第5話
誰かが答辞を読んでいる最中に後ろの男が話し始める。「俺は認めねえよ。俺はあんな展開認めねーよ。どうして主人公がヒロインとくっつかなくて、ライバルの男がヒロインとくっつくんだよ。どうしてライバルとヒロインがくっついて終わるような話の構成にしたんだよ。意味がわからねえ。納得がいかねえ。俺はずっと主人公のことを応援していたんだ。なんとか主人公が報われて欲しいと思っていたんだ。それなのにだよ。それなのにどうして! だいたいあんな展開は誰が望んだんだ。誰が望んであんなことになってしまったんだ。きっと脚本家は追い詰められていたのだろう」どうやらドラマの話をしているようである。男は続ける。「でもヒロインもヒロインだよな。なんで最後にあんな男を選ぶかな。ライバルみたいな奴を選んじまうかな。確かにライバルはかっこいい奴だよ。最終的には主人公のことを助けたりしちゃってさ。見逃せばいいのに見逃せなくってさ。主人公を助けて、それで自分がダメになっちまうことを選んじまうなんてさ。それでそこにヒロインが寄って行っちゃうんだよね。私がライバルを支えてあげなきゃ、みたいなね。知らないけどね。俺はだってもうヒロインもライバルも嫌いだから彼らのことはわからないけど、でも多分そんな感じなんだろうな。そんな感じなんだろうなとは思うよ。もう思って思って仕方ないよ。お前もそう思うだろ?」
男の横にいた女が答える。「ごめん、私そのドラマ見てないのよね」
すると男が言う。「ドラマじゃねえよ。ドラマだけど、あれはドラマを超えたもっと別の何かだ」
「ドラマでしょ?」女は続けて「でも本当にごめん、私そのドラマ見てないんだってば。全然見てないのよ。話題になってることは知ってるのよ? 今巷でそのドラマが話題になってることは知ってるの。でも私は見てないのよね。もう一度言うけど見てないのよ。だからなんて言うのかな、申し訳ないけど、ここからは知ったかぶりをしてあなたの話に乗っかっていい? さもそのドラマのことを見ている、知っているようなふりをしてあなたの話に参加していい? もちろんわかるのよ。もちろん人にそんなことをされてしまうときのあなたの気持ちもわかるの。きっと心地良くないことでしょうね。きっとそれって気持ちのいいものではないはずだわ。でも私にはそうするしかないの。あなたの話に私が参加するにはもうそうするしかないのよ。参加しないって手もあるわね。その手もあると思うわ。もしあなたが『君はドラマを見ていないんだから、この話には参加すべきではない』という考えをもっているんなら、私はもはやそうするしかないわね。あなたの話には参加しないで、ただ黙ってこの場に鎮座しているわ。この場に居続けることを約束する。でももしあなたが私に話に参加してきて欲しいなら、わたしがそのドラマについて知ったかぶりすることを許してほしいの。そしてもし私がたまに全然見当はずれなことを言っても、優しく訂正するくらいにその注意をとどめておいて欲しいのよね。いい? 私に決して不満を持たないで。あなたが私に不満を持ったって何一つとしていいことなんてないんだから。むしろマイナスなことばかりが発生して、きっとあなたは今の私たちの関係が嫌になっちゃうわ。私との関係を放棄したくなっちゃうはず。さあ、では私はここからそのあなたの言うドラマを見たことがある女よ」
「あと許せないのはやっぱり主人公の父親だよ」男が言う。「俺はあんな奴は大嫌いだね。この世の中で最も嫌いで軽蔑する人種さ。だってその主人公の父親ときたらさ、まともに働きともしないで主人公にたかってばかりなんだもの。お金の無心をしてばかりなんだぜ? そのくせ主人公の夢にはずっと否定的なんだよ。否定的っていうかさ、その父親も主人公の夢のことをちゃんと理解してやってんのかどうかわからないけどさ、とにかくその彼から口をついて出てくる言葉が『そんなことお前みたいなもんにできるわけないだろ』なんだよな。そんなのわかんないだろっつーの。俺その主人公の父親のセリフを聞くとさ、なぜだか無性に腹が立ってくるんだよね。もう本当になんでか腹が立って仕方なくなくなってくるんだよ。だってそんなことってマジでわかるわけなくない? つまりその人の夢が叶うか叶わないかなんて誰にもわからないわけじゃん。それなのにどうして主人公の父親はそんなことが言えるんだよ。そんな無責任なことが言えるの? オレはそういうところにも腹が立ってるわけ。他人のことをむやみに非難してしまう奴なんか本当に大嫌いだよ。だってそんなの嘘つきと変わらねーよ。そいつのことを騙そうとしてる詐欺師と同じだよ」
「たこ焼き屋をやりたいってやつでしょ?」女が言う。「ほらあの主人公がさ、コンパのときに周りの連中が図らずもエリートばっかりでさ、それで言うことに事欠いてとっさに『俺は今たこ焼きの勉強をしていて、将来的にはたこ焼き屋になりたい』って周囲にはったりかましてたやつでしょ? そりゃ父親も反対するでしょーよ。そんなの絶対に反対するに決まってるわよ。だってそんなのこそまさに口から出たとっさの嘘なんだから。出任せに過ぎないんだから。そんな話をね、そんな話を信じられる親がどこにいるっていうのかしら。そんな適当な息子の話なんてまさかじゃないけど信じていられないわよ。何だったら腹が立ってくるでしょうね。そんな適当な将来の設計プランを聞かされたら『お前結局何も考えてねーじゃねーか』ってぶち切れたっておかしくないわよ。それにしてもその主人公も主人公よね。そんなコンパの場でのとっさの嘘を、いつの間にか自分の本当の夢へと昇格させてしまうだなんてね。昇格させてしまうだなんて! きっと彼は自分自身に騙されてしまったのね。自分自身に騙されてしまった質の人間なのね。いいえ、そういう人っているわ。そういう自分自身を無理やり自分自身で押さえつけて、何とかこのつらくて退屈な現実を耐え忍んでいる人っているわ。夢なんてなくてもいいのにね。夢なんかなくたって人は十分に生きていけると思わない? 適当についたはずの嘘が、彼の中でいつの間にか本当のことになってしまったのよ。それで彼も取り返しがつかなくなって、再び他人の前で、まあそのときは父親の前だったわけだけど、それで『お前将来はどうするんじゃ』となって『僕の将来はたこ焼き屋です』でしょ? 風呂上がりの父親に『僕はたこ焼き屋になります』でしょ? もう彼はいっそのことたこ焼き屋になってしまえばいいのよ! 現実として彼はもうたこ焼き屋になるべきなんだわ。絶対に実現不可能なことじゃないんだから。成功するのは難しいかもしれないけれども、それであり得ない話じゃないんだから。ねえ、そう思わない?」
「いや主人公の夢はたこ焼き屋じゃないから」男が言う。「主人公の夢は北海道で自分の牧場を持つことだから」そして男は続けて「お前急にどうしたんだよ。いきなり訳の分からないことを言い出してお前こそどうしたんだよ。俺、お前の隣に座っていて初めて恐怖らしい恐怖を感じたよ。ここが告別式の場だからかなって考えたよ。ここがジェームズの告別式の場だから、だから俺って今普段はまったく恐ろしくないお前の話も恐ろしく感じてしまっているのかなって思ったよ。でも違うんだな! それは事実とは違うんだな! だって本当に主人公の夢はたこ焼き屋なんかじゃなくて牧場主なんだから。雄大な北海道の地でたくさんの生き物たちの世話をすることなんだからな!」男は続けて「それで俺も彼のことを見ていたら北海道で牧場主になるのもいいなって思ったんだ」
「え、あなた北海道で牧場主になるの?」女が言う。「そんな話はじめて聞いたわ。あなたにそんな夢があるだなんて話、私ははじめて聞いたわよ。でも牧場主になるだなんて難しいんじゃない? それってとっても難しいことなんじゃないかしら。だって私今まで生きてきて、牧場主になった友達なんて一人もいないもの。それどころか、牧場主をやっている人さえ知らないわよ。そんな知り合いだっていないんだわ。それをあなた、まさかあなたかやりたがるだなんてね。しかもそのきっかけがドラマだなんて! よくよく考えてみれば、もしあなたがこれでいずれ牧場主になったとして、そのきっかけがただのドラマだなんてすごいわね。それって本当にすごいことよ。あなたの人生が変わってしまったんだもの! そのドラマのせいであなたの人生は全然これまでとは違う方向に進み始めることになったのよ! でも牧場主になることのどこがいいわけ?」女は続けて「理解できない。理解不能。あなたの言っていることなんて、申し訳ないけど半分以上は訳わかんないわね。何よ、いきなり牧場主になりたいだなんて。それも北海道の牧場主になりたいだなんて。しかもその理由がドラマですって? ドラマの主人公の夢が北海道で牧場を持つことだったからですって? あんた、頭の中に虫でもわいてんじゃないの? あんたの頭の中でいま虫たちがうごめき回っているんじゃない? 気持ちの悪い男! 気持ちの悪い男! あんたは本当に全人類の敵よ。あんたの味方なんて誰一人としていないんですからね。あんたの親兄弟だって、あんたの存在は恥だと思っているから、やっぱり誰もあんたなんて助けてくれないわ。一人海の中で溺れて死ね。あんたみたいな奴は一人で海に溺れて死んでしまえばいいのよ。今更牧場主になってどうやって生活していくつもりなのよ! 私は牧場のことなんて何にもわからないけれども、でもあんたがそうやってそれになりたいと夢を見るってことは、それなりにしょうもないことなんでしょう。はっきり言ってクズ人間しか思いつかないような、いいえ、クズ人間だからこそ思い付くような夢なんでしょうね。私北海道には一度でいいから行ってみたいな」
「北海道はいいところだぞ」男が言う。「食べ物が何でもおいしいんだ」
「あ、私その話聞いたことがある」女は言う。「北海道ってそうよね。北海道って確かそういうところよね。そう、食べ物が何でもおいしいところ。驚くほどに食べ物が何でもおいしいところなのよね。いまどきどこでも食べ物はおいしいわ! 冷凍食品のクオリティーとかすごい上がってるから、いまどきどこにいてもおいしいものに困ることはないわ! 北海道といえばその雄大な景色でしょうよ」女は続けて「北海道のあの雄大な自然の中で暮らせるなら、それはきっと素晴らしい人生よね。きっと素晴らしい人生だと言えると思うの。だってご覧なさいよ。ご覧なさい、いま私たちが生活しているこの街を。この街の景色を。本当にごみごみしているわ。本当にごみごみしていて、人々はみんなギスギスしている。もちろんギスギスしていない人もいるけれどもね。ギスギスしていない人もいるし、それにごみごみしていない場所だってちゃんとあるけれどもね。ごみごみしていない場所だってちゃんとあるの。でもうるさいよね。夜とかも本当に静かにならない。静かにならない街よ、ここは。だから私はたまにこことは違うところに行きたくなるわね。こことは出来れば全然違うところに行きたいと思うわ」
「今度の休み本当に北海道に行こうか?」男が言う。「そんなにどこかに行きたいなら、せっかく話題にも出たことだし本当に北海道に行こうか? 北海道に行ったらいいじゃないか。俺はいいと思うよ。俺たちが休み利用して北海道に行くことはとってもいいことだと思う」
「そりゃいいことかもしれないけど」女が言う。「それであんたが本格的に北海道を気に入ってしまって、それでそれからどうしてもそこに移住したい、移住して本気で牧場を経営したい、なんてことになったら私どうしたらいいのよ。この私はどうしたらいいと言うの? あなた本当に私のこと考えてくれてる? 私のことを考えてくれてるっていうの? あなた本当は自分が北海道に行きたいだけなんじゃないの? 私がほんの少し北海道に興味を見せたから、それでしめしめと思ってここぞとばかりに私に北海道への旅行を勧めてるんじゃないでしょうね。ええい北海道への旅行を決めてしまうチャンスだと思ってるんじゃないでしょうね! だとしたら絶対に許せないわ」
「一体お前はさっきから何に対して怒ってるんだよ」男が言う。「お前さっきからうるさいよ。うるさすぎてここお前の家かよ。もしかしてここお前の家なのかなって思っちゃったよ。そんなに俺が北海道で牧場経営するのが嫌なのかよ。そんなに俺が今後の自分の人生に夢を見ることは悪いことなのか。お前だって夢の一つや二つくらいはあるだろう。人に言えるか言えないかは別にしても、お前にだって夢の一つや二つくらいはあるはずさ。俺はただドラマを見ていただけなんだよ。ドラマを見ていただけで、そのドラマの主人公の夢が北海道での牧場経営だったんだ。だから言うけど、俺だって別にそこまで本気で北海道で牧場を経営したいと思っているわけじゃないよ。そんなことが本気で今から出来るなんて思っちゃいないさ。ただ本当にドラマを見ていて良いなって思っただけなんだ。ドラマを見ていて、俺も北海道で牧場やりたいなって。俺も北海道で牧場をやるような夢を持って毎日生きていたいなって思っただけなんだ。だって人間なんていつ死ぬかわからないじゃないか。人間なんて本当にいつ死ぬかわからないんだから。今死んでしまったらきっと後悔するだろうなって思ったんだよ、俺。俺そのドラマを見ていてふとそんなことを思ったんだよ。だからそのドラマの中で自分の夢と向き合っている主人公のことを応援していたんだ。主人公の邪魔をするライバルと、そんなライバルと結局はくっつくことになったヒロインに腹が立ったんだよ。心配するなよ。俺別に本気で北海道に行きたいわけじゃないから。牧場主になりたいわけじゃないから。大切にしないといけないのは、今のこの生活だってちゃんとわかってるから」
「つまらないと思ってるの?」女が言う。「あなた今の自分の生活をつまらないと思ってる? 自分のこれまでの人生をつまらないものだって思ってるの?」
「そんなこと思ってないよ」男が言う。「俺は十分に満足してるよ。今のような生活ができるようになって、俺はとっても幸せ者だと思ってるよ。俺はあきらかに幸せ者さ。どこに行ったって、誰と出会って何をしていても、もう幸せ者になった過去は消せはしないんだから」
「最低」
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