19

 その部屋は、ユーリア・ラクストレームが広がっていた。


 ただ、そう表現するしかない光景である。


 壁や天井に貼られたポスターから始まり、カーテンや寝具などのインテリア。小物からフィギュアの数々。とにかくこの部屋はユーリアで埋め尽くされていた。


「す、凄い部屋だな……」


 ちょっと前に帰った、隣人父の苦い顔と言葉を思い出す。こんな部屋に通してしまったことに、恥ずかしそうにしながら横目で伺ってくる様は、本当に可哀想であった。まるで自らの恥部を見られたかのような佇まいだ。


「あいつらしい部屋……」


 とわたしが笑ってしまうと、隣人父は安堵か嘆息か、どちらを漏らせばいいのか考えかねている、苦々しい表情を浮かべていた。


 玄関先でわたしは、図々しい願いながら、部屋の中を見せてほしいと請うたのだ。なにかそこでしたかったわけでもなく、あいつがどんな部屋で住んでいたのか。興味本位というよりは、亡き隣人に思い馳せたいと情が湧いてきたのだ。


 隣人父は疲れた顔ながらも、承諾してくれた。ただしその顔はすぐに、こんな部屋に女の子を招き入れてしまった後悔へと変貌したのだが。


 亡くなってまで親をこんな形で困らすとは、あいつらしいと言えばいいのか。後で中村さんに聞いてみよう。


 困ったといえば、隣人父はこの部屋に本当に困っていた。


「色々と整理しなければならんが……形見に残すには、あれすぎるものばかりだな。……だからといって、あの子が大事にしていた物を、ただ捨てるのもな」


 部屋を見渡しながら、悩ましい表情を浮かべていた。


 隣人の家族関係、それがどれだけ良好なものだったかはわからない。それでもこの酷い遺品の数々をただ捨てるのではなく、どうするかと頭を悩ませるくらいの親子関係だったのはよくわかった。


 だからこそ、わたしはこの遺品の整理を手伝いたいと申し出た。


 あいつの魂の嫁に満ちたオタクグッズ。このまま捨て去るのは忍びなく、どうにかしたいと思ったのだ。


 もちろん、隣人父も「そんなことをさせるわけには……」と言った。今日顔を合わせただけの女子高生。良からぬなにかを警戒したわけではなく、息子の不始末のような面倒に巻き込むことに気が引けていただけである。物が物だけに尚更だ。


 だから本日二度目。


 隣人との出会い話を語ったのだ。中村さんのときとは違い、要点を簡潔に。失恋による一時の衝動で、ベランダから身投げしそうになった。そんなときに隣人に止められ救われた。アダルトゲームの話は出さず、マンガやアニメをすすめられることで、辛い時期を乗り切れたのだと。


 あいつの行動をこれでもかと美化すると、始めは自殺未遂に驚愕していたその顔も、あの息子が一人の命を救ったのかと、満足そうにかつ、どこか誇らしげな表情を浮かべていた。


 だからだろう。話を全て終えた後、「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ」とオタクグッズの整理を任せてくれる流れとなった。部屋の合鍵も渡してくれるほどには、信頼してもらえたのだ。


 それが現在、隣人の部屋へといる理由。わたしの部屋の椅子より、ずっと座り心地のいいチェアに腰掛けるに至った顛末。


 大学生活が始まってから、ずっと過ごしてきた部屋。


 一人暮らしの男部屋というのは、もっと小汚いものだと信じてきたが、小綺麗なものである。床にはなに一つ転がってないし、脱ぎっぱなしの衣類も見当たらない。冷蔵庫の中を覗いてみたが、二週間という時の流れで腐敗する食品もなく、飲み物の缶が六本ほど主張を激しくしているだけ。冷凍庫にもろくに物が入っていない。代わりに近くの棚から、大量のレンチンご飯とレトルト食品が発掘された。料理をまるでしない人間性がそこに見て取れた。


 チェアへと腰掛けると、自然な流れでプルタブを開け、悪びれもせずそれを喉に流し込んだ。かつてベランダで口にした物と同じはずなのに、その味はまるで彩りを失ったかのようだ。


 机に向かい合うと、二枚のディスプレイが目に入る。台座の代わりにその背後がアームで固定され宙に浮いている。テーブルにもまた毛色の違ったディスプレイが、キーボードとは他に置かれていた。それが絵を描く道具であるということは後に知ったのだ。


 見たこともないが、なんかプロの仕事場みたいだと思った。


 ここで魂の嫁を沢山描き続けてきたのか……と、そんな物思いに耽っていると、気づけばパソコンの電源に手を伸ばしていた。


 モニターが勝手に立ち上がる。


 わたしのパソコンよりよっぽど立ち上がりが早い。ただしデスクトップ画面には辿りつけず。


「ま……当然かかってるわよね」


 パスワードの入力画面のせいで、そこから先は行けずにいた。


 ヒントになりそうな物は画面の中にも、モニター周りにも残されていない。


 あてが外れてガッカリなんてことはないが、僅かな期待くらいはあった。惣菜が半額になる時間の見越して訪れたのに、半額シールが貼られていなかった。そんな気持ちである。


 隣人の人生が詰まっているに等しいパソコン。


 その中身が簡単に見られるわけがない。


 なにせ自分が死んだら真っ先にして欲しいことは、HDDの破壊だと語られたこともあったのだ。あいつが残した没後の願い、それを知り叶えてあげられるのはわたしだけ。


 残念ながら、それを叶えてやるつもりはないし、墓荒らしのようにHDDの中身を漁りたいくらい。それがパスワードによって阻まれたため、早々に断念しただけだ。


 息を漏らしながらチェアに身を預け、ボーッと天井を見上げる。


 ユーリアがいた。


 幼さを残しながらも、華がある美しい顔立ち。自我の強さを感じさせるキッとした吊り目。


小学生みたいな体躯の上には、ぶかっとした黒いパーカーが羽織られ、長い青髪はその内側へと飲まれている。


 外見だけをあげつらうと、そんな感じの隣人の魂の嫁。ちっちゃい女の子であるが、こんなでも蒼一と同じ歳なのだ。


 見た目ではなく、その活躍を持って人気を博したユーリア。小さな身体はロリコン受けを狙ったキャラ付けではなく、クリスのライバルキャラ、その対比なんだと隣人は熱弁したのを思い出す。


 フィギュア棚として設置された、三段のメタルラック。あんな地震に襲われながらも、倒れているフィギュアはあっても、落下物は一つもない。


 倒れているそれを全て立てる。そしてユーリア以外のフィギュアは一つもないことを知った。


 改めて部屋を見渡すと、ユーリア以外のグッズが一切ないのだ。流石魂の嫁と呼び、その愛を全て捧げていると言うほどはある。あれもこれもと色んなキャラに手を出すのではなく、ユーリアのみにグッズを絞っている。


 フィギュア棚以外にも、ユーリアのフィギュアは机にも一つだけだが置かれている。パッと見る限り、これが一番フィギュアとしてのクオリティが高い。三十センチはあろうそれが、隣人にとって一番特別なのは見て取れた。


「ほんと、愛されてるわね、あんた」


 高らかに笑いあげている、そんな顔に向かって言ってみた。返事など当然あるわけはない。


 そして、脳裏に電流が走った。


 真っ先に思い出したのは、連絡を交換した先の中村さんの顔。


「いやいやいやいやいや……」


 そんなことはないだろうと思いながらも、しかし至ったその可能性。試さずにはいられないと、スマホでそれをすぐに調べ始めた。


 検索ワードに迷いはなく、それにはすぐに辿り着いた。


 もう一つの可能性も考えてはいたが、まずはこれ。


 隣人のパソコン、そのパスワード入力画面。


 たった四文字だけを打ち込み、ゴクリと息を呑みながら、エンターボタンを押した。


「うっそ……」


 パスワードは弾かれることなく、あっさりと突破できたのだ。


 デスクトップ画面全体に広がっているユーリアの壁紙を見つめながら、あっけないその様に唖然とすらしていた。


 卓上のフィギュア、ユーリアの顔を見ながら、


「まさか……あんたの誕生日だったなんてね」


 大きな大きなため息を漏らしたのだった。


 中村さんのスマホ。そのパスワードの話がふと脳裏に過ぎり、試してみたらそれこそが開けゴマだった。


「不用心ね……せめて名前くらい、一緒に設定しなさいよ」


 もう一つの可能性として、ユーリアをアルファベットに直したものを想定していた。それがダメなら誕生日もセットでと考えたのだが、まさか数字四つで突破できるとは拍子抜けした。


 よくよく考えたら、普段自分以外立ち入らない部屋なのだ。毎回長ったらしいパスを打ち込むのは厭うたのかも知れない。


 でも、突破できたのならこちらのもの。死者の墓を存分に暴かせて貰う。そこに後ろめたさも罪悪感もない。


「約束を破ったのはそっちなんだからね」


 残された生者の慰めという、大義名分を掲げたのだ。


 デスクトップにはなに一つファイルはない。もしかしたらユーリアの壁紙、それを存分に鑑賞するためかもしれない。 


 きっとフォルダをあれこれと漁るのは時間がかかる。そっちは追々でいいと、まずはタスクバーにピン留めされている、ネットブラウザを立ち上げたのだ。


 まずはお気に入り登録されているであろう、SNSから攻めるつもりである。きっとログインしたままで、パスワードは求められないという心積もりもあった。


 お気に入りは無秩序に登録されているのではなく、用途ごとにファイルで分けられ、整理整頓されている。おかげで十秒もかからず、登録されているSNSを見つけられた。


 開くと案の定、パスワードを要求されることなく、ホーム画面が表示される。わかってはいたがヘッダー画像とプロフィール画像はユーリア。


 けど今までと違ったのは、この部屋にあるポスターなどとは、絵のタッチがまるで違う。かといって下手なわけでもない。


「へー……なんだ、上手いじゃない」


 隣人が描いたものであることくらい、すぐに察せられた。


 絵の評価やレビューなんてものはできないが、それでも書店に行ったとき、よく目につくようになったオタク向けの雑誌とかマンガとか、そしてラノベとか。そんな表紙を飾っていてもおかしくないレベルである。


 名前に渡辺彦一郎なんて文字が並んでいるわけはない。


 代わりに『悠李蒼天』なんて四文字がそこにはあった。


「ゆうり……そうてん?」


 変な名前、と眉をひそめてしまったが、そんなのはまだ序の口だった。プロフィールを開いて、紹介文に目を移すと、『悠理蒼天 (ゆうり あおたか)』と書いてあったのだ。


「読めるか!」


 思わず机を叩くほどに叫んでしまった。


 いい年の大学生が、ネット上ではこんな名前を名乗るなんて……と隣人の思わぬ一面、それが牙を剥いてきたかのような衝動に襲われた。まさに共感性羞恥という、それである。


 そんな羞恥から目を背けるように、缶を一気飲みし、冷蔵庫から二本目を拝借する。胃の中だけではなく、顔もまた熱くなってきた。それを冷やさんと液体を胃に流し込むと、ようやく落ち着いた。


 よくよく考えると、隣人は中二から創作活動を始めたのだ。そのときにつけた名だと考えれば、割りかしおかしくはない。おそらく中二病ネームというものだろう。


「って、よく見たら、名前にもユーリアって入れてるじゃない……ほんと、大好きなのね」


 と卓上のユーリアに向かって、笑いかけてしまった。


 そうやって自己紹介文から目を落とした先、フォロワー数が目に入り、凍りついてしまった。丁度缶を口にした先の出来事であり、


「ぶっ、十五万!?」


 次の瞬間には噴き出してしまった。


 かつて隣人は、バズりにバズり、フォロワー数がヤバイことになっていると言った。それがこの期に及んでまだ伸びているとも。


 確かにこの数字はヤバイ。プロとして活動しているわけではない絵描きというものが、こんなにもフォロワーを抱えられるものなのかと。与えられてきたものを消化してきただけのわたしには判断がつかない。


「……あいつ、ほんとに凄かったのね」


 それでも簡単なことではないのはわかっているつもりだ。


 まるで雲の上の存在である。……いや、本当に雲の上の存在になってしまったのだが。


 フォロワー数が伸びたのは、一次創作が反響を呼んだ結果なのは伝えられていた。なら一体どんな物を描いているのか、それがとにかく気になった。


 画面をスクロールすると、それはあっさりと現れた。トップで固定され、丁寧にもまとめられているらしい。


 果たしてどんな内容なのか。リアルネタを茶化して描いた、と言っていたのだから、隣人の交友関係からのネタだろう。


 興味に引きずられるがまま、文字も読まずにクリックして行くと、一番始めに当たるイラストは表示された。


 手すりに跨っている女の子がキョトンして、次の瞬間には驚き身体のバランスを崩し、落下したベランダで頭を抱えていた。


 一連の流れを一枚で完結させている。四コマではない、マンガのようなコマ割り。吹き出しはないのに、キャラがなにを喋っているのかが伝わってくる。そんなイラストみたいな一枚マンガ。


 それを投稿したつぶやきにはただ、「わっ、わっ、わっ!」とだけ書き込まれていた。


 呆けたように、わたしはそれに釘付けとなっていた。


 それに抱いたのは既視感なんてものではない。まさに昨日のように思い出せる、記憶を引っ張り出す力がそれにはこもっていたのだ。


「これ……」


 そうしてわたしは、始めに読まずにいたまとめ、そのタイトルを目にしたのだった。




『自殺しようとした美少女JKを止めた話。そのまま隣人にエロゲをやらせた話。そんな彼女がオタクになった話(仮)』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る