第29話・鍛えるって大変だ
長田先生の担当室で始まったラジオ体操。
しかし、それがすごかった。
ラジオ体操第一を……繰り返し二十回。
「一回目。まだです」
「八回目、まだまだです」
「十三回目、まだまだです、はい」
先生は自分も体操をしているのに、僕をしっかり見ていて、ちょっとでも手を抜くと、CDが終わると同時に容赦なく再生ボタンを押された。
「はい、いいでしょう」
ようやくOKをもらえたのは、二十一回目だった。
全身が悲鳴を上げている。
ラジオ体操第一でここまで追い込まれたのは初めてだ。
「っひ、膝がガクガク言って……」
「はい、限界は見極めなければなりません」
先生はぬぼーっとした顔のまま答えた。
「筋肉痛はどうして起こるか知っていますか?」
「え? ……運動のし過ぎ?」
「はい。運動で筋肉繊維がちぎれます。それが筋肉痛ですが、実は、その間に、身体が成長しているのですよ、はい」
「せ、いちょう?」
「超回復といい、ちぎれた筋肉が更に強化されて回復するのです、はい。限界を越えなければ成長はないのです、はい」
「ラジオ体操第一で、限界って……そりゃ二十一回って半端ない回数やったけど……」
「はい。君の追加授業の始めにラジオ体操第一を持ってきたのには、ちゃんと理由があります、はい」
長田先生は僕と同じ回数ラジオ体操第一をやったとは思えない平坦さで、淡々と教えてくれた。
「まず、ラジオ体操第一なら、どこででもやれますね、はい。自室でも、教室でも、廊下でも、日本であれば何処でやっていても問題はありません、はい。そして、ラジオ体操は、全身の筋肉を使います。はい。体の歪みも正し、内臓にもいい影響を与えます、はい。本当なら第二までやりたいところですが、はい、第二は運動強度が高いので、多分今の丸岡君の体力では、もたないと思いまして、はい」
「……もちません。ていうか……こんな状態で、これから先、訓練、できるんでしょうか……」
「後はストレッチをして終わりです、はい」
「え?」
「CDを貸しますので、はい、毎日、ラジオ体操第一をやってください。最初の頃のような手抜きの体操ではいけません、はい。最後にやったように、全身を、全力で動かして下さい。出来れば複数回ですね、はい。で、その後、今から教えるストレッチをしっかりやってください。はい」
「納得できたら、一回でもいいんですか?」
ストレッチを始めながら聞いた僕に、長田先生はぬぼーっとした顔で言った。
「できれば納得する動きができるまで、何度でも繰り返してください。はい。一回でも納得できない動きがあれば、はい、最後までやって、もう一度最初から」
「僕が納得するまででいいんですか?」
「最後の体操を覚えているでしょう」
長田先生はストレッチをする僕の身体を押しながら言った。
「あの体操以外の体操は、納得できましたか?」
……確かに、最初はラジオ体操だと思って気を抜いた。
続いて、どうやったら手を抜けるか考えた。
九回目辺りから、もうこれは全力でやるしか終わらないぞとなり、最後、二十一回目はもうやけくそに全身を全力で動かしていた。
「……確かに、納得できませんでした」
「はい、そうでしょうね。ですが、筋肉を使って、その後、筋肉をほぐす。それを繰り返せば筋肉は確実に成長します」
「コア能力は使わなくていいんですか?」
「はい。コアは体に同化した時点で、体の一部であると、私は判断しています、はい。肉体を鍛えれば、自然と、コア能力も上昇すると、私は思っております。はい、無論、研究者の中には、異説を唱える者もいますが、はい、私はそうやって、肉体とコアを鍛えてきました」
「肉体強化だったからかもしれませんね」
「そうですね、はい。私はコアを手に入れるまでは、体のことなど、全然気にしていませんでした、はい。コアが肉体強化となって、果たして、コアで強化できる能力が、コアなしでどこまでいけるか、コアなしで鍛えた体をコアで強化したらどうなるか。それが、私の研究の始まりでした、はい」
「結果は、出ましたか?」
「それがなかなか、はい。鍛えれば鍛えるほど、限界が遠ざかるような気がしてなりません、はい。ですが、そうでなければ、私はこの研究を続けなかったでしょう、はい」
「結果が見えないのに?」
「はい。オチの見えた話なんて、誰が見たいですか?」
先生の寝起きのカピパラのような声には、真剣な響きが宿っていた。
「限界がすぐ見えたなら、はい、私は体を鍛えることも、それを研究することもやめて、別の道に行っていたでしょうね、はい。自分の肉体にも、コア研究にも、いまだに限界が見えないから、やっていて楽しいんですよ、はい」
ストレッチのやり方を教えてくれながら言った先生の一言は、すごく心に残った。
「はい、今教えたラジオ体操のやり方は、動きが大きいので、公共の場所ではやらない方がいいでしょう、はい。自室でやってください。防音はしっかりしていますので、問題はないはずです、はい。出来れば風呂に入る前に動かして、入って体を温め、ストレッチする。これがいいでしょう」
「なんか小学校の夏休みの宿題みたいなんですけど、それでいいんですか?」
「はい、構いません」
「ラジオ体操第一で筋肉痛にならないようにする、それが第一課題ですね?」
先生は温泉に入ったカピパラのように目を細めた。
「はい。それが君の第一の限界突破の目標です。はい。君のコアは、私の理論で強化されるかどうかは分かりませんが、少なくとも君の望む体力と筋力づくりには向いているかと」
最後のストレッチを終えて、先生は僕の身体をぽん、と叩いた。
「はい。部屋に戻ったら風呂に入って、今教えたストレッチをしっかりやってください。それだけでも翌日の筋肉痛は随分違うはずです、はい。それにしても、君も変わった人ですね」
「え?」
見上げた先には長田先生のぬぼーっとした顔。
「はい。正直、私少々、腹を立てていました」
「???」
「私は一般教員の資格も持っていまして、はい、追加授業も引き受けることがよくありました。しかし、基礎中の基礎であるラジオ体操第一とストレッチを教えても、次の追加授業から来なくなる生徒ばかりでした、はい。ですから、意地悪をしていました」
「やっぱりあの二十一回って言うのは意地悪で?」
「半分は。そして半分は君を見極めるために」
ぬぼーっとした目の奥には、御影先生にも似た熱が密やかに燃えていた。
「はい、八雲君の紹介で君を引き受けましたが、君が何処まで真剣か。何処まで本気で鍛えようと思っているのか。はい、それを知るために、君のラジオ体操をかなり厳しく採点していました」
「それで二十一回も?」
「はい。君が音を上げる様であれば、八雲君の紹介でもこれ以上は何もしないというつもりでいました、はい。しかし、十回目辺りから、君は真剣になりました。はい、本気で動くようになりました。最後の五回は、普通の生徒になら合格点をあげていましたが、敢えて厳しく見ました、はい。そして君は私から合格点を勝ち取りました。ここまでついてきた生徒は八雲君以外にはいませんでした」
「他の人は……逃げたんですか」
「逃げました」
長田先生は淡々と答える。
「ラジオ体操第一なんて馬鹿にするなと言って中断した生徒もいました、はい。ですが、基礎は大事です。基礎が出来なければ応用は出来ない。小学校の算数が出来なければ高校で物理が分からない。その基礎を疎かにするような人間を、教える気は、ありません、はい」
「じゃあ、僕は?」
先生はCDラジカセごと僕に手渡してくれた。
「はい。とりあえず土曜日ごとということで一週間。次の経過を見てみたいと思わせたのですから、その期待を裏切らないでください、はい」
「ありがとうございま……!」
す、と深々と頭を下げようとして、ジャンプで負担が来ていた膝がかくんと折れた。そのまま座り込もうとする僕を先生がキャッチする。
「ちょっと無茶しすぎましたかね。すいません、はい。私の信条には反しますが、ちょっとインチキします、はい」
先生は左手を僕の膝に当てた。何か、掌以外の柔らかい感触。
スッと、膝の負担が遠のいた。
「え?」
「私の能力は肉体強化、はい、自己治癒力も同じに強化されるのです、はい。それを踏まえて、第三者の蓄積された疲労を治癒する能力も身につけました、はい。つまり、膝の疲れを少しばかり取りました」
先生の左掌には、黒と茶色が混ざったような独特な色のコアがあった。
「他者への自己治癒力って……とんでもないレア能力じゃないですか」
「なかなか今まで使おうと思う人がいなかったので、はい。それに、私の力は、気休め程度にしかなりません、はい。戻ったらお風呂で存分に筋肉をほぐしてください。でないと明日はつらいです、はい」
先生は手を離した。恐る恐る立ち上がると、膝はかくんとならない。
「このコア能力は、黙っていてください。はい。それを目当てに押し掛けられても、対応しきれませんので、はい」
「わ……かりました」
「では、本日の追加授業はこれで終わりです、はい。復習を忘れずに」
「ありがとうございました」
僕は全身ガタガタの身体を引きずって(でも膝だけはマシだった)、長田先生の担当室を後にした。
「筋肉痛はひどくなりそうですよー」
担当室を出てからココが言った。
「覚悟の上……って言うか覚悟の数段上を行かれたけど、鍛えなきゃいけないから……」
「彼方壮のことがあるからですかー?」
「うん。あいつにあれだけタンカ切っておいて、自分は何も成長しないなんて情けないマネ、したくなかったから」
「土曜日なのが幸いしましたねー。明日は筋肉痛で全身ガッタガタと予測されますー」
「明日位部屋にこもっていてもいいだろ」
「そうですねー。男子寮には他の風紀委員もいますしー、出動要請が来ても体調不良で断れますからー」
「コピーの能力で強くなろうと思うなら、まずぼく自身が強くならないとダメなんだ」
僕は足を引きずりながら言った。
「その為には、長田先生についてくしかないんだ」
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