13
満を持した両親の一時帰国イベント。一年以上ぶりの再会ともなり、共に過ごした家族の団らん。お土産としてもたらされた奇妙な仮面が引き起こした椿事や、旅行先の避暑地に現れた宝石怪盗事件、帰りの新幹線では殺人事件に遭遇し、二人の探偵による推理合戦が行われた。
まさに人生で一番濃密な十日間であった。
お土産話が持ちきれないほど両手に一杯となり、今年の夏休みはやはり上々。去年とは比較にならない、思い出に満ちたものであった。
そうやって夏休みも刻一刻と終わりが迫った、八月の下旬。
秋葉原観光を前日に控えた金曜日、マンションから徒歩十分のコンビニに足を運んでいた。
なにせ金曜日の深夜は忙しい。十一時から始まる深夜アニメラッシュ。今期はその全てが当たりであり、目が離せない時間であるのだ。そのためにもお供が必要である。
こういうのは日中に買いに行くことこそが、正しい女子高生のあり方なのであろう。が、同時に学生の本分を弁えた結果でもある。家族との時間を過ごす間は手つかずだったので、それを取り戻すように勤めていたのだ。
その結果が、こんな時間。深夜アニメラッシュが始まる三十分前。夜遅く出歩くこの姿を諌めるのではなく、こんな時間まで学生の本分に勤めていたことを褒め称えてほしい所存である。
深夜のコンビニ前。このような時間に出歩く女子高生を、脅かすようなイベントがそこで発生した。それこそ目の当たりにして、ギョッとしてしまったほどに。
そこにいたのは、魑魅魍魎でも不良でも先生でも警察でも半グレでもない。
「なんだ貴様、深夜徘徊か」
隣人だった。わたしとは反対方面から来て、丁度自転車から降りようとしたところに遭遇したのだ。
決して隣人は引きこもりではない。リア充陽キャと評する交友関係にも恵まれている大学生。駆り出されたとはいえ、花火に行ったりもしているのだ。外にいておかしい人種ということではない。
ただ、初めてベランダ越し以外で遭遇したことに、ビクリと驚いてしまったのだ。
動物園でいつも眺めているパンダが、コンビニ前に現れたら誰だって動転するだろう? それと同じだ。そこに違いを求めんとするのなら、隣人は可愛くない。
「まだ補導される時間じゃないわよ」
「女子高生が出歩いて褒められる時間でもないがな」
「ちょっとこの後のお供を買いに来ただけ。あんたこそこんな遅くにどうしたのよ」
軽口を適当に受け止めながら、隣人がやってきた方角に目を向けた。
「大学から帰ってきた……ってわけでもなさそうだけど」
「友達に呼ばれて、さっきまで飲んでいたんだ」
「知ってる? 飲酒運転って自転車にも適応されるのよ?」
「軽くしか飲んでない。もうとっくに抜けている」
恥じ入るでも悪びれるでもなく、そんなことをあっけからんと言ったのだ。確かに呂律も顔色も足元もしっかりとしている。
それでも飲酒運転には代わりないのでは、と更に追求しようと思ったが、すぐ別なものにこの目は奪われた。
「あんた……遊びに行くときもそんな格好なの?」
ベランダ越しの慣れた姿に、つい見逃しそうになってしまったその姿。
膝丈のショートパンツに黒いティーシャツ。変化と言えばそこにサマーワッチを被っているくらい。ちょっとラフ過ぎる感じもするが、そこだけを見れば悪いものではない。むしろ似合っており、隣にいても恥ずかしくないセンスである。
と、思わせておいて、そのティーシャツに着目すると恥ずかしいことこの上ない。蒼い英字とシルエット。一見バンドティーシャツに見えるが実体は違った。英字を翻訳すると蒼き叡智の魔導書であり、シルエットはこの男の魂の嫁なのだ。
いわゆるオタク向けのキャラクターティーシャツである。
「元を知らん奴には、案外気づかれんもんだぞ」
「……気づかれない、のかな?」
唸りながらそのティーシャツを見つめるも、答えは出てこない。
この脳みそはオタク目線というものをしっかり獲得してしまっている。一般人目線で、これを外着としてありか否か、判断できずにいた。
答えを出すのを諦めて、店内へと足を踏み入れた。
肩を並べて買い物をしたいわけでもないので、各々の目的へとすぐにバラけた。お菓子コーナーで定番の品を手にしようとするも、季節限定品が目についた。抹茶味の誘惑に弱いわたし。あれもこれもと手を出すのは体重増加の原因となる。五秒ほど悩んだ末、季節限定品を掴み取ったのだ。
次は飲み物だと向かった先で、隣人の背中が目に入った。
わたしでは決して開いては行けない扉。そのコーナーを眺めている隣人は悩んでいる風だ。同じ悩みかもしれない。季節限定品はいつだって、人の悩みのタネとなるのだから。
そこでピコンと、わたしは思いついた。
ひっそりとその背に忍び寄る。脅かしたいわけではない。隣人以外に気づかれたくないのだ。
「ねえ、後でお金払うからさ、わたしの分も買ってよ」
ベランダで飲んだあの味を思い出し、それを再び口にしたくなったのだ。
やっぱりと言うべきか、隣人の眉根はすぐに寄った。
「貴様には遵法精神がないのか」
「女子高生にアダルトゲームをやらす男には言われなくないわ」
隣人はため息をついた。早々に屈した証である。
周りに気づかれないようこそこそと、これがいいと二本ほど指定する。後は自分の買い物だけを済まし、店外で座して待つのであった。地面にではない。隣人の自転車にだ。
そうやって隣人を出迎えたのだが、わたしはすぐに怪訝な顔をした。その手にはなにも持っていなかったのだ。
「財布が入ったカバンを忘れた」
苦々しい顔での第一声がそれだった。
怪訝であったこの顔は、すぐに呆れたそれへと変貌した。
「なにやってるのよ……お店に?」
「友人の家だ。取りに戻る」
「は? もう十一時になるわよ」
リアタイ視聴を信念に掲げている隣人。もういい時間だ。往復すると間に合わないのではないか。
「家の鍵ごとあの中だからな。……仕方ない、あいつの家でそのまま見るか」
諦めたように隣人は息をつく。
ただしわたしは、それを黙って受け流すことができなかった。
「全部一気に?」
「当然だ」
「……明日、大丈夫でしょうね」
なにせ明日は秋葉原観光、その案内をしてもらうのだ。
深夜アニメを最後まで見たら、いい時間である。そこから帰ってくることを加味すると、就寝は丑三つ時を過ぎるのではないか。
「大丈夫だ。十時に玄関前だな」
自転車のスタンドを隣人は蹴る。
「この俺自ら、貴様のためにプランを練ってやったんだ。明日は精々、楽しみにしていろ」
向き直ってきたその顔は、得意気ないつものそれであった。
行き当りばったりではない。二次元オタクが三次元女のために、ちゃんと考えてやったのだと。デートの一つしたことないだろう男が、自信満々なのが少しおかしかった。
一年前、飛び降りようとしたのをキッカケに始まった、ベランダ越しの交友。あれからもうそんなに経っているのかと、月日が流れるのはあっという間だ。
始まりの出会いも印象も最悪であったが、わたしの生活の一部に、すっかり根付いてしまったオタク青年。それを良いものだと捉えている自分がいる。それこそあの自殺未遂を、笑い話にできるほどに。……ま、話す相手を間違えれば確実に引かれるので、誰も彼もに語ることは出来ないのだが。
そうやって過去を振り返った先で、一つ思い出した。これだけ長く交友を重ねてきておいて、始めに知るべきことを、わたしたちは未だ知らないでいる。
避けてきたわけではないが、必要としていなかったので忘れてしまっていた。
だから今回くらいは、わたしからすることにした
「清水恵子」
「ん?」
「いつも貴様呼ばわりだけど、わたし、実は名前あるから」
自己紹介というものを。
照れなんてものはない。そういえば忘れていたけど、なんて語り口で自らの名を告げたのだ。
隣人はなんともなさげに、
「なんだ、貴様にもそんな個性があったのか。てっきりネームレス女子高生Aだと思っていたぞ」
鼻を鳴らしなら自転車に跨った。
悪口でもなんでもないただの軽口。それに今更腹立たしく感じることはない。そんな言葉が飛び交うことこそが、わたしたちの関係らしい。
「寝不足でのドタキャンはなしだからね。約束よ」
「ああ、約束だ。寝坊したらチャイムを連打でもして起こしてくれ」
そう言って隣人はペダルにかけた足に力を込めた。
「夜も遅い。貴様は仮にも陽キャ女子高生だ。変なのに出くわさんよう、気をつけて帰れ」
背中越しに片手で振りながら、隣人はそうやって去っていった。
名乗った直後だというのに、なおも貴様呼ばわり。しかもその上名乗らない。
それを失礼な奴だ、と腹に据えかねることはない。なにせわたしも四つも年上に向かって、散々あんた呼ばわりしてきたのだ。
でも、こうして一度は名乗った。貴様やあんたなんて二人称だけで、呼応するのはもう終わり。次に会うときにでもその名を聞き出し、年上に敬意を払う真似くらいはしてやろう。
ま、その次は短針が一周してからだから、すぐに訪れる。
約束だって改めてちゃんとしたのだから。
ただ、その約束が果たされることはないし、あの口から自身の名前と、わたしの名前が呼ばれることは二度とない。
見送ったその背中が、隣人を見た最後の姿になったのだから。
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