第26話・自称最強天才の挫折

 体育の授業が終わって、座学が始まっても、彼方は戻ってこなかった。

「彼方壮ー。彼方壮はどこだー?」

「知りませーん」

 同級生はニヤニヤ笑いながら返事する。

 自分が一番強いんだ、他の連中は弱いんだ、と見下した態度を取り、一年生の一番のような顔をしていた彼方の圧倒的敗北は、見ていた同級生にはスカッとするものがあったらしい。

 正直、僕もスカッとした。

「仕方ないな。和多利先生に連絡を」

 先生は虚空を見上げてそう告げた。先生にもコア監視員はついているらしい。

 それきり、彼方のことが話題に上ることはなく、授業が終わる。

 彼方は戻ってこなかった。


 休み時間が始まってすぐ、一人の熟年世代の男の先生が教室にやって来た。

 先生は教室へ入ってくるなり僕と、隣の渡良瀬さんを見て手招きする。

 僕と渡良瀬さんは一瞬顔を見合わせて、手で「どっち?」と聞いた。

 先生は手で「両方」と返す。

 風紀委員の出番なのかな。でもそれだったらココが反応を示すはずだし。

 とりあえず僕らは先生の所に向かう。

 その途中で思い出した。

 あれは和多利わたり和豊かずとよ先生。生徒指導でコア車道移動免許教官で陸上部顧問で、彼方の担当教員。

 小走りで行った僕らに、先生はこっち、と手で示して、生徒がいない場所に行った。

「貴重な休み時間中に済まないが、力を貸してもらいたい」

 厳格そうで、八雲委員長とは違った意味で背筋の伸びる先生は、小声で言った。

「彼方のことですか」

 先生は頷いて話し出す。

 先生は彼方の担当教員なので、当然彼方の居場所は把握していて、彼方は授業をサボって屋上で荒れ狂っているという。

「え? コア監視員からの出動要請はありませんでしたよ?」

「コア能力を使うこと自体は校則違反ではない。それを他人や備品、建物に向ければ違反になるが、空中に向かって放っている場合は違反とは見なされない」

 なるほど。

 やっぱり体育の長田先生に何も出来ずに負けたのが相当悔しかったらしい。

 だけど、だから空に向かって八つ当たりって……。

「先生は、私たちにどうしろって言うんですか?」

 渡良瀬さんが本題に切り込んだ。

「彼は自分の力に相応しい扱いがされていないと思っている」

 先生の低い声に、思わず僕は天を仰いだ。

 そんなに特別扱いがされたいのか。だったらそれに相応しい人間になれよ。

「彼は中学時代、成績は完璧だった。ただ、自分より能力がないと判断した者への寛容さが全くなかった」

 弧亜学園の教師の中でも古参に入るだろう先生は、難しい顔をして言った。

「そして、勉強でも運動でも喧嘩でも、彼を負かす者はそれまで現れなかった。教師であっても、だ。だから勘違いしたんだ。自分は誰より強い、誰より偉い、とな」

「で、長田先生に鼻っ柱を折られて八つ当たりしてるってわけですか」

「ああ」

 和多利先生は渋い顔をした。

「彼はまだ気づいていない。長田先生の外見で油断したこと、今の自分のすぐ傍に、自分と同等あるいはそれ以上に強いものが大勢いること、自分の望む扱いをされたければ努力しなければならないこと。それに気付かない限りはお山の大将のままだ」

 僕は長田先生の言葉を思い出していた。

(井の中の蛙大海を知らずと言います、はい。大海を知った蛙がどうするか。はい、彼方くんは井の中に戻っていく人間ではないと思っていますので、はい)

「で、僕らに何をしろと」

「もう一回、鼻っ柱をへし折ってやってほしい。君たちの手で」

 和多利先生は真剣な顔で言った。

「え? でもそれって、彼方くん余計傷付きません?」

 渡良瀬さんのもっともな意見に、和多利先生は首を横に振った。

「彼は、君たち二人が風紀委員に選ばれたのは、金かコネだと思っている。つまり、自分より強い者がいると気付いた今になっても同級生の実力を認めていない。まだ同級生の中では一番だと思う前に、彼の鼻っ柱をもう一回負って、自分と同年代でも強い者がいるのだと思い知らせてやってほしい」

「でも……ものまねオウムと鎮静化に負けても、彼方は認めないんじゃ……」

「まだ、君は彼方に勝ったわけではないからな」

 先生の声に気付いた。あの三次試験。僕は吹っ飛ばされて自力で地上に戻れない状態にされた。勝負には負けている。そして、渡良瀬さんも、別の誰かに負けたと言っていた。

「特別扱いされている君たちが彼方に勝てば、さすがの彼も思い知らざるを得まい。自分より強い人間はすぐ傍にいて、追い抜きたければ努力するしかないのだと。コア戦闘許可は私が出す。どうか、やってほしい」

「でも僕ら、コア戦闘は」

「丸岡君は三年同士のコア戦闘を止めた」

「いや、あれは偶然と幸運のおかげです」

「偶然と幸運も立派な実力の内だ。データは見させてもらった。見事なものだった」

「でも、私はいらないんじゃ」

「いや、君は必要だ」

 和多利先生は渡良瀬さんを見た。

「通常の精神状態では彼は我々の言葉も聞き入れない。だが、君の鎮静化があれば、強制的に鎮静化した状態で説得すれば、彼も納得するだろう」


「くそっくそっくそっ」

 彼方は、空に向かって刃を連打していた。

「なんであんなヤツに……なんであんな、ぼーっとした顔の教師なんかに……なんであんな」

「彼方!」

 僕の声に、彼方は鬼の形相で振り向いた。

 和多利先生と渡良瀬さんは今は隠れている。僕一人しか見ていないはずだ。

「あ~? 金かコネで風紀委員の座を勝ち取った落ちこぼれが、偉そうに俺を呼ぶな!」

「金かコネで入学したのは、君の方じゃないの?」

「ぁあ?」

 出会った時は自信家ではあったけれどもそこまで荒んではいなかった彼方は、今はそこらの不良でもしないような表情で僕を見る。

 怒ってる。でもいい。怒らせなきゃいけないんだ。

「風紀委員への反抗、教師とのコア戦闘……退学にはならなくても停学くらいはつくはずだ。なのに今、ここにいるのは、君が金かコネで教師を黙らせてるんじゃないのか?」

「もう一度言ってみろ……」

 その低い声に、陰キャラだった僕の足が震えそうになる。

 それほど彼方の声はすさまじかった。

「もう一度言ってみろ!」

「何度だって言ってやる! 努力もしないで偉そうにするのはやめてくれ! この学校に入学した君以外の生徒は、血のにじむような努力をして入学して、必死の思いで勉強してるんだ! 君みたいに他人を見下すことしか知らないで少しの努力もしない人間が、この学校にいること自体間違いだ!」

「ケンカ……売ってんのかよ」

「ケンカじゃない」

 僕は、震えそうになる体を必死で押さえて、言った。

「事実だ」

「いい度胸だこの野郎!」

 先制攻撃は、僕だった。

 喋っている間に、彼のコアをコピーする。

 そして、彼が攻撃する前に一撃をぶつける。

 力を全解放するのは僕には無理だ。だけど、絞り込むなら。

 彼方が長田先生との戦いで使った風を、イメージで凝縮する。

 全身が入るほどの大きさの空気の膜を、拳大に凝縮して、ぶつける!

「がっ!」

 彼方が放った空気の塊を突き抜けて、僕の攻撃は彼方の右肩を強かに叩きつけた。

「長田先生が言ってたよね。例えどんなに強力な力を持っていたとしても、絞り込めなければ無駄な力を使うだけって。僕のコピー能力は、多分今は君以上の力を引き出せない。だけど、絞り込むことで、君の攻撃を突き抜けて君にダメージを与えた。この意味が分からない程、君はバカじゃないはずだ」

「舐める、なあっ!」

 空気圧殺エア・プレッシャー……恐らくは今の彼の全力の攻撃が僕を襲う。

 だけど、僕は足を踏ん張って、空気の圧から僕の前面を守れるだけの範囲にして空気膜エア・バリアを張った。

 空気がぶつかり合って、両方とも消える。

「バカな……貴様みたいな陰キャラに……この俺にヘラヘラするしかないようなヤツに……」

「そう、君は、負けている」

 僕の声は、僕の精神状態ではありえない程に、冷静だった。

「同じ力だったら、制御できるかどうか。君は自分の力を制御できる自分に負けたんだ」

「うおあああああ!」

 今だ!

 渡良瀬さん!

 拳を握って走ってきた彼方に、それまで屋上入り口で身を潜めていた渡良瀬さんが、光を放つ。

 光にぶつかった彼方は、その勢いのまま倒れ込む。

 そこへ、和多利先生がやって来た。

「済まなかったな、君たち」

 大柄な彼方を軽々と持ち上げて、和多利先生は頭を下げる。

「君は自分の力を制御できる自分に負けた、か。この言葉は彼の胸に突き刺さっただろう。自分以上の力を持ちえないはずのコピーに負けたとは、つまりそう言うことだ。この意味を知れば、彼も改めざるを得ないだろう。もしこれでまだ納得いかないようだったら、退学も考えなければならないだろうが」

 肩で息をする僕と渡良瀬さんに一礼して、和多利先生は彼方を抱えて階段を降りて行った。

 そこで、僕の足の震えが本格化して、僕はへたり込んだ。

「丸岡くん!」

「……あ~怖かった……」

「あれだけ堂々と話し進めてたのに?」

「僕は彼方の言った通り地味な陰キャラなんだよ。彼方みたいなヤツは一番怖い。そんな相手を怒らせて勝て、なんて、無茶なんだよ」

「まあまあ」

 渡良瀬さんは笑って、僕を鎮静化させてくれた。

「怪我もしてないみたいだし、合同教室に戻ろう? 和多利先生が中抜け許可出してくれたけど、途中からでも受けといたほうがいいし」

「そうだね」

「それとね」

 渡良瀬さんは、笑った。

「カッコよかったよ、丸岡くん」

 僕は頬に血が上るのを感じた。

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