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 親御さんを困らせるあいつの遺品の整理。


 それは思わぬ形で、処分することなく、誰もが納得するような形で収まりを見せた。


 パスワードを突破した先のパソコン。そのSNSを勝手に覗き見ていたわたしは、寄せられていた個人メッセージまでも開封し始めた。


 その中の一つ、隣人の創作仲間からのメッセージが、わたしの目を止めたのだ。


 その人はネットの繋がりだけではなく、現実世界でも繋がっている人らしい。お互いの本名はわからないまでも、顔をよくあわせていた創作仲間であり、オタク仲間であった。


 だから隣人の顔が、死者としてテレビで流れたときはそれはもう驚いたようだ。隣人の本名をこんな形で知ることとなった衝撃は、わたしと一緒だろう。


 彼が持つあらゆる連絡手段で、隣人の親族とコンタクトを取ろうとした。SNSの個人メッセージがその一つである。


 本来であれば、パスを突破したパソコンをこのまま差し出して、親御さんと直接やり取りさせるのがいいのだろうが、


『エロ同人を描いている、くらいは別に知られても構わん。だが実際こんなのを描いている、とは知られたくはない』


 今となっては遺言にもなった隣人の言葉を思い返し、悩みに悩んだ。


 悠李蒼天としての象徴たるSNSアカウント。それを見せるのは憚られた。なにより一次創作として描かれたあのマンガ。飛び降りの件を一度語ったのだから、すぐにわたしだとバレる。それも避けたかった。


 悩んだ末に隣人父と連絡を取り、素直に隣人の思いを打ち明けた。


 隣人の生前の願い。創作者として作り上げてきた物には、親御さんに見られたくないものが沢山ある。どうかそれを見ないままにしてほしいと。


 隣人父は界隈どころかパソコンにも詳しくない人だ。なんか趣味でマンガを描いている、くらいにしか知らなかったようである。亡き息子がどんなものを描いていたのか、それを知りたそうにはしていたが、


「ちょっと子供には見せられないような、刺激の強いものもあるので……それを、ご両親に見られるのは、浮かばれないかなって」


 というと、渋い唸り声を出していた。


 こうしてわたしが女の子であることも忘れて、ネット周りは全てを託してくれた。息子が描いた卑猥な物については、知らないままでいたいようである。


 隣人の創作仲間と連絡を取ると、手を合わせに行きたいと請われたのだ。


 きっと隣人父は快諾してくれるだろうが、困ったのはわたしである。仲立ちするからには、隣人家へ共に行かねば無責任だろう。行くのは構わないのだが、これでも花の女子高生である。見ず知らずの男性といきなり会うのはな、ちょっと……だ。


 煩悶を抱いたその先で、わたしは閃いた。


 中村さんにお願いしよう。


 連絡を取るとすぐに快諾してくれた。


 隣人父にその件を伝えると、やはり喜んだ。話はすぐに纏まり、三日後には創作仲間の目的は叶ったのだ。


 そこからが互いにとって、いい展開を迎えた。


 隣人父がポロッとオタクな遺品整理に困っている旨をこぼすと、全て引き取らせてほしいと創作仲間は申し出たのだ。元々残すのも捨てるのも憚っていたものである。彼ならば大切にしてくれるだろうと、隣人父もそれを快諾した。


 遺品の片付けと運び出しをするため、次の日の夕方には、中村さんと共に創作仲間がマンションにやってきたのだが、え、こんな人がオタクなの、というくらいのイケメンだった。顔だけなら、今まで出会った男性で一番好みですらある。


 隣人の交友関係は、本当どうなってるのか。


 年下の小娘相手にも関わらず、挨拶を皮切りに、


「本当にありがとう。君のおかげで、ソーテンにお別れを言えた」


 と心からの感謝を述べられ狼狽してしまった。


 それだけではない。隣人父の代わりに部屋へ通すなり、呆然と立ち止まってしまったのだ。隣人のユーリア尽くしの痛部屋に唖然としたのではない。男泣きを始めたのだ。


 その涙こそが、隣人との親交の深さを表していた。


 そんなスタートを切った遺品の片付けだが、所詮は六畳の部屋だ。次の日に持ち越すどころか、終わった後は三人で夕食を食べに出たくらいにあっけなく終わった。ダンボール詰め込んだ物を、創作仲間さんの車に詰むだけだ。


 そうやって片付けや食事では、終始隣人の話をしながら、


「まさか自殺隣人JKが実話だっとはな。しかもタイトルに偽りなしの美少女とか、ソーテンが逝った以上に驚いたよ。これ、なんてエロゲだ?」


 と、打ち解け打ち明けた先で驚かれた。


 そうやって話していく中で、隣人の創作活動周りの後片付けは、全て創作仲間さんに任せられることとなった。SNSや界隈の仲間への報告だけではない。お金が絡むやり取りについてもある。その辺りについては今後、故人の意思を最大限に尊重し、想いを汲み取りながら、隣人父とやり取りしてくれるとのこと。


 それだけで全ての重荷が下りたようなもの。


 結局隣人父に手伝いの申し出を出ておいて、なにもしてないなと呟くと、わたしがパスを突破してくれたからだ、全部君のおかげでだ、なんて散々持ち上げてくれるのだ。顔だけではなく心までイケメンすぎる。


 隣人は本当、人間関係に恵まれているんだなと、心から感じた。これもそれも、暗黒の中学時代の反動からだろうか。


 かくしてそんな風にして、一番の懸念は片付いた。


 隣人が亡くなった地ではなく、その身が置かれている場所へ、次の休みに訪れたのだ。


 手を合わせたからといって、今更特別な感慨はこれ以上浮かぶことはない。ただ一度やっておきたかった儀式であり、隣人には悪いがついでである。


 本題はご両親にタブレットを渡すこと。


 あいつが今まで描いてきたイラスト。わたしの勝手な判断で、見せても大丈夫だろうと厳選したものを詰め込んだそれを渡すためだ。


 隣人はそれすらも見られたくないであろうが、ここは諦めてもらおう。大事なのはこれから生きていく人たちの心であり、少しでも乗り越えるための糧にさせてもらった。


 HDDを漁りに漁り、下手くそな物から眼を瞠るほどのイラストまで、その成長具合がよくわかるようにしたものだ。


 ちょっとした成長記録、そのアルバム代わりである。


 あえて仏前で披露する辺り、わたしも性格が悪いと思ったが、約束破りの罰くらいは黙って受けてもらおうか。


 あいつの前で両親を泣かしてしまったことで、ようやく罪悪感が湧いてきたくらい。


 こうしてあいつの身の回りの物は片付いていった。


 九月の下旬に差し掛かる頃には、隣の部屋は全て空。十一月には新たな入居者が入っていた。


 そうやってあっさりと、このマンションから隣人がいた形跡はなくなった。


 でも、社会とはそういったものかもしれない。


 人の死は、残された者たちだけの大きな出来事。社会という目線に置いては、雑多なよくある日常風景だ。


 そんなものだろうと。


 あいつのことで泣いたことなんて、あれっきり。


 わたしにもわたしの日常がある。


 悲哀にくれるほどの重さはなく、あんな奴もいたな、と思うだけだ。


 一抹の寂しさが湧いたときは、そんな過去を振り返るように、あいつが残したわたしたちのマンガで思い返すのだ。


 あんな男がいたんだなと、その内忘れてしまうかもしれない。


 それは数年後か、十数年先か。


 しばらくはまあ、忘れされそうにはない。


 なにせこの部屋には、形見分けで貰った物が多すぎる。


 その中でも一押しの、あいつの魂が捧げられた一品がある。


 卓上に置いてあった、一番出来のいいフィギュア。創作仲間さんが太鼓判を押すほどの品であり、一つくらい持っていかないかとすすめられた物だ。


 ユーリア・ラクストレーム。


 あの男の魂の嫁。


 これがこうして卓上に飾られ、目に入る限りは。ベランダ越しのあの顔が、まだまだ忘れられそうにない。


 そしてユーリアの顔を見る時、ふと、思うことがある。


 あいつの死因は家屋倒壊による圧死ではなく、トラックと正面衝突による即死だ。


 つまり、だ。


 ネット小説の流行りでもある、異世界転生への条件、トラックに轢かれるを見事にこなしたのだ。


 だから隣人の魂は天国へ昇ったのでもなく、安からに眠っているのでもない。


 次元を渡った先で、チート能力でも与えられて、今頃無双しているかもしれない。


 はたまた次元を一つ落として、二次元の世界に辿り着いた可能性もある。


 丁度、あの時間は蒼グリの再放送をやっていた。もしかすると……それが触媒となって、ついにあいつが愛した世界に辿り着いたかもしれない。


 蒼一か、小太郎か、ボスキャラのカノンか。もしくはソフィアなんて女キャラか。


 誰にせよ、もしそうならきっと、残したわたしたちのことなんて忘れて、あいつははしゃいでいるだろう。


 魂の嫁がいるその世界で、その愛を存分に捧げているに違いない。


 これを誰かに話したら、なにをバカな話をしているんだと呆れられるかもしれない。


 けど、そんなバカな話でいいのだ。


 残された者はともかくとして、当人にとって意味のない死ではなかった。


 誰もが羨むような幸福へと辿り着く、通過儀礼にすぎなかった。


 そのほうがきっと救いがある。


 そう思ったのだ。



 完。

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