08
年も明けてもう二月。
クリスマスから始まり冬休みに年末年始などなど。恋人はおらずとも女子高生としてそれなりに忙しい日々を送っていた。ちょっとした騒動があったり、遭遇した事件を遠巻きでみたりと、なにかと刺激に溢れ、友人たちとは面白おかしい青春を堪能したのだ。
かといってそれ以外、部屋で一人過ごす時間に変わりはない。
相変わらずテレビを垂れ流し、マンガを嗜み、深夜アニメを見る生活。
高校生活との裏表が激しすぎて、ある意味緩急がついているとも言えようか。そしてどちらが裏として秘したいのは言わずがな。例え自身から偏見を失っていても、日の光を浴びている住人が簡単に受け入れられるものではない。その気持ちは痛いほどわかるからこそ、裏は裏のままにしているのだ。
今日も今日とて、花の女子高生らしい青春イベントをこなしてきた。
バレンタイン。
本命を渡すはずだった男は、夏休みの初日に失われている。だから五百円で買った袋詰のチョコを、義理として教室の男子にバラ撒いただけ。むしろ友チョコのほうに力が入っていたくらい。
友人の一人が本命を渡し、無事結ばれた。それを皆で祝福し、良かった良かったと、こちらのほうが嬉しくなったくらいだ。
わたしではなく、そんな友人にとって大きな山を乗り越えたことで、その日の学校は終わった。
残っているのはいつもの日常。バレンタインとは無縁な消化試合。
いくら消化試合とはいえ、買い物のためにスーパーに寄ると、イベントはまだ色濃く形を成している。今日という日が終わるまで、バレンタインコーナーはそこに座しているのだ。
そこに向ける関心は、クリスマスイベントを散々楽しんだ帰り道で、ケーキに抱くそれである。もういいよ、だ。
が……ふと、脳裏に過ぎった顔があった。
「うーん……」
どうしたものかと腕を組みながら、唸り続けること五分。わたしはそれを籠に入れたのだ。
そして家に帰ってやることは、テレビを垂れ流しながらマンガの消化。いつものように時間を忘れるほどに読み耽る……ことはなく、チラチラと時計を見ていたのだ。
没頭というには程遠く、けれど集中できないと言うほどではない。
そうして夜も更けたそんな時間。
ベランダに出ると、気配だけでそこにいるのはわかっていた。
覗いた先に、どんな光景が広がっているのかも。
「はい、これ」
と、手慣れたように挨拶をせず、早速本題に入ったのだ。
こちらに顔を向いたところに、ポン、とそれを投げた。ナイスコントロール。隣人の胸に当たると、地面に落ちることなくその手に入ったのだ。
「ん、なんだ?」
「義理」
訝しげにする隣人に、それがチョコだと告げる。
「ま、色々としてもらってきたからね。このくらいはしないとな、って」
照れもなく、恥ずかしげもなく、わたしはあっけからんと言った。
実際、特別な想いなんてなにもない。バレンタインコーナーで思い出したその顔に、そういえば今まで、お礼の一つもしてこなかったなと。
貸したところで向こうに損害はないのだが、それでも今日まで借りてきた物は、かなりのお金がかかっている。数万で済まないほどの娯楽を、タダで与えて貰っているのだ。偏りすぎた天秤に、後ろめたさとは言わずとも、ちょっと悪いな、と感じる良心がこの胸に宿っていたのだ。
「お母さん以外からのチョコ、そのカウントを手伝ってあげる」
口元を緩めながら、そんな憎まれ口を叩いてみた。
女子高生からのチョコレート。義理とはいえ、たった一つに千円も出したのだ。恩着せがましくするつもりはないが、喜んでくれる甲斐性は見せてもらいたい。
「気を使ってもらったところ悪いが、ここ数年、最低限の義理チョコは確保してる」
なのに憎まれ口に対しての応酬か。隣人はいつもの得意気な顔を見せてきた。
「家族チョコ以外で貰ったのは、これで三個目だ」
「……嘘、あんたにチョコをくれる人とかいるの?」
「ふっ、これでもいるんだ」
鼻につくほどのしたり顔に、無駄な悔しさが湧いてきた。失礼な奴だと言ってこないその余裕が、なおさらムカついた。
「どうせ袋詰のバラ撒きでしょ」
「一つはそうだな。彼氏持ちが哀れな男たちに、手を差し伸べてくれる」
「……一つは?」
「もう一つは手作りだ」
吐息すら漏れてこないほどに愕然とした。
女子高生にアダルトゲームをやらすようなオタクに、手作りのチョコを渡す女がいるのかと。食パンを加えた少女とぶつかり、パンツを見て、学校でその娘が転校生だったと発覚し、隣の席となる。そのくらいあえりえない女というよりは、いてはいけない生物がこの世にいるのかという衝撃だ。
「ま、本命相手へのついで。そのお情けだがな」
数秒ほど沈黙を引っ張った隣人はあっさりと言った。これ以上勿体ぶっても、それはそれで惨めになるとばかりに。
安々と白状するその様は、手作りチョコが家族からではなく、本当に交友関係からもたらされたものだという説得力を高めていた。
でも手作りだ。友人とはいえ相当親しくないと、個別に渡したりなんてしないのではないか。そもそも本当に、本命のついで、お情けなのかも怪しくなってきた。
「……実は、照れ隠しであんたが本命、なんて展開はなさそうなの?」
「それは絶対にない」
が、隣人は力強く否だ言い切った。
「相手に告らせようするマンガがあっただろ? あれを一昨年の四月から地でやっている女だ」
鈍感とか、勘違いしないようにしているとかではなく、絶対なる根拠があったようだ。
そんなことをしている女がいるのかと、それはそれで驚いた。そんなことをやり始め、そろそろ二年も経とうとしているのかと。
「……それってさ、脈がないのに空回りしてるんじゃないの?」
「いや、空回りというよりは噛み合わないんだ。告白すれば間違いなく成就する。なのに脈があるからと、いつまでも向こうからの告白待ち。そんな恋の脈を、勢い余って心肺停止に追い込むのだから……あれは本当に愚かな女だ」
「……心肺停止って。もう終わったってわけ?」
「現在、心臓マッサージをしてるが……やっていることは、悪びれもせず包丁を振り下ろしているだけだからな。このままだと心肺蘇生の見込みはないな」
「ヤバイんじゃないの、その女」
「ヤバイぞ。特にその執着と独占欲は常軌を逸してる。あれは最早、狂気の領域だ」
苦々しいまでのその顔は、呆れているのでも、バカにしているものでもない。その狂気を見てきたことによる、恐怖を抱いたそれである。
凄い女もこの世にいるもんだな、と思った一方で、少し隣人を見る目が変わった。
クラスの隅にいる男子たち。隣人の交友関係は、そんな人たちとだけ築いているんだろうと決めつけていた。隅でコソコソと盛り上がっているような、熟成して糸すら引いていそうな狭い世界。
それが彼氏持ちやヤバイ女相手からとはいえ、チョコを貰えていた。そんな交友関係はただの引き立て役や、相手の顔色を伺わないといけない、そんな息苦しい関係でもなそうだ。
少なくともわたしが御免被りたい交友関係ではない。見方を変えれば楽しそうですらある。
そんな友人を持っている隣人が、意外であったのだ。
失礼だとは思わないでほしい。初めての邂逅から今日に至るまで、隣人がわたしに見せた態度、対応、そしてもたらしてきた数々の言動。間違いなく変人のそれである。なにせ未だに人を貴様呼ばわりだ。
少なくともわたしのクラスにこんな男がいようものなら、爪弾きのハミりである。悪意からではなく関わり合いになりたくないだけだ。
けど隣人は高校時代、半神と評するクラスの中心的人物とも仲が良さそうであった。
「特に最近、彼氏持ちに向かって吐き出した言葉……あれは本当に酷かった」
「……なに?」
「『恋人っていいわよね。キスもエッチもし放題なんでしょ?』だ。酒の席とはいえ、俺たち男がいる前でこの有様だ」
「頭おかしくなってるんじゃないの、その女」
案外、人間関係の立ち回りが上手いのかもしれない。
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