第30話・準備体操一つで
日曜日は長田先生が言った通り、全身ガッタガタで動けない程の筋肉痛が来た。ココが気を利かせて食事を部屋に運んでくれなければ、僕は空腹でも部屋から出られずもんどりうってただろう。
そんな時、長田先生から届いたのが、大量のシップだった。
先生が送ってくれただけあって、シップを貼ると、本当に痛みが和らいだ。シップ臭くはあったけど、筋肉痛はすごくマシになって、何とか食事をとれた。
そして月曜日、平日の朝。
僕は早起きして、部屋の中でラジオ体操をした。
出来るだけ大きな動きで、使っている筋肉を意識して、全力で。
何だか気に食わなかったので、七回ほど繰り返した。
確かに長田先生の言うとおり、筋肉痛になる前より体が大きく動いている気がするし、息も切れてくる。体力と筋力を鍛えるにはぴったりだ。
シャワーを浴びて食堂へ行く。
男子寮の食堂はいつも賑やかだった。
「おう、ちょうどいいところに」
後ろから声をかけられて振り向いたら、一先輩が親子丼のトレイを持って立っていた。
「食いながら話していいか?」
「あ、はい」
角の方の、あんまり人が来ない辺りに移動して、先輩と僕は差し向かいで座る。
僕の食事は鮭の塩焼きと味噌汁。ていうか朝一で丼物食べる先輩はすごい。
「長田先生に気に入られたようだな」
小声で話す一先輩に、僕は首を傾げた。
「気に入られた……って言うのかなあ。正直怒ってたって言ったし、意地悪したって言ってたし……」
「その長田先生の意地悪を、ラジオ体操OKが出るまで繰り返したんだろ?」
「見てたんですか?」
「まさか。俺もやられたんだよ、担当教員の時間で」
先輩は親子丼を五口ほど食べてから、頷く。
「俺の時も言ってた。こんなに真面目に体操第一に付き合ってくれた生徒は初めてだって。それで見込みがあるって言われて今でも俺の担当教員なんだ」
「確かに、ラジオ体操第一って何だってなりますよね」
「そうだな。しかもそれの繰り返し、最初の方で失敗したら最後までやってからまたCDを再生ってんだから、結構厳しいんだ」
「なんで長田先生に僕を紹介したんですか?」
どんぶりをわしわしと食べる先輩に、聞いた。
「追加授業のラジオ体操で二度と来なくなった生徒ばかり……って先生が言ってたのに、追加授業やる気のなかった先生に頼むなんて」
「お前ならついて行けると思ったからだよ、丸岡」
一先輩は当然のことのように言った。
「自分の弱点を分かってる。自分の足りないところを知っている。それを補うために俺の所に来たのなら、例えラジオ体操第一であっても言われたことはやってみようと思うだろ。実際お前のこと、褒めてたぜ、長田先生。丸岡みたいな生徒がいてくれるなら、教師をやっている甲斐があるって」
きょとんとした僕に、先輩はニッと笑った。
「長田先生は元々教師志望だったんだそうだ。コアを手に入れて、それが肉体強化系だと知って、身体を鍛えることに興味を持って。それを教えられたならと、思っていた古典教師じゃなくて体育教師の道を志したんだと。ところが先生の基礎中の基礎を理解してくれる生徒がいない。体育教師をやめてコア研究だけやっていようか、とか考えてたらしい。そこにお前が現れて、ラジオ体操連続にバカ真面目に付き合ってくれたから、そう言う生徒がいるんならまだ教師を続けようって思ったってさ。学園としてもほっとしてるんじゃないかな。一般授業は教師の資格持ってなきゃ教えられないことになってるけど、体育教師で、しかもあそこまで実績のある長田先生を外したら次がいないから」
それだけ言い切って、先輩は軽く声を潜めた。
「お前、何回繰り返した」
「ラジオ体操第一ですか? 二十一回目でやっとOKもらえました」
「すげーな、お前。俺だって十八回でぶっ倒れかけたのに」
「昨日は筋肉痛で動けませんでした」
「それで長田先生、秘蔵のシップを送ったんだな」
「秘蔵?」
「先生から聞いたろ? 他者治癒能力を」
僕が頷くと、先輩は更に声を潜めた。
「その効果などを物品に付与できないか、って研究もしてたらしい。お前さんに届いたシップは医学的にもコア学的にも効能のあるスペシャル品だ。そこらのシップの百倍はする値打ち物。そもそも先生が出したがらないから買い手もない。そんな秘蔵品を送ってくれたんだぜ。先生、かなりお前に期待してるよ。俺も」
食べ終わって、よいしょ、と立ち上がりながら、先輩は笑った。
「後輩に頼られたのは嬉しいし、紹介した担当教員に気に入られたのはもっと嬉しい。感謝するなら、先生の指導に一生懸命ついてきな。コア学は分からなくても、肉体は確実に鍛えられるから」
「はい!」
じゃあな、と一先輩は食器受け取り口に向かって行った。
「褒められましたねー」
ココが嬉しそうに言う。
「先生に褒められて、先輩にも褒められて……コア監視員として、嬉しいですー!」
「そりゃよかった。今日の時間割は……」
調べて、午前最後の授業に「体育」の文字を見つけた。
「はい、こんにちは。今日もよろしくお願いします、はい」
「「「よろしくおねがいしまーす!」」」
長田先生は相変わらずカピパラのような顔で、生徒を見回した。
「ではまず準備体操から始めましょう、はい。準備体操は運動より大事です、はい」
学校の付属品のスピーカーから、ここ数日で三十回近く聞いた音楽が流れてきた。
ここで手抜きは許されない。全身を使って、筋肉を鍛える。
ラジオ体操が終わって、何だか体育館が静まり返っていたので、僕は周りを見た。
?
みんな、目を見開いて僕を見てる。
僕、なんか、やったっけ。
「はい丸岡君、いいですね」
長田先生がぬぼーっとした口調で言った。
「本来なら、一年生全員に、丸岡君くらいの準備運動をやってほしいのです、はい。ですが、皆さん、ラジオ体操くらいって思って手を抜いてましたね、はい。準備運動だからこそ手を抜いてはいけないのです。真面目にやらなかった人は反省してください」
「だけど、ラジオ体操なんかで強くなれるのかよ」
ぶーたれた声が聞こえた。
彼方?
「ラジオ体操を真面目にやったって、何かいいことでもあるのかよ」
「んんー、そうですねえ、はい」
先生は少し考えるようにして、頷いた。
「では、ラジオ体操を真面目にやった丸岡君と、やらなかった彼方君に、どんな差がついているか、試してみましょう、はい」
先生は生徒を体育館の脇に寄せ、やっとシップの取れた僕と、彼方を並んで立たせた。
「丸岡君の能力はコピーでしたね、はい。では、彼方君のコア能力をコピーしてください」
「は、はい」
午前の授業で教わった薄い青……白藍色にコアが変色する。
「はい。では、同時に、私に向かって、全力で攻撃をしてください」
「いいのかよ、そんなことして」
「私は大丈夫です、はい。今の君達の実力で、私の筋肉硬化を破れないのは分かっています、はい。全力で、そうですね、
「怪我しても知らねーぞ!」
全力解放なら僕が勝てるはずがない。
何を考えてるんだろうか。
でも、ラジオ体操で上がった息を整え、空気を動かす。彼方も同じように空気を練る。
「では、一、二、三、で放出。一、二」
「三っ!」
僕と彼方の
でも。
「え?」
彼方の
彼方が呆然とする。
「分かりましたか?」
先生はぬぼーっとした顔で、彼方に言った。
「どんな機械でも、いやだからこそ、突然全力運動をすれば壊れます、はい。人体も一緒です、はい。激しい運動をする前に、身体にこれから動くよという合図をしなければ、はい、全力は出せません。はい、準備運動の大切さ、お判りいただけたでしょうか」
彼方は項垂れてそっとそこを離れた。
「皆さんも。コアを全力で使いたければ、はい、まず基礎である肉体を鍛える必要があります。そうでなければ全開の力は出せません、はい。たかがラジオ体操、されどラジオ体操。それを真面目にやるだけで、随分違った結果が出るのが、お判りいただけたでしょうか、はい」
手を抜いた分もう一度始めから、と始まった二回目のラジオ体操第一に、みんなそれぞれ少し真剣な顔をしていた。
だけど、彼方は。
全力で動いていた。
準備体操一つで差がつくと知ったから。
だから、僕も、本日七回目のラジオ体操第一を全力でやっていた、
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