16

「遠慮せず好きなものでも頼んでくれ。このくらいの店で豪遊させてやれないほど、甲斐性なしじゃないつもりだ」


 胸を張った中村さんの頼もしそうな姿。


 ファミレスで向かい合う形で、ボックス席に座っているわたしたち。中村さんは互いに見られるよう、メニューを横向きに広げた。気持ち斜めなのは、わたしが見やすいよう向けた配慮である。


 二人で一つのメニューに目を落としながら、中村さんがページを捲っていく。こちらの顔を横目で見て、反応を伺いながら、ペースに合わせてくれているのだ。


 ファミレスに物珍しさはない。友人たちとよく行くし、何時間も居座るのもざらである。


 だからこそ迷っている。なにを選べばいいのか。


 普段行くファミレスと比べ、チェーン店でありながら、一つ二つ高いのだ。


 遠慮せず好きなものをと促されても、まだ出会って二十分。三千、四千円のセットを頼むほど、厚かましくもなければ無遠慮にもなれない。


 行き着いた結果は、オニオングラタンスープがついた、欲張りサラダセット。ドリンクバーつきで千五百円超え。遠慮しすぎても失礼かもとの選択だったが、


「いいのか、もっと豪勢にいってもいいんだが」


 と、中村さんが指差してきたのは、オマール海老やらずわい蟹やらサーロインやらの名が連なったセット。ドリンクバーも付けて、わたしが頼んだ物の倍以上はする。


 社交辞令ではなく、中村さんの好意なのは受け取れた。


 なので、


「こんなの食べたら、食後のパフェが入りませんから」


「それもそうだな」


 カラッと笑う中村さんに甘えて、遠慮なく追加注文を入れることにした。


 中村さんは一緒のほうが来るのが早いだろうと、同じサラダセットを選んだ。ただしオニオングラタンスープを、小ぶりのビーフシチューにランクアップさせた。わたしよりも高すぎたりしないし安すぎたりもしない。余計な気を負わせない、細やかな気遣いを感じられた。


 そうやって注文を終えると、


「おっと、失礼。彼女からだ」


 それを見計らったように中村さんのスマホが鳴った。


 席を外さないのは、そこにやましさもなにもない。そう主張しているようでもあった。


「ああ……うん。今ファミレス。わかってる。任せとけって」


 電話は三十秒もせず終わった。


「彼女さんは大丈夫でしたか?」


「よくやった、ちゃんと話を聞き出してこい、ってお達しがくだった」


 後顧の憂いは完全に断ち切った。大義は得たとおどけるその姿がクスリと笑える。


 そうして改めて自己紹介をしたわたしたち。といってもお見合いでもなければ、合コンでもない。精々名乗り直したとのと所属くらい。そこで中村さんが、隣人と同じ大学に通っているのを知った。


 それだけではない。


「へー、清水さんの高校もあそこなのか」


「も?」


「ああ、俺の母校なんだ」


 そんな偶然に驚くのではなく、中村さんは頬を緩めた。


 意外な共通点があったことに、ちょっと親近感を感じた。


 離れている年齢は四つほど。あの高校の卒業生だというのなら、あれこれと語れることは多いだろう。


 けれどわたしは、そんなありきたりな世間話に興じようとはしなかった。


「あれ、高校時代からのお友達ってことは……もしかして?」


「ああ、渡辺たちもそこの出身だ」


 わたしの言わんとしていることを察し、すぐに答えをもたらしてくれた。


「……なんだ、わたし、あいつの後輩だったんだ」


 独り言のように、そんなことを呟いた。


 どこそこの高校、なんてことは一度も口にしてこなかった。それが今になって同じ高校だったと知ったのだ。


 あいつの後輩だった。早くそれを知っていたら、わたしたちはどんな会話をしていたのか。どれだけ考えようとも、想像に想像を重ねただけの妄想であり、虚しくなるだけのもしもである。


 それでもつい、物思いに耽てしまうくらいの衝撃は、そこにはあったのだ。


 だからなのか。


「俺さ、高校んときボッチだったんだ」


 そんなわたしを現実に引き戻すように、ふいに中村さんは言った。


「え……中村さんみたいな、人がですか?」


 あいつの後輩であった。それ以上の衝撃がわたしを襲った。


 身なりや清潔感への努力を怠っていないイケメン姿。話も上手ければ細やかな気遣いもできるコミュ力の高さ。それにわたしが目指している国立大学に入るほどの学力だ。彼女一筋なんだと平然と口にする誠実さもあり、彼女さんは可愛い人なんだろうと容易に想像がつく。


 そんな人がちょっと前まで、ボッチだったというのだ。こんな人が普通に高校生活を送っていて、どうやればボッチになれるのか。それが不思議でならなかった。


 自分を映している丸い目に、中村さんは喜ばしげに口角を上げている。


「今の俺を見ての評価だ。それは素直に嬉しいもんだが……当時の俺は、人生を捧げるほどにネトゲにドップリだった。そんな奴が、まともな友人関係なんて築けるわけがない。というか、築こうとすらしてこなかったからな。……今はこうして取り返せたからいいが、我に返ったときは、人生失敗したと絶望したもんだ」


 中村さんは過去の自分を、自嘲気味に笑っている。


 人生失敗したというほどの絶望。今はそれを笑い話にできるくらいには、終わった過去のものとして受け入れているようだ。


 あれ、と既視感を感じた。


 もしかして、この人、と。


「……中村さんの彼女さんって、幼馴染の美人だったりします?」


「……ん? ああ。彼女は幼馴染だし、贔屓目抜きにしても最高に可愛いよ」


 惚気けるわけではなく、それこそが世界の真実だとばかりに言い切った。


「ネトゲを止めた後、彼女さんの隣にいて恥ずかしくないよう、必死に勉強して、大学に受かって告白したとか?」


「ははっ。なんだ、渡辺の奴、俺のことを話してたのか」


 照れくさそうにしながら、中村さんは頭を掻いた。


 かつて隣人が人生の教訓として話してくれた、ネトゲ廃人の美談。あれが真実であっただけではなく、こうしてその人と出会うことになるなんて。


 これまた奇妙なところで、縁ができてしまった。


「じゃあ、この話を聞いたか? あの家にいた田中の話なんだが、あいつがまた、ろくでもない奴だったんだ」


 自らに向けられた照れくさい話、その矛先を逸らすような中村さんの口ぶり。ろくでもない奴と口にしながらも、死んだとは言わずあの家にいた、と。それこそが亡くして惜しんでいる証なのだろう。


 そうして中村さんが体験した、ネットゲーム内で起きた人災は語られた。


 どうやら中村さんのギルドに、田中さんが女のふりをして潜り込んでいたようだ。男共を手玉に取ってギルドの姫として君臨し、中村さんをギルドから追い出したらしい。いや、全員揃ってギルドを脱退し、その上でギルドを明け渡せと迫れたようだ。それを逆追放された、なんて中村さんは表現していた。


 中村さんが逆追放された後は、田中さんは散々貢がせた先で、男共を煽り対立させ、争わせたらしい。そうして一つのギルドを愉快犯として、崩壊に追い込んだとのこと。


 ある日、田中さんはそれを武勇伝のように教室で語っていた。そしてその後ろの席で、中村さんは話を聞いていたようだ。


「凄い……話ですね」


 ネットゲームを追われたギルドマスターと、愉快犯で追い込んだ張本人。それが一つの教室で介するとは、まさに凄い巡り合わせである。


「ああ、凄い話だ。あいつはまさに天才にして天災。台風地震津波の類だった」


 当時の思い出してのしかめっ面か。田中さんへの評しかたが面白く、つい噴き出してしまった。


「よく許しましたね」


「ま、足を洗うもう一つのキッカケになったからな。結果論だが、あいつに感謝をしたくらいだ。なにせそんな凄い巡り合わせのおかげで、ボッチを脱したからな。……佐藤に勉強を見てもらえなければ、さて、大学に受かったかどうか」


 亡くなった四人の一人の名を出しながら、どこか遠い顔をする中村さん。


 勉強を見てもらえなければ大学に受かったかどうか。似たような台詞を、かつて隣人の口からも出たのを思い出した。聖人のおかげで大学に受かったと。


 どうやらその佐藤さんという人が、例の聖人なのだろう。


「懐かしいな。あの日、学校帰りに田中と寄ったのが、まさにこのファミレスだった。陥れた詫びだって、あいつの奢りで豪遊したんだ。ネカマの舞台裏を、面白おかしく語られてさ。あれには笑わされたもんだ」


 酷い目に合わされながらも、友情を築いていい思い出として語られる。


 中村さんの人の良さというよりは、本当に感謝しているのだろう。純度百パーセントの悪事とはいえ、ネットゲームから足を洗う役割を果たした田中さん。まさに中村さんの人生を立て直す、追い風となったのだ。


「ま、とにもかくにも、こんなこともあって、高二の夏に渡辺たちとは仲良くなったんだ」


 これ以上はしんみりするだけと、中村さんは明るい声色で話を締めた。


「清水さんは、どうやって渡辺と?」


 と、そのまま流れるように、わたしたちの話に移ったのだ。


 どうやら一方的に話を聞くのではなく、自分の身の上話をしてから、話を聞こうとしたのだろう。


 前座として場を温め、わたしの口を軽くする作戦かもしれない。


「同じマンションの隣人なんです」


 だったら見事にそれは成功した。中村さんにだったら、このまま全部話してもいいだろうという、自分がそこにはいたのだ。


「確かあの階は、単身用じゃなかったか?」


「父の仕事の関係で、今は一人暮らしなんです」


「一人暮らしの可愛い女子高生、そんな隣人と交友があるだって? 渡辺の奴、それなんてエロゲだ、なんて普段から言っておいて、とうの本人もエロゲみたいな展開に恵まれてるじゃないか。……っと、ごめん。女の子にする例える話じゃなかった」


 自らの失敗を悔いるように、中村さんは頭に手を当てた。


 確かに今日出会ったばかりの女子高生をあげつらい、エロゲに例えるのはよろしくない。セクハラとして成立する案件だ。


 けれどわたしと隣人の関係は、まさにそれを抜きにして語れない。気を悪くするどころか、クスリと笑ってしまった。


「いいんです。まさにそのアダルトゲームが、私たちのキッカケですから」


「エロゲが……キッカケ?」


 失言がまさか話として続くとは思わず、中村さんは怪訝な顔をしている。


 わたしたちの始まりの出会い。話す相手を間違えれば確実に引かれる。誰も彼もに語ることのできない話だ。


 けれど中村さんになら全部話してもいいと決めていた。きっと彼ならば、笑って受け止めてくれると信じてすらいる。


「わたし、前にベランダから飛び降りようとしたんです」

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