17

 かくしてわたしは、去年の夏休み初日。花の女子高生としての道を踏み外した、始まりを語り始めたのだ。


 それは要点だけを掻い摘んで、滔々と語り始めたのでもなければ、堰を切ったように思いの丈をぶつけたのではない。


 長々と増長に、ときには愚痴るように、まるで中身のない世間話のように、ダラダラと話したのだ。


 食事をしながら、あの蒼グリに満ちた夏休み。そしてベランダ越しで語り合った日々。そのときの心理描写を含めながら、逐次語り続けた。中村さんはそれを黙って聞くのではなく、上手い合いの手を入れながらも、かといって話に深く突っ込まない。話が停滞することもな淀むこともないよう、聞き手としての役割に徹してくれたのだ。


 まさに聞き上手。こんな彼氏を持てて、中村さんの彼女さんを羨ましく思った。ただそれは違うと思い直したのだ。そんな彼女さんのために中村さんは、ここまでの人になれたのだ。前に雑誌かなにかで見た、いい女は男を変え成長させる、の実例なのだろう。


 そう思うと、ちょっとその彼女さんにも会ってみたくもあった。


 隣人の思い出話の裏側で、そんなことを考えていると、パフェは半分くらいになっていた。全てを語り終え、酷使した喉に気持ちよく染みたのだ。


「いやはや……凄い話だ」


 ここにはいない友人に向かって、中村さんは困ったように白い歯をこぼした。


「まさか自殺を止めるために、女子高生にエロゲを与えるなんてな。渡辺には困ったもんだな」


「ほんと、あいつって変な男ですよね。目の前で飛び降りようとした相手を、まるで見なかったことにするんですもの。変人というか、冷たいっていうか」


 憤懣に満ちたかつての思いもなく、今の心はあっけからんとしていた。


 隣人の人間性はこの一年で散々思い知るほどに学んだのだ。今となってはあの変人っぷりを含めて、あいつの味だとすら受け入れている。むしろ親身になられたほうが気持ち悪いくらいだ。


 中村さんも隣人の人間性は理解しているだろう。なにせ時間にしたら交友期間は、わたしの四倍である。


 まあそういう奴だからな、みたいな一言をかけられるのを信じてすらいた。


「いや、きっと渡辺も、そのときは混乱していたんだ」


 だから中村さんの意外な反応に、面を喰らってしまった。


「混乱?」


「ああ。いきなり目の前で、人が飛び降りようとした場面に出くわしたんだ。どうするどうする、って内心テンパってたに違いない」


「どうするって……あいつが、そんならしくないことで混乱しますか?」


「するよ。あいつは頭から足元までどっぷりなオタクってだけで、奇人変人の類じゃない。どこにでもいる、普通の大学生だ」


 果たしてそれは故人の名誉のための擁護か。はたまた中村さんの本音から漏れ出たものだったのか。


 判断がつかず顔をしかめてしまった。中村さんを責めても仕方ないだろうに、咎めるように口先を尖らせた。


「変人じゃない大学生は、普通、人を貴様呼ばわりしませんよ」


「ああ。しないよ。俺も貴様呼ばわりはされたことがない」


「え……」


 尖らせた口先は、そのまま半開きになった。


「あいつが普段扱う二人称は、おまえや君とかだ。人との距離感とかTPOとかは、ちゃんと掴んで弁えられる奴だったよ」


「でも、私はずっと貴様呼ばわりだったんですけど……軽く見られてたってことですか?」


 それはそれでムカついて、眉間に大きな皺を刻んでしまう。


「いいや、違う。あいつが貴様呼ばわりするのは、佐藤、鈴木、田中相手だけ。気負わず背負わずにいられる、あの三人だけだ」


 かぶりを振った中村さんの言葉に、この皺は解きほぐされた。


 時間にしてわたしの四倍。その交友を通してきた中村さんは、隣人の心の内を語り始める。


「始めはさ、動揺してただけなんだ。自殺未遂を目撃して、さあどうする、ってなって。見なかったことにしたら、向こうから話しかけてきたんだ。関わり合いになりたくないのは、ま、渡辺がつい漏らした本心だろうな」


「本心ならそれで、人として最低ですね」


「そうだな。社会的に褒められたことじゃない。でも人間らしくはある」


「人間らしく?」


「昔はさ、誰かが困っていたら手を差し伸べましょう、っていうのが当たり前の風潮だったのかもしれない。でも今は、手を差し伸べた先の相手に、わけのわからん冤罪で、訴えられることも珍しくなくなった。……いや、もしかすると昔からそんなことは、よく起きてたのかもしれない。ネットの普及によって、こんなリスクもある。それが広まっただけなんだろうな」


 中村さんの言う通り、そういうことは世間でよく起きている。


 道路で倒れている人を助けたつもりが犯人扱い。迷子の子供を声をかけ保護しようとしたら誘拐犯扱い。女性にAEDを使用するとセクハラで訴えられる、と広がったデマなんて、あってもおかしくないものとして、誰もが信じたくらいである。


 まさに人助けにはリスクが伴う。それが共通認識とすらなっている時代だ。


「だから下手に関わりたくなかったんだろう。なにかあったとき、やり玉に上げられるのは問題を起こした女子高生じゃない。成人男性に向くものだからな」


 成人男性代表として、中村さんは困ったように肩をすくめた。


 隣人のあのときの行動。それには得心がいった。けど、


「それはそれでムカつく……そんなろくでもないことをする女だって、思われてたと同じじゃないですか」


 これには腹を立てても許される。あいつは人を一体なんだと思っていたのか、と。


 そんなむかっ腹は、すぐに収められることとなる。


「信頼関係ができたのはその後の話だろ? 渡辺から見てそのときの君は、自殺しようとするほどに思いつめていた女の子。ただの他人だ。当たり障りのない言葉をかけたつもりが、突拍子もない行動や発想の飛躍を持って、牙を剥いてきてもおかしくない。


 実際、君は突拍子もない行動に出ただろう?」


「え?」


「普通、自殺の失敗を見てみぬふりをした相手を、ちょっと待て、なんで話を聞いてこないんだ、って追っかけるか?」


「あぁ……」


 中村さんの指摘に、嘆息を漏らしながら両手で顔を覆った。


 言われてみればあのときの行動はおかしかった。話を聞いてほしいわけでもなかったのに、つい追っかけてしまった。


 なんだこいつと。なぜ見て見ぬ振りをするんだと。


 感情の発露が変な方向に出てしまった。まさしく突拍子もない行動、発想の飛躍を持ってわたしは牙を剥いてしまったのだ。


「いきなりそんな風に問い詰められるんだ。渡辺のほうも余裕がない。つい貴様呼ばわりしながら、対処療法のように対応へ当たったんだろうな」


 そのときの隣人の心の内を思い、中村さんはおかしそうに鼻を鳴らした。


「あることないこと遺書に書かれても困ると、渡辺なりに必死になって、自殺を止めようとしたんだろうさ。冷静じゃなかったのは確かだよ。でないと、女子高生の自殺を止めるのに、エロゲなんて持ち出さないだろう、普通」


 そう、普通は持ち出さない。けれどわたしの隣人像はそれを当たり前にやるし、事実やってきた。神ゲーという免罪符の名のもとなら、なにをしても許されるとばかりに。


 わたしと中村さんの間では、その辺りは共通認識ではなかったようだ。


「……中村さんから見て、あいつの行動は突拍子もないですか?」


「少なくとも、その辺りの節度はわきまえている男だよ。遵法精神からというよりは、自衛としてな」


 遵法精神云々でいえば、あの男は中二の身からアダルトゲームに手を出していた。当たり前のように沢山やってきた。


 それを人に与えるのを厭わないとしても、付き合いのない女子高生にいきなり渡したりはしない。それが中村さんにとっての隣人のようだ。


「だから次の作品を差し出したときは、嬉しかったんだろうな」


「嬉しかった?」


「ああ。自分が大好きな作品を、楽しんで貰えたことに。君が女子高生であることなんて関係なしに、次はこれだ、面白いぞって。楽しんで貰いたかったんだ」


 中村さんが浮かべた微笑は、わたしか、ここにはいない隣人か。果たしてどちらに向けたものか。


 不承不承に、蒼グリを認めたわたしに、隣人は得意気な顔はしなかった。ただ嬉しそうに笑っていた。褒められたことに喜び、語るその様は少年のように目を輝かせてすらいたのだ。


「アニメやマンガのとき、渡辺のおすすめはどうだった?」


「面白いのが多かったですね。まあまあかな、と思うものはあっても、つまらないものはなかったです」


 何気ない中村さんの問いかけに、素直に答えた。


「押し付けがましくはなかっただろう? 芳しくない感想を口にしたって、機嫌を悪くしたりしなかったはずだ。ただ、そうか、と言って清水さん好みの傾向を図って、次のものを紹介してくれたはずだ」


「確かに……にそうでした」


「佐藤のときもそうだった。つまらないなんて感想にも怒ったりしないで、作品が合わなかっただけと受け止めて、次に繋いでくれる奴だった」


 そうだ。だからわたしも素直な感想を口にしながら、次を求められたのだ。


 一週間前では楽しめなかったような作品たち。それらを楽しめる土台を、隣人なりに丁寧に作り上げてくれたのだ。それはいつしか、あいつがすすめてくるものだから間違いない、なんて信頼感すら抱いていた。


「あいつが作品を批判して切れるときは、いつだって蒼グリの話のときだけだ。田中はそれでよく腹パンされてたな」


 そのときの光景を思い出したのか、中村さんは堪えきれずに笑いだしていた。


 対してわたしの顔は苦いそれである。作品の矛盾を突いただけで、手を握り潰す制裁をくだされたのだ。どうやらその矛はわたしだけではなく、容赦なく友人たちにも振り下ろされていたようだ。


 ふいに、そんなわたしに穏やかなまでの微笑が向けられた。


「きっと清水さんは、創作仲間以外で好きなことを語り合える、一番の相手だったんだろうな」


「わたしが?」


 思わぬ評されかたに目を見開いた。


「俺が知る限り、渡辺の蒼グリの話についていけるのは君だけだ。その時点で、渡辺にとっては特別な存在だろうさ」


「特別な存在……」


「恋愛感情があったかはさておき、手をかけてあげたい友人くらいには思っていたよ」


 恋愛感情、なんて四文字に悪戯っぽい感情を含めながら、中村さんは口端をニヤっと上げた。


「秋葉原に案内してもらう予定だったんだって?」 


「はい」


「ここのところ、渡辺によく請われたんだ。女の子と一緒に出かけるときの注意とか、扱いとか、どうやったら楽しませてあげられるかって」


「え……」


「今描いている作品に必要知識だから、彼女持ちの目線からその辺り教えてほしいってさ。渡辺がデートなんてするとは思わなかたから、その通り受け取ってあれこれと教えたけど……きっと、君のために色々と調べてたんだ。なにせあいつは、遊びで女の子と二人きりで出かける、なんてことはなかったはずだからな」


 思わぬ友人の一面を見つけたように、中村さんの口元はニヤけきっている。同時にその目元は、その話で当人をイジリ追求できないことが、とても残念そうに映った。


 女の子と二人で遊びに出かけたことはない。中村さんの太鼓判が押され、やっぱりそうかと思いながら、あの自信満々な顔が脳裏に蘇る。


『この俺自ら、貴様のためにプランを練ってやったんだからな。明日は精々、楽しみにしていろ』


 ただのオタク仲間を連れて行くのではない。独りよがりにならないよう、自分の足らない経験を友人に教えを請うた。ちゃんとわたしが女であることを踏まえた上で、楽しめるように調べていた。


 いきあたりばったりではなく、隣人は色々と考えてくれていたのだ。


「俺たちの知らないところで、女の子を遊びに連れてこうとするなんて……人見知りする男が、張り切ったもんだな」


「人見知り……? あいつがそんなものするんですか?」


「ああ、するぞ。先輩からキャンプに誘われたときなんて『リア充陽キャの集会はちょっと……』とか言って断ったからな。清水さんタイプの相手には、人見知りが激しいんだ、あいつは」


 しょうがない奴だと言うように中村さんは肩を揺らしている。


 隣人に当てはめるのに、およそ似つかわしくない表現に呆然としていた。それこそ食パンを加えた女の子くらい、いてはいけないものを目の当たりにしたような気持ちだ。


 今日まで積み上げてきた、あいつのイメージとはまるであわない。


「人見知りが激しいとか……あの男に似合わない。なんか偉そうに見えて、説教みたいなことをしてきて、自分人生達観してますみたいで……それでも自分をしっかり持っていて、人に流されない、そんな大人だと思ってた」


「ははっ。誰だ、そいつは。そんな大人を俺は知らんな」


 わたしの隣人像を中村さんは笑い飛ばした。


 悪意なんてないのはわかっているが、わなわなと肩が震えそうにすらなる。一年と四年。その差を見せつけられたようで、おまえが知っている男なんて最初からいなかったと言われているようで……初めて中村さんの無遠慮さが気に障ったのだ。


「だからそれは、清水さんの前だけの渡辺なんだろうな」


 ただ、中村さんは人の心を踏みにじるような、不躾な人間ではなかった。自分の知らない友人の顔を知り、喜んですらいるようだ。


 一時でも中村さんを誤解し恥じてしまった。振り上げた矛のような感情は行き場を失い、


「あいつ……格好つけてたってことですか?」


 隣人に向かって振り下ろされた。


 中村さんはそれにニヤっとしながら、


「ああ、カッコつけてるんだ。普段より大人ぶって、話に説得力をもたせて。自分のせいで道を外れそうになっている君に、大学はちゃんといけ、勉強はちゃんとしろ、人生は甘くないぞって語ったんだ」


「ほんと、そのときのあいつって、なんか偉そうに見えるんです」


「でも、そんな偉そうに見える奴の言葉を、聞く気になったんだろう?」


 口元を緩めた中村さんの顔は、とても優しげに映った。


 そう……ただ押し付けるように、偉そうに言ってきたことなんて一度もない。現実を突きつけて、小綺麗な言葉を扱うんじゃなくて、こんな目にあいたくないから、やるべきことをやらねばならない。だから先の階段を、まずは一つ確実に登るため、心を入れ替え机に向かうことができた。


 そんな偉そうな奴の言葉だから、話を聞く気になったのだ。


「あいつはどこにでもいる、好きなものに情熱を捧げる大学生だ。イメージと違って幻滅するする代わりに、あいつがやってきた非礼は多めに見てやってくれ」


 中村さんはニカっとしながら、


「むしろ三次元の女の子相手にカッコつける。そのくらいの度量があったってことでさ」


 友人代表として最後まで、隣人の肩を持ったのだった。

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