第25話・それはコア体育の時間だった

 半分生徒を研究材料として使う研究者の集まりでもある弧亜学園も、一応は高校であって、ちゃんと一般授業もある。主に午前中だけで高校の授業をこなすので、かなり詰め込み式になるから、高校受験では詰め込み授業についてこれる学力の持ち主かどうかが問われると一先輩が言っていた。

 そして、一応体育もある。

 体育は一般授業の中でも数少ないコアを使える授業なので、コア体育とも呼ばれ、運動が苦手でも待ち遠しい生徒がいるくらいなんだ。


 体操着に着替えて体育館に行く。

 昨日の騒動が嘘のように体育館は綺麗になっている。多分天野先輩が空木先輩と仲直りしながら床の掃除をしたんだろう。濡れている様子はない。

 コア体育担当の先生が、一年生全員を整列させた。

「はい改めまして。体育担当の長田おさだ直治なおはるです。はい」

 何処かぬぼーっとした先生が、床に座っている生徒に頭を下げた。

「まず、体育ではコアの使用ができますが、それは勝手に使っていいという意味ではありません。はい、教師の監視の下、コアの安全な使い方を模索する。解放が担当教員授業であるのなら、この時間は制御を学びます、はい。制御できない生徒は、はい、授業について行けていない、はい、つまり補習や再試験が必要とみなしますので、はい、その点注意してください、はい」

 えらく「はい」の多い先生だな。

 これでコアの制御方法を学べるんだろうか。

 チラッと横を向くと、同級生たちの顔に浮かんでいる疑問の顔。

 みんなおんなじこと考えているんだろうな……。

「はい、では、まずは準備体操から……」

「ちょっと待てよ」

 ああ、また、彼方か。

「コア体育はコア能力を使える時間だって聞いたのに、何で制御なんかしなきゃならないんだ」

「はい、そう来ると思ってました」

 ぬぼーっとした、お風呂に入ったカピパラさんを連想させる顔で、先生は続けた。

「はい、ただコア能力を全力発動させるだけなら、誰にでもできます。はい。そんなは、弧亜学園では行いません。はい。コア能力を制御することによって、能力の発動に幅が出てくると、そう言うわけです、はい」

「そんなつまらない授業受けるために弧亜学園入ったわけじゃないぞ俺は! この能力を全力で使って最強になるために入ったんだ!」

「はい、昔のゲームのような目的ですね、はい。それを目的に入学する学生は多いです、はい」

 ぬぼーっとしているので表情が読めない先生は、眠そうな声で続ける。

「でも、ただ力を上げていけば、はい、制御できない力は、往々にしてしっぺ返しを食らいます、はい。それでボロボロになる十五・六歳がどれだけ多いか、はい、君たちも知らないはずはないでしょう」

 それは知ってる。

 大量の水を操ろうとして暴走させて自分ごと川に流された、というのはもちろんあるし、身体を固くさせる能力が何処までできるかを試してみたくて走行中の車に向かって行って自分も相手も大怪我したとか、炎を操り切れなくて自分ごと家を焼いたとか。

「そんな授業が必要ないと思うなら、はい、そうですね」

 長田先生は言った。

「私とコア戦闘で勝てたなら、はい、体育の授業免除、ということでどうでしょう、はい」

 コア戦闘?! 体育の授業免除?!

 彼方はニヤリとした顔で立ち上がった。

 彼方……それは、無茶だよ。

 先生相手にコア戦闘って……無茶だ。

 昨日三年生の先輩のコア戦闘を見たから分かる。この学園でコアの使い方を覚えた生徒の強さを。

 ましてやそれを指導する先生なんて!

 ……と思うんだけど。どうも緊張感のない顔だなあ……。


 先生は僕たちを壁際に下がらせて、体育館の中央に立った。

 彼方と向かい合う。

「そうですね、はい、あの時計で、十時ぴったりに戦闘開始、はい。それで、どうですか?」

「望むところだ」

 同級生はみんな不安そうな顔をしている。

「ね。ね」

 渡良瀬さんが声をかけてきた。ああ、体操服姿も似合う……。

「どっちが勝つと思う?」

「コアの使い方は先生の方が上だろうね」

 渡良瀬さんに視線が行くのをごまかすために好戦的ワクワクしている彼方の顔を見ながら、僕は答える。

「先生のコントロール技術が、彼方のパワーを上回るかどうかじゃないかな」

 その間に、体育館の時計の長針が動いた。

 十時!

「行くぞ覚悟しろおおおっ!」

 彼方はいきなり空気斬エア・スラッシャーを繰り出した。

 強い!

 受験の時より威力が増している! 刃の数も段違いだ!

 先生が危ないんじゃ……?

 襲い来る空気の刃の中、先生はぬぼーっとした顔のまま動かない。

 空気斬エア・スラッシャーが直撃した。

「はんっ! 風紀委員長の時は油断したからだ、油断しなきゃ俺に勝てる相手なんて……」

 ない、と言おうとしたんだろう。

 でもその続きが発せられることはなかった。

 先生は、立っていた場所から動くこともなく、そこに立っていた。

「はい、効いてませんね、はい」

「バカな……」

 彼方は呆然とする。

「この程度の攻撃なら、二年生の下位にも効きませんね、はい」

「それなら殺す気でやるまでだ!」

 ぐぅっと彼方の手元で空気が圧縮される。

 空気圧殺エア・プレッシャー。僕に食らわせた時より更に強く、巨大になっている。

「死ねええええ!」

 おい、仮にも先生に死ねはないだろう。

 空気圧が先生にぶつかる。

 先生は表情一つ変えず、立っている。

「ここからだ! 空気爆発エア・ボム!」

 先生にぶつかった空気の塊が……破裂した?!

 爆発した空気の圧がここまで届いて、女子の誰かが悲鳴を上げる。

「はははっ! 俺をなめるから、こう、なるん……」

 彼方の声がしりすぼみになった。

 先生は。

 温泉に浸かっているカピパラさんのようにぬぼーっとした顔のまま、体育館の中央に、一ミリも動くことなく、立っていた。

「はい、攻撃が荒いですね。ただ強力な技をぶつけるだけなら、はい、コアに目覚めたばかりでもできます、はい。ですが、絞り込まなければ、防ぐ必要は、はい、ありませんね」

「なら……」

 彼方が吠えた。

「俺の空気膜エア・バリアを越えてみろよ! ただ動かないだけじゃ勝てないんだぞ!」

「はい、そうですね」

 先生は答えた。

「では、攻撃に移るとしましょう」

 先生はゆっくりと彼方の方向に歩き出す。

 彼方は空気の厚い膜の中、先生に噛みつきたそうな顔で睨んでいるのに、のんびり歩いて、空気膜エア・バリアのすぐ傍で立ち止まった。

「はい、では、行きます」

 先生はゆっくりと右手を前に出して。

 指を軽く弾いた。

 その瞬間、弾いてできた空気の弾が、彼方の空気膜エア・バリアを、真っ直ぐに貫いた!

  ぱしぃぃぃぃぃん!

 空気の弾……彼方の空気弾エア・バレットより凝縮された空気が、弾となって、彼方の頬をかすめ、背後のバリアも突き破って、消える。

 彼方は弾がかすめた頬からにじんだ血に気付く様子もなく、呆然と立っていた。

「分かりましたか、はい」

 ぬぼーっとした顔のまま、先生は言った。

「例えどんなに強力な力を持っていたとしても、絞り込めなければ無駄な力を使うだけです、はい。例えどんなに強力な結界と言えど、絞り込まれた空気の弾に対応するだけの制御が出来なければ、貫かれます、はい」

「くっそ、同系統のコア能力なのかよ!」

「いいえ、違います、はい」

 先生はのんびりと言った。

「私のコア能力は、肉体強化です」

 え。

 彼方もまた呆然とした顔で先生を見ている。

「私の、硬度を強化した肉体に、君の空気は効きませんでした、はい。私の、高速で弾いた空気の粒に、君の空気は効きませんでした、はい」

 彼方を完膚なきまでに負かした先生は、のんびりと言った。

「空気の刃を、もっと絞り込めれば、はい、あるいは、空気の膜を、もっと凝縮させれば、君は、私に勝ったのかもしれません、はい。でも、制御できなければ、天性の戦闘センスだけでは、上には行けませんよ?」

 と、言うわけで、と先生は手を叩く。

「君が、体育の授業を受けたくないというのなら、はい、仕方ありません。ですが、どんな一般授業でも、甘く見て、真面目にやらなければ、同級生にも置いて行かれるだけですよ、はい」

 彼方はまだ自分が負けたことが認められず、突っ立っている。

 先生は僕らの方を向いた。

「では、改めて、準備体操を始めましょう、はい」

 整列しなおした僕たちの耳に、ごん! という音が届いた。

 振り返れば、床を殴る彼方の姿。

 歯を食いしばった鬼のような形相で、ひたすら床を叩く。

 先生はそれを綺麗に無視して、ぬぼーっとしたまま、ラジオ体操を始めていた。


「すごかったな、先生」

「だよね、動いたのって、歩いたのと、空気弾いた時だけだったんじゃない?」

 授業が終わって、喋る生徒の中、渡良瀬さんが駆け寄ってきた。

「丸岡くんの言った通りになったね」

「僕は昨日ここで三年生同士のコア戦闘見たから」

 肩を竦めて答える。

「三年生で体育館を壊しそうな戦闘ができるなら、それを教育する側の先生はもっと強いんだろうなって思っただけだよ」

「でも、大丈夫かな、彼方くん……」

「大丈夫です、はい」

 ぬぼーっと現れた先生に、僕は比喩表現抜きで一瞬心臓が止まった。

「井の中の蛙大海を知らずと言います、はい。大海を知った蛙がどうするか。はい、彼方くんは井の中に戻っていく人間ではないと思っていますので、はい」

 先生はそのまま僕らの脇を通り過ぎていく。


 弧亜学園の実力を思い知らされた時間だった。

 多分、彼方にとっても。

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