良瀬さんと彼方くんだけが生き残って、人類最期の地球を見ることになるのか。

「……ふっ」

 不意に、僕の口から息が漏れた。

「くっ……くくっく……」

「仁さん?」

『丸岡君』

「はは……あははは……はははっ……」

 笑い。

 僕は意図せず笑っていた。

「人類の絶滅って割には、静かだね……くくっ」

「仁さん? 仁さん! しっかり!」

「大丈夫だよナナ、僕は正気だ。現状もしっかり把握している。その上で笑っている」

 口元を緩ませて、僕はナナに頷きかけた。

「だってさ、笑うしかないだろ。人類滅亡の危機に、鍵を持たされたのは、ただの高校一年生。コアの色は特殊かも知れないけど、能力も特殊かも知れないけど、コアで攻撃されなきゃ何にもできないチートで外れなんだよ? それが、地球を救う鍵だなんて、さ」

「仁さん……」

「だけど、人類が滅亡するのは許せない。例えいつかは消え去る運命だとしても、一矢報いたい」

『丸岡君』

「手があるんですね? 美丘羽根さん。あなたがこの研究所で、緋色の目から隠しながら完成させた、ナナの中に」

『そう、そして貴方の中に』

 次の瞬間、一度にあちこちの機械が音を立て始めた。

『さすがの緋色も、あれだけの数のコア監視員を支配下に置くには油断はできない。だから私との繋がりを一度オフにした。今なら、貴方をこの研究所から出せる』

「羽根さん!」

『行って、丸岡君。コア生物、いいえ、ナナと一緒に。鍵はそのコアの中』

 鍵の使い方も分からない。そもそもどんなものなのかさえ。どうあの学園長に効くのかすら。

 だけど。

「じゃあ」

 僕は、羽根さんを見上げた。

「行ってきます、羽根さん」

『もし兄に会ったなら、羽根がとてもとても後悔していたと、そう伝えて』

 僕は振り返らず部屋を出て行く。

 曲がり角の先に、分岐路の先に、風船のような元人間のコア生物が立ち、行くべき道を指し示して頭を下げる。

 どうなるかは分からない。

 でも、動かないよりはずっといい。

 その為の思考だとココは言った。

 今は学園長と同化しているであろうココだけど。

 教えてくれたのは、君だ、ココ。

 だから僕は全力で、学園長と……その中にいる君と戦う。

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