第3話
「おお、久しぶり、ジョエルじゃないか」ジョエルが告別式の会場にあったベンチに座って時間をつぶしていると、知り合いのボブが話しかけてくる。「俺はお前の知り合いのボブさ。俺はお前の知り合いのボブだよ。ところでお前こんなところで何をしているんだ? こんなところでベンチに座ってさっきから何を企んでいたというのかな? そういえば最近俺体の歪みが激しいんだ。もともと体は人よりも歪んでいる方だったんだけど、最近は本当にそれがひどくてね。だからいきなりだけど何かいい方法はないかな? 体の歪みを治すとまではいかないけど、少しでもマシにするような方法ってお前知らない?」
ジョエルは思う。「うわボブだ。こいつは紛れもないボブだ。俺は今の今までこいつのことをすっかり忘れていたよ。その存在のことをすっかり忘れていた。それにしてもみんな体が歪んでいるんだな。体が歪んで歪んで仕方がないんだな。もしかしたら俺もそれなりに歪んでいるんじゃないのか? きっと歪んでいるんだろうな。だってさっき受付にいたおじさんならまだしも、俺の友達のアランや、それにこの久しぶりに会ったボブだって体が歪んだやら何やらと言っているんだ。俺と彼らは同級生なんだぜ? 彼らの体が歪んでいるということは、そりゃやっぱり俺の体だって歪んでいるってわけさ。でも自覚症状はそんなにないけどね。自覚症状はそんなにないっていうか、まあそこのところを言うと全然だけどね。俺は、今まで自分の体が歪んでいるかも知れないなどと疑ってみたことなど一度もないけどね。自分の体が特別頑丈だと思ったこともないけど」
ジョエルは言う。「お前もしかして足の長さとかも左右で違うんじゃないか?」
「そんなまさか」ボブが言う。「確かに俺の体は歪んでいるけれども、でもだからって足の長さが左右で違うなんてことがあるかよ。そんなことがあっていいと思っているのかよ。まったくお前はあいかわらず冗談好きの奴だぜ。冗談好きの奴だぜ! そういえば俺らの仲間内では、昔から冗談好きの奴といえばお前だったもんな。俺らのあいだではジョエルで決まりだったもんな。変わってないってわけか。お前はむかしと変わらずに、きっとまだ冗談が好きなんだろうな。そうやって誰彼かまわず適当に冗談を言って回っているんだろう」
「いや冗談なんかじゃないぞ」ジョエルが言う。「これはアランが言っていたことなんだ。あいつが言っていたことなんだよ。アランといえばお前も知っているだろう? 俺たちの友達のあのアランだよ。そう、あいつも言っていたのさ。あいつも最近体の歪みに頭を悩ませているらしいよ。それであいつは、自分の足の左右の長さの違いに着目し始めたんだ。あいつの話によると、もともと人間は足の長さが左右で微妙に違っているらしいけれども、でもそれも最近の体の歪みでひどくなっているんだってさ。どうやらその可能性が高いんだってさ」
「あいつは地獄に落ちればいいよ」ボブが言う。「なるほどアランか、アラン・フリーマンってわけなんだな。あんな奴は地獄に落ちればいいさ。あんな奴は地獄に落ちるべきだね。俺があいつに地獄の場所を案内してやるよ。あいつが地獄の場所を知らないっていうなら、俺があいつにおあつらえ向きの地獄をばっちり紹介してやるとも。俺とアランのあいだに何があったか話そう。結論から言うとあいつはいつも俺の持ち物を壊す! いつだってどんな場所でだってあいつは俺の持ち物を壊すんだ! たとえば俺が着ていたパーカーのチャックだよ。ジップアップパーカーのチャックの部分さ! アランの奴ときたら、俺が新しいジップアップパーカーを着ていくと、すぐに『それ俺にも着させてよ』みたいな感じで近寄ってきて、それで断れなくて貸してやると、それの返ってくるころにはすっかりチャックの部分が壊れていやがる。それも見た目ではっきりとわかる程度に壊れているってわけじゃないんだ。見た目ではわからない程度に、しかし壊れていることには絶対に壊れているんだよ。つまりあいつから返ってきたパーカーを受け取って、それを再び俺が着ようとしたとき、その損傷は俺に発見されるんだ。おや? どうしたことだかチャックがうまく上がらないぞ? ちゃんとかみ合っているはずなのに、まるで何かに引っかかっているみたいになってしまって、チャックがいつまでたっても喉元の位置までやってこない。こんな具合にね。本当にいつもこんな具合に俺ってあいつには腹を立たせられてしまうんだ」
「それで相手に地獄に落ちろって言うのもどうなのかな」ジョエルは思う。「別に今の話聞いていると、つまりあれだろ? アランに貸した服のチャックが壊れてしまったってことだろ? あいつに貸したものが壊れて返ってきたってわけだ。確かにそれはよくないことだよ。いいことではなく悪いことだよ。でもだからってその相手に地獄に落ちろとはな。地獄に落ちろとはちょっと言い過ぎじゃないだろうか。もちろんボブも半分くらいは冗談のつもりなんだろう。冗談のつもりでアランに対して『あの野郎は地獄に落ちてしまえばいい』なんて言ったんだろう。地獄ってどこのことなんだよ」ジョエルは気になる。「そういえばこの場合の地獄ってどこのことなのかな? 具体的にどんな場所のことを指し示しているのだろう。現実的に地獄なんて場所はないし、たとえば戦場とかなのかな? どこかの国の戦場とかがボブの今いう地獄という場所に近いのかな? だとしたらやっぱり友達の服のチャックを壊しただけで戦場に行かされるとか! たったそれだけのことで戦場に放り込まれることになるなんてあまりにもひどすぎるよ。そんないきなり戦場の真っ只中に放り込まれても致し方なしと判断できるような罪なんてこの世の中にはほとんどないよ。そんなものって考えたってん出てくるわけないだろ。しかし現実の戦場に赴く人たちは確かにいる。罰ゲームでも何でもないのに、戦場に行く人たちで戦場は構成されている」
ジョエルがボブと話していると、場を離れていたアランが戻ってくる。
アランが言う。「ボブだと?」
するとボブが言う。「そうとも、俺はボブだとも」
「どうしてお前がここに?」アランは続けて「お前は確か今頃東京でマジシャンになる修行をしていたんじゃなかったのか。お前この前自分はマジシャンになるんだって行って東京に行ったばかりじゃないか。もうこっちに戻ってきたのか。俺たちの地元に戻ってきたのか。そうかそんなにマジシャンの修行はつらいものだったか。お前にはハードルの高いものだったか。まあお前は誰が見ても甘えん坊だからな。顔つきとかいつまでたっても幼い感じだもんな。何の苦労も知らなさそうな顔してるもんな。お前みたいな奴はダメさ。そんなまさかマジシャンになんてなれるわけがない。しかも場所は東京なんだろ? 東京といえばあの東京なんだろ? そりゃライバルが多いだろうさ。まったくライバルが多過ぎてあんなところでは勝負するもんじゃないね。もっと愛媛とか徳島とかそういうところにしておかないと。そういうなんていうか四国みたいな感じのところにしておかないと。いや俺は別に四国のことを悪く言ってるんじゃないんだぜ。ただ東京は難易度が高すぎるっていっているんだよ。だからもっと自分の勝ち目のあるところで勝負した方が賢かったんじゃないかって言っているんだ。俺はただそれだけのことが言いたいんだよ」
「別にマジシャンになることをあきらめたわけじゃないさ」ボブが言う。「ただ今日はジェームズの告別式だからな。ジェームズの告別式だから、それで特別にこっちに帰ってきただけだよ。明日には東京に戻ろうと思っている」
「東京にいるお前の知り合いたちはさぞせいぜいしていることだろうよ」アランが言う。
「なんだと? どういうことだ」ボブが言う。
アランが答える。「いやなんでもないさ。俺は別にお前に言いたいことなんてないさ。ただほんの少し思っただけさ。いまお前の身の回りにいる人たち、つまりお前のことを知っている東京の人たちは、きっとお前が数日でもいなくなってくれたことをよろこんでいるんだろうなって。お前みたいな面倒くさい奴が目の前から消えてくれて、今頃気持ちがせいせいしているんじゃないかと思って」
「本当に好きになれない野郎だぜ」ボブが言う。「誰が面倒くさい奴なんだよ。俺は今の東京の人たちにどれだけ嫌われているんだよ。別に俺は今身の回りにいる人たちに嫌われてなんかいないよ。そんなに対人関係に亀裂や混乱をもたらすようなタイプの奴じゃないよ、俺は。俺はどちらかというと大人しくて、物事に対してあまり大きな変化を求めるような奴じゃないよ。勘違いしないでくれよな、勘違いしないでくれ!」
「まあ興奮するなよ」ジョエルは言った。「そんなことより俺はこれまでの二人との会話から二人の共通点を導き出したぜ。二人とも最近の自分の体の歪みに悩んでいるぜ」
アランが言う。「俺の方が悩んでいるよ」彼は続けて「こんな奴と一緒にしないでくれ。こんな奴と一緒にしないでくれってば! 俺の体の歪みはこいつとは違うんだ。俺の体の歪みの方がすごいんだよ。すごいというかひどいんだよ。足の長さが違うんだ。俺の体の歪みはひどすぎて、もはや両脚の長さにまで影響してしまっているんだ。とうぜボブの体の歪みなんて大したことないんだろう。誰にも指摘されたことなんてないんだろう。自分で悩んでいるだけなんだ。だが俺は違うぜ? 俺はもうすでに自分の彼女から指摘されているんだ。彼女とベッドで横になっているときに彼女にこう言われたんだよ。『あらあなた足の長さが違うみたい。どうやらあなたは左右で足の長さが違うみたいねって』だから俺の方がこの問題に関してはより深刻なんだよ。俺の方が絶対に困っているんだ。だってこれはもう俺一人だけじゃない、俺と彼女との問題でもあるんだよ」
ジョエルはアランの話を聞きながら、今更ながら体が歪んでいるとはどういうことなのだろう、と思った。そして「そういえば俺はボブがマジシャンを目指して上京した、なんて話は知らなかったな。もしかしたらどこかで聞いたことがあったかもしれないけれども、でもまるで初めて聞いたみたいだ。彼がそんな夢を追いかけてこの地元を離れていっただなんて話は今まで聞いたことがない。興味がなさすぎたのかな? ボブに対する興味が俺にはなさすぎたから、それで彼が今どこで何をしているのかなんて話はこれまで聞いたことがあったとしても右から左だったかもしれない。とすると、今日のこの彼らとの会話だって俺は全然覚えていないかもしれない。ああ覚えていないかもしれないってわけなんだな! そう考えるとむなしいかもしれない。俺はむなしいかもしれないな。じゃあ逆に誰の話だったら興味を持っていて、そしてその内容も覚えていられるというのだろう。もしかしたらボブは今日もダメかもしれないが、ではアランはどうだろう。ジェームズの家族の人たちはどうだろう。俺は決してみんなの話を忘れていたいわけじゃないよ。なるべく多くの人たちの話を覚えていたいと思っているんだ。それにしてもマジシャンだなんてな。マジシャンだなんて! あのボブが? なんだか想像するだけで笑けてきてしまう。だってそれってすっごい寝耳に水だもん」
「何かマジックの一つでも披露して見ろよ」アランがボブに対して言う。「お前がもしまだ本当にマジシャンになることを目指しているというなら、今ここでマジックの一つでもやって見ろって言うんだ」
「地獄に落ちろアラン!」ボブが言う。「俺はお前のそういうところが嫌いなんだよ。俺はお前のそういう、自分勝手で何でも自分の思い通りになると思っているところが嫌いなんだ。嫌いすぎて吐き気がするくらいなんだ。よくも俺の妹をあんな目にあわせやがったな! よくも俺の妹にあんなひどい仕打ちができたもんだ。俺の家族たちは、お前のことを決して許さないだろう。お前が俺の妹に対してやったことをこれからも未来永劫忘れないことだろうな。お前のせいで俺の妹は今も幸せになれていない。お前があんなことさえしなければ、俺の妹は今頃幸せに暮らしていたに違いないんだ。お前が俺の妹を殺したんだ!」
ボブの話を聞いていたジョエルは驚いた。「え、お前が俺の妹を殺したんだ? お前が俺の妹を殺した? ということは一体どういうことなんだ? ボブがアランを嫌っていたのは、たとえばジップアップパーカーのチャックを壊してしまったからじゃないのか? それをたまたまアランに貸したときに、彼にそれを壊されてしまって、それなのにまともな謝罪の一つもなしに平気な顔をしていたからむかついたんじゃないのか? そんなまさか殺人事件が発生していただなんて。信じられないけど話がそんな方向に進んでいこうとしているなんて。俺は確かに思ったよ。そのときその瞬間思ったよ。どうして服のファスナーを壊したくらいで他人から地獄に落ちろ、とまで罵られなければならないのかなって。それってそんなに罪深いことなのかなって。でも殺人事件が本当だとしたら話は別! しかもボブの身内で彼の妹がアランの手によって殺されていただなんて! そりゃ地獄に落ちろくらいは思うよ。ってか本当にアランがそのような過ちを犯しているというなら、彼は今からでも遅くない、警察に捕まって刑務所に入るべきだ。しかるべき判決を受けて、彼はその罪を償うべきだよ。いやしかし話がすべて真実だとは限らない。なんだか話がややこしくなってきやがった」
アランが言う。「披露するマジックがないからってデタラメなことをいいやがって。デタラメなことをいいやがって、このボブめ!」
「うるさい、黙れこのゲス野郎!」ボブが言い返す。「お前は本当に不採用だ。お前みたいな奴は不採用なんだよ、どうあがいても。だってお前みたいな奴がたとえどんなドラマやアニメや小説の登場キャラクターに応募したって、おお前は本物のゲスなんだから受かるわけないだろ。本物のゲスはどこに行っても不採用なんだよ。というか、犯人としてもただただゲスいだけで魅力がないから、お前は門前払いをくらうに違いない。お前は決して誰からも好かれたりはしないんだ! さっさと地獄に落ちて数万年分の苦痛に苛まれろ! では仲直りをしよう」ボブはそう言うと、今度はアランに手を差し伸べながら「アラン、久しぶりじゃないか、アラン! こんなところで一体何をやっているんだ。お前みたいな優秀な奴がこんなところで本当に何をやっているんだよ」
アランが言う。「いや最近ね、ちょっと気になることがあってね、それは俺自身の体の歪みさ。もっと正直に言うと、俺はもう気づいてしまっているんだ。俺は自分の左右の足の長さが違うってことに気づいてしまっているんだよ。今日はジェームズの告別式なんだから、彼の友人たちがここぞとばかりにここに集まってくるに決まっているだろ。何も隠すことはない、俺もそのうちの一人だよ」
するとボブが言う。「告別式が始まるまでまだ時間があるらしいから、今からこの三人で近所の茶店にお茶でもしにいかないか?」
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