15

 どこにでもある不幸な事故。それで終わるはずだったその事故は、大きな反響を呼んだ。


 亡くなった四人の内一人が、テレビにこそ出ないが有名な雑誌モデル。テレビはそれを大々的に取り上げたため、しばらく話題が途切れることがなかった。


 見ていて面白いものではない。まさにお涙を誘うために、死者を食い物にしている印象である。


 わたしでも知っているくらいの雑誌モデル。ただそれだけで、そんな思いを抱いたのではない。あいつの友人だったから、ほぼ無縁にも関わらず、そんな情を抱いてしまったのだ。


 事故現場には一度も行っていない。献花台には家族知人だけではなく、そのファンまで駆けつけ、泣いている女の子たちがテレビに映し出されている。そんなテレビの餌になりたくなかったのだ。偲ぶ思いを冒涜されるかのような、そんな嫌な気持ちが渦巻いていた。


 そうやって夏休みが終わり、地震から二週間後。


 わたしはようやく、その地に足を伸ばしていた。


 五日前、東京で起きた殺人事件が連続殺人事件と断定されたことで、世間の注目は一気にそちらへ移った。数年前に起きた連続殺人事件、妖怪人食い唐揚げの再来だと騒ぎたてられ、話題性がニュースのトップ記事となったのだ。


 今やどのニュースを見ても、この場所で起きた凄惨な事故に触れるメディアはない。


 お茶の間にとって、既にここで起きた事故は過去のものとして、過ぎ去ってしまったのだ。


 学校が終わり、一度着替えた先の夕方頃、直接訪れた事故現場。


 献花台には花や供え物で溢れていても、故人を偲んでいる者は誰もいない。ここで泣いていた女の子たちは、果たしてどこへ行ったのやら。もう既に、次の雑誌モデルを追うのに忙しいのかもしれない。


 気の利いた供え物なんて持ち合わせていないわたしは、手を合わせることもなく、ただ黙ってその場所を見据えていた。


 ペシャンコとなったその家屋。


 ニュースで見たが、どうやらいわくつきであったらしい。過去に一家心中や集団自殺など、合計十六人の死者が出ていた。取り壊しは何度も試みられたらしいが、心霊現象としか思えぬ不調が、機械や人間に起きて、ついには断念されたようだ。


 そんな物件を借りた家主もそうだが、いくら大学から近いとはいえ、普段からたまり場のようにされていたのもまた凄い話だ。その末に、彼ら自身が二十人目の死者となってしまったのは、これまた皮肉な話である。


「あいつ、ここで死んだんだ……」


 どうやら最初に見つかった死体は、あいつの者であったらしい。警察の見解では、地震が起きたときに家を飛び出した先で、トラックと正面衝突したとのこと。即死だったのは不幸中の幸いというべきか。家屋倒壊からの圧死よりは、苦しみがないと断定されているだけマシかもしれない。


 そうやって惚けるように、献花台の前で手を合わさずにいると、 


「ごめん、手を合わさせて貰っていいかな?」


 と、声をかけられた。


 振り返るとそこには男性が一人。ここで亡くなった四人と歳の変わらぬ、おそらく大学生の青年だった。


「ご、ごめんなさい!」


 邪魔になっていたの知り、すぐに斜め後ろに飛び退いた。


 青年は気を悪くするどころか、優しく笑いかけてくれる。そこに人の良さが伺えた。


 コンビニ袋から取り出した缶ビールを四本、献花台に供えると、彼は黙って両手を合わせた。


 亡くなった四人の内の誰か、ではない。全員の友人なのだろう。供えたビールの数がそれを証明していた。


 隣人風に言うのなら、青年はまさにリア充陽キャの類。天性の天然イケメンではないが、根っこの素材が良い。疎かにすれば石ころであろうが、彼はそれを磨き上げた先での、自身の輝かせ方を心得ているようだ。


 こんなところでなければ、笑いかけられた時点でドキっとしたかもしれない。まさに年上の魅力があり、元彼なんかよりよっぽど嫌味のないイケメンだ。正直好みですらある。


 そんな彼を眺め続けていたのは、魅力に当てられたわけではない。ここで亡くなったモデルとの交友もそうであるが、こんなイケメンとも友人だったのかと。目の当たりにして興味深かったのだ。


 供え物を放置せず、持ち帰ろうとするマナーは人間の出来を感じさせる。


「ん?」


 やることも終え振り返った彼は、自身に向けられた視線に気づいた。


 バツが悪いわたしは、つい目を逸しながらタジタジとしてしまう。


「……鈴木のファンの娘かな?」


 そんなわたしを訝しがることなく、青年は微笑みと優しい声をかけてくれたのだ。


 鈴木というのは、悲劇の象徴に祭り上げられたモデルである。


「あ、いえ……」


「ん、違うのか。となると佐藤の……知り合い、とか?」


 この家屋を借りていた学生の名。


 わたしはかぶりを振ると、青年は不思議そうに喉を鳴らす。


「じゃあ田中の……は、ありえんか。原野とは破局したんだし、あのカスを偲んでくれる女の子なんているわけないよな」


 故人に対して酷い口ぶりだが、悪口ではなく軽口のそれだ。親しみの情感が強くこもっていたのだ。


「となると、後は……いや、これもこれで信じられん話だが……もしかして渡辺の知り合いかい?」


 四人の死者。その最後の最後で、隣人の名が上がった。


「……まあ。一応」


 友人かと言われれば迷ったが、知り合いかと問われれば頷かざるえない。


 自分でその名を出しながらも、肯定されるとは思っていたなったのかように、青年の顔はキョトンしていた。


「なんだ、三次元の女には興味がないとかいつも言っときながら、こんな可愛い娘を隠してたのか。やるな、渡辺」


 次の瞬間、堪えきれないとばかりに笑った。倒壊した家屋を振り返りながら、まるでそこに隣人がいるかのように、どこか困った風に肩を揺らした。


 三次元の女、と口にするくらいである。隣人の趣味をよく把握しており、理解もあるのだろう。それが同時に、二人の親しさに繋がっていた。


「お友達……の方ですか?」


「ああ、高校からのな」


 爽やかな微笑で青年は首肯した。


 次は……となにかを問いかけようにも、出てくる質問がなにもない。


 隣人とはいつだってオタク話ばかりである。わたしよりも少し大人のオタク青年。あいつ自身の話を少しは聞くことはあっても、プライベートは知らないに等しい。ある意味わたしたちの世界は簡潔に完結しており、お互いのことを知りたがるような関係ではなかったのだ。


 だから次は、なにを問いかければいいのか言葉が詰まった。共通点がありながらも、あいつのなにを知りたいのかもわからない。


 そうやって口を開けずにいると、青年は自らの左腕に視線を落とした。腕時計である。


 後腐れなく時間を理由に、この場を去ろうとしているのかもしれない。そう思ったら、


「この後、時間はあるかな?」


 時間の都合を問われたのだ。


「え、まあ……」


「良かったらご飯でもどうだい。奢るよ」


 それだけで終わらず、ご飯のお誘いを受けてしまった。


 母に感謝するくらいには、可愛さの自認がある。ナンパされてきた数も両手じゃ利かないし、自尊心だってある。


 普段とは違うタイプな上に、好みの相手なのでちょっと嬉しかったりもするのだが。浮かれたりはしなかった。


 世の中にはTPOというものがある。


 もし隣人を介して出会った先で、こっそりお誘いを受けたのなら、あっさりと乗ったかもしれない。ただここは墓前とは言わずとも、命が失われた地である。そんな場所で出会って早々のナンパは、ちょっと不謹慎ではないのかと気疎かったのだ。


 困った顔を浮かべてしまったからか、


「安心してくれ、ナンパじゃない。これでも俺は、彼女一筋なんだ」


 青年は待ってくれと、両手のひらをこちらに向けてきた。


「渡辺の話を聞きたい。あいつが隠してきた可愛い女の子との関係、その秘密を暴きたいだけなんだ」


 おどけた風に、青年はニカっと口端を上げ、肩越しに潰れた家屋を振り返る。まるで隣人に向かって、今からおまえの秘密を暴いてやる。そう宣言しているかのようだ。


 その顔を見て、本当に下心はないんだなと察した。それはそれで女としての沽券に関わり、ムッとなりそうになるのだから、自らの身勝手な女心に呆れてしまたった。


「彼女さんは、いいんですか?」


 嫌味っぽく目を細めながら、『彼女さん』なんてことさら強調した。


「むしろこのまま君を返したら叱られる。なんでそんな面白そうな秘密を、おまえは暴いてこなかったんだ、ってな」


 彼女さんの真似でもないだろうに、青年は口を尖らせた。


 数刻ほど互いを見合わせ、お互いに笑ってしまった。


 まだ亡くなって二週間。


 そんな死者の隠された話を、面白い、なんて語るさまは不謹慎なのではない。あいつとこの青年の距離感にして親密さなのだ。


 そしてどこまで言って許されるか。顔色と声色を伺いながらの、不快にさせない駆け引きがとにかく上手い。


 短時間であっという間に、心を許してしまった。


 どうやら近くにファミレスがあるらしく、そこへ行こうと彼は言った。それに頷くと、彼は先導するように三歩先を歩き出す。着いてこいだなんて傲慢さはない。いきなり触れ合うような距離で肩を並べてくるよりは、よっぽど誠実である。


「ああ、そうだった」


 そうやって歩き出した先で、忘れていた物を思い出したように声を上がった。


 肩越しに振り返り、青年は忘れていた物を差し出してきたのだ。


「俺は中村栄太。よろしくな」

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