第45話・笑うんだよ
笑顔の学園長は、しかし目だけは笑わずにじっとこちらを伺っている。
どう話せばいいんだろう。何から話せばいいんだろう。
彼方くんは黙ってしまった。そりゃそうだ。彼方くんは何も関係がないんだから何とも返事しようがない。
あるいは、僕に任せる、と言いたいのか?
間違いない。彼をこの場に引き込んだのは僕なんだ。
僕が返事をしなければいけない。
心臓がバクバク言っている。興奮じゃない、緊張の鼓動。
ここに渡良瀬さんがいてくれたらなと思い、僕の迂闊な行動に巻き込まずに済んだとも思い。
何て話せばいいんだろうと考える僕に、エレベーターの中で会話が蘇ってきた。
(お前に教えてやるよ、ケンカで勝つ方法)
彼方くんは当たり前のことのように言った。
(笑うんだよ)
唐突に、彼方くんが笑うと言った意味が分かった。
これはケンカじゃない。けど、勝負だ。しかも圧倒的に不利な。
だから笑いで表情を殺すんだ。焦り、嘘、不安。それらを全部ひっくるめて隠すために。相手にこちらにはまだ手札があると見せかけるために。
だから僕は、笑った。
自然に口角が上がり、目元が柔らかくなる。
「好奇心、じゃダメですよね」
「そうねえ、それでもいいけど」
学園長は優雅に微笑む。
「どこからその好奇心がやって来たのかを聞きたいわ」
「僕も全部は言えないけど」
手札を一枚、表にひっくり返す。
「僕の周りから、コア監視員が姿を消すことがあったんです」
しかしひっくり返した手札の全てをさらすんじゃなくて、自分に不利な情報は隠したまま。
「二十四時間監視するはずのコア監視員が何度か姿を消した。彼方くんも似たようなことがあったって言っていました」
ナナという情報は隠し、僕は続ける。
「コア監視員がいない、ってことは
「確かにね」
「だけど、監視する者が監視対象から目を離すことは考えられない。
にっこりと笑って、僕は言った。
「誰かが、コア監視員をその場から追い払った」
一瞬、学園長の笑みが消えた。
「どうしてそう思ったの」
「だから、思いついただけです。根拠もないし理屈もありません。でも、コア監視員自身の理由か、
笑みの消えた学園長はじっとこっちを伺っている。
「コア周波数で繋がっているコア監視員の目を反らすなんて、コアを最初に宿した時に身につく能力じゃない。少なくともこの学園に来てコア監視員の存在を知って、そこで初めて手に入れられる能力です。もし、長田先生からコア監視員や
学園長はネイルの塗られた爪を口元に当ててこちらを見ている。
僕は笑みを浮かべたままその目を見返す。
学園長はもう一度指を弾いた。
部屋中満載だったコア監視員が消えた……いや、見えなくなったのか。
「……本当に?」
「本当です」
嘘はついていない。言っていないのはナナという存在だけ。
だから、僕は笑う。
「僕はちゃんとこの高校を卒業したい。その為には学園が平和でなくちゃならない。その平和を乱す可能性があるものを、報告するかどうか悩みました。コア監視員が長田先生の言ったような存在なら、学園長にそれを伝えるのは命懸けだろうとも思いました。でも言いました。学園に平和であってほしいから。これで納得できますか?」
にっこりをつけて僕は口を閉じる。
学園長は椅子に戻り、しばらくイライラとデスクを爪先で叩いていた。
「なるほどね」
学園長は暗い顔で言った。
「苦労してこの学園に入ったんだもの、ある程度のことには目をつむるけど、学園自体が危機にさらされたら困る、そう言うわけね」
「はい」
「分かったわ。報告ありがとう」
学園長はこちらを見た。美しい顔には奇妙に表情がない。
「私が
おや?
「渡良瀬瑞希。彼女も関わっているんでしょう? 貴方達三人が一緒に行動しているのはコア監視員からの報告で分かっているわ」
「言うことを許してもらえるんですか?」
「少なくとも、貴方達の度胸と推察力、観察力などは分かった」
学園長は椅子ごとこちらに背を向けた。
「そして、貴方達が馬鹿じゃないことも分かった。馬鹿だったらこの場で追放処分にしようと思っていたけれど、ここに来るのはそれなりの危険があると覚悟してやって来て、重要な情報を渡してくれた。そう、私も分かっていたの。コア監視員からの報告に時折穴があることが」
僕は驚いたが、顔は辛うじて笑顔のままだった。
「じゃあ、僕たちの心配は事実だったわけですね?」
「貴方達がここに来てくれたおかげで確信が持てたわ。裏に何者かがいると。それが誰かを調べなければならない」
「お手伝いしましょうか」
学園長はもう一度こちらに体を向け、僕と彼方くんとじっと見た。
「……そうね、もし分かったことがあったなら、貴方達のコア監視員で私に報告して。期待はしていないけれど、一年生でここまで辿り着いたのならば何か成果を持ってくるかもしれない。それを期待しているわ。それと」
学園長は付け加えた。
「このことを話す相手は渡良瀬瑞希一人だけ。それ以外……特に長田に漏れている節があれば、この学園は崩壊すると思って」
「それは」
僕はもう一度笑みを浮かべた。
「長田先生を疑っているということですか?」
「やっぱりまだ一年生ね。安心したわ」
学園長は再び笑みを見せた。
「長田はコア監視員を危険視しているのは、当然覚えてるわよね?」
追加授業の会話の報告も受けているんだろう学園長の言葉に僕は頷く。
「でも、学園を構築するにはコア監視員が欠かせない。コアの異常を素早く察知して報告するコア生物がいないと、この学園で行われている研究の大半は潰れる。それは日本という国のコア研究が大幅に遅れるということ。話が学園から国単位になってしまったけれど、長田が生徒に危険思想を吹き込むのは構わないけど、彼自身が動く気になったら厄介なのよ。彼もこの学園の研究者の一人、国家クラスのコア主だから。だから、彼が動かないようにするためにも貴方達を解放する。もし貴方達が長田先生を心配するなら、今聞いたことは話さないことね。彼が動く気になったら、貴方達三人じゃ止められない程には彼は強いから」
「分かりました、学園長」
「それじゃあ、退出してちょうだい。私はこれから忙しくなるけど、貴方達の報告は真っ先に伝えるようにコア監視員に言っておくから」
「失礼します、学園長」
「じゃーな学園長」
僕たちが乗り込んだエレベーターのドアの隙間、一瞬見えたのは、再び背を向けて考え込んでいるらしい学園長の姿だった。
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