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 手すりに跨っている女の子。


 ポニーテールの髪型も、くりっとした目やその口元も、特徴的なまでに捉えていた。多少デザインは簡略化されているが、その服装にも見覚えがある。


 そんなタイトルに偽りなしの美少女JK。


 次の話を見ると、ポカンとした顔が浮かんだと思ったら、憤懣を露わにした大口を開いている。つぶやきには一言「ちょっと待ちなさいよ!」と書き込まれていた。


 そして次。「ここは普通、なにをやってるのか話を聞くところでしょう!?」という一口コメント共に、隣室を覗き込んでいる女の子が、怒声を上げる様が描かれている。


 そうやって常に、一枚マンガと一言タイトルがセットとなることで、物語の情景が浮かぶようになっていた。


 けど、コメントなんてなくても、女の子が吐き出す台詞は全てわかっていた。それこそ前後の台詞を含めて、どんな流れでそういう風に至ったのかまで。


 次話を追う中で、これはずっとベランダ越しだけで進んでいくものだと確信していた。それが早々に覆されたのは、一言タイトル「…………ッ!?」である。ノートパソコンを食い入るように見ながら、女の子が顔を赤くしている。そうなった理由は、次話の「あれ、アダルトゲームじゃない!」を見なくてもすぐにわかった。


 よくもまあ、ここまで見たかのように描けるものだと、呆れながらも笑ってしまった。


 次話がどんな話であるのか。常に想像がつきながらも、どんな風に描かれているのかと期待しながら、この手が止まることはなかった。


 そうやって次話へ、次話へと読み進めていく内、印象深い一言タイトルに、クスリと笑った。


 手すりの向こうへ大きく身を乗り出し、女の子は人差し指を突きつけている。


「私をオタクにした責任を取りなさいよね」


 一ヶ月前に放った言葉を、つい口に出してしまった。


 画面をスクロールすると、『ここまで最新の情報が表示されています』との文字が目についた。マンガはそれで最後のようだ。投稿日時を見ると地震が起きたあの日、その昼間のころ。


 プロフィール画面に戻り、過去のコメントを遡る。最後のコメントは深夜アニメの実況。そのコメントの返信が異様に伸びている。大したことを書き込んでいるわけではないのになぜ、と思うことはない。中を見なくてもわかる。


 なにせ二週間も音沙汰がないのだ。心配、危惧、憂慮といった、二字熟語で表せられるような感情が、その返信には蔓延っているのだ。


 込み上がってきたものを抑え込むように、ゴクゴクと喉を潤し、三本目を取りに立ち上がった。


 腰と共に気持ちを落ち着かせる。


 ぼんやりとしたこの頭は、感情が極度に揺らいでいるからではない。単純に、飲み慣れないものを飲んだばかりに酔ったのだろう。きっとそうに違いない。


 再びパソコンに向かい合い、過去のコメントを遡っていく。


 マンガを最後に投稿した直近、そのコメントに目が止まった。


『次はついにベランダを脱し、秋葉原編に突入する予定』


 それを見たばかりに手も止まってしまった。


 この気持ちは酔っているからだ。そんな誤魔化しではもう抑えきれなかった。


 投げ出すように背もたれに背中を預けると、ガグっと傾いた。椅子が倒れたのではなく、力をかけると背もたれが倒れる仕組みのようだ。


 光の眩しさを厭うように、両腕で顔を覆う。


「ほんと……バカね」


 隣人が残した一次創作、それを見た最初の感想がそれだった。


 こんなにも沢山の人に話を求められている。


 話のネタもこんなにも溜まっている。


 出版社から声だってかかってきた。


 台詞描写なしの一枚マンガ。一言タイトルだけで、なにが起きているのか、その全てがわかるようになっている。


 見ていて面白かったし、上手だと素直に感心した。


 きっとマンガにしたら成功する


 素人ながら勝手に確信するほどに、絵の技術や表現力に驚いた。


 お膳立てのようなまでに、なぜここまで揃っておいて、この道を目指さなかったのか。


「こんな嫌な現実の先を行かないで……そのままマンガを描けば良かったじゃない」


 夢と現実との折り合いをつけた。


 この世界でやっていける自信がない。


 失敗した先で、魂の嫁へ捧げる愛を色あせたくない。


 なんてゴチャゴチャ言っていたが、そんなのは全部後付けだ。


 本当はこの道へと進みたかった。与えられたチャンスを手にして、マンガ家という夢のような道を現実にしたかったのだ。


『それに前にも言ったが、マンガ化すれば、最後にはくっつくようなラブコメを求められる。リアルネタだからな。続けて描いている手前だが、相手への後ろめたさくらいはある。それを勝手にくっつくラブコメにして、仕事にするのはちょっとな……』


 それを最後に繋ぎ止めたものこそが、そんな思いだったのだ。


「創作は創作って割り切ってさ」


 ラブコメにはしたくない。


 中村さんは恋愛感情があったかはさておき、と語っていた。けれど最初からあいつには、本当にそんなものはなかったのだ。


 わたしを女として見てはいない。性別が女であると扱っていただけ。


『ま、やっていいことと悪いこと。俺なりに分別をつけた結果だ』


 自分の世界を遠慮なく話せる友人、仲間として扱ってくれた、隣人なりに越してはいけない一線だったのだ。


「ラブコメに落とし込んで……やれば、よかったじゃない」


 だから余計に思う。


 この感情はまさに中村さんと話していたときに、一度抱いたもの。


 ベランダから飛び降りようとしたあの日、隣人がわたしに関わり合いになりたくなかった。突拍子もない行動を持って、牙を剥いてくると恐れられていたそれである。


 確かにあのときのわたしたちは、お互いのことをなにも知らない。信頼関係なんて微塵もないから、隣人が避けたがったのはよくわかる。


「そのくらいしたってよかったのに……」


 でも、あれからもう一年は経っているのだ。


 無断でネタにしたことは一言二言、ブツクサ言ってやったかもしれないけど、後に引きずるものなんかでは決してない。


 夢のようなチャンスを手にしたのだ。


 最後には現実へ繋ぎ止めたその一線を、この手で断ち切ってやったのに。


 笑って背中を押してやれる度量くらい持っているんだぞ、と。


「ちゃんと、応援してやったのにさ……」


 これ以上はもう耐えられず、胸の中を支配していた感情は、二字熟語となってこの部屋を支配した。


 嗚咽、啼泣、哀哭。 


 隣人がこの世を去ってから二週間。


 初めてわたしは、彼のいなくなったこの世界で涙を流したのだった。

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