07

 学期末テスト、その最終日。


 自己採点の結果は、どの教科も目が覆いたくなる惨状だった。


 なぜこんなことになってしまったのか、と声高にして叫びたいが止めた。なるべくしてなった結末だ。


 マンガとアニメ漬けとなり、家ではまるでテスト勉強をしてこなかった。まさにやってこなかったツケ。それを地で行く有様だ。


 テストの開放感から、遊びに行こうという話になったが遠慮した。友人たちはそんなわたしに、付き合いが悪いと眉をひそめることない。夏休みの後遺症を未だ引きずっているものとして慮ってくれている。素晴らしき友情であるからこそ、余計に後ろめたさがあった。


 ある意味、後遺症であることは間違いない。引きずるどころか、日増しに重症化していっている。本人はその病巣、あるいは創痍を療養しようとしていない。


 悲惨な期末テスト、その現実から逃避するように、帰宅するなり物語の世界にのめり込む。昨日の続きが気になって気になって仕方なかったのだ。


 そんな金曜日の晩。


 深夜アニメタイムの前に、一週間ぶりにベランダへ出た。


 暦上、季節は冬。


 積雪地帯ではないとはいえ、夜はすっかり冷え込んでいる。ルームウェアにカーディガンを羽織っただけでは、防寒対策が十分とは言えない。


 そんな寒空の下、


「今日もご苦労なことね」


 当たり前のようにベランダで寛いでいる男がいる。


「あんたさ、なんでこんな寒い中、わざわざベランダで寛いでいるわけ?」


 いよいよ我慢できずに追求した。


 ちょっと外の空気を、というレベルではない。どっと腰を据えているのだ。


 黒い厚手のパーカーを着込み、下半身を毛布で覆っている。膝に置かれているリモコンが、それを電気毛布であることを示していた。


 防寒対策をしてまで外で寛ぐとか、隣人のなにがそこまで突き動かすのか。


「気持ちの切り替えだ」


「切り替え?」


「これでも忙しい身でな。家にいるときは基本、やらねばならん作業にかかりきり。パソコン前にいると、ついそればかりに気を取られるんだ」


「それで気持ちの切り替えってわけ?」


「ああ。完全な余暇の時間として、積んでいる物を消化しているわけだ」


 隣人はタブレットを軽く振った。


「へー、あんたも色々と大変なのね」


「好きでやっていることだ。だから余計に気を取られるとも言えるな」


 なんともなさげに隣人は答えた。


 防寒対策はともかくとして、すっかり見慣れた隣室のベランダ。その広がる光景。


 なぜわざわざ女子高生の部屋、そのベランダ側に身体を向けているのか。それも問わんとしたが止めた。おそらくわたしが、この部屋に引っ越す前からのルーティンなのだ。気持ちの切り替え、その儀式ともいえる。隣室の住人が変わったくらいで、変える気はないのだろう。


 そんな姿をいつまでも眺める。なんてことができるほど、残念ながら隣人には華がない。ブサイクでもないがイケメンでもない。ただの坊主頭の青年だ。清潔感はあっても、身なりに力を入れている様子はないのだ。


 かといってクラスの隅にいる、男子たちのような野暮ったさはない。眉毛を生やしっぱなしにせず、手を加えているからだ。


 オタクなのにその辺りちゃんとやってるのね、と前に褒めたのだが、


「バリカンで頭のついでにやってるだけだ」


 と、意外な道具で整えていることに驚いた。


 どうやら高校に入ってしばらくまでは、変わらぬ千円カットで眉は放置。わたしのよく知るオタクらしい身なりであったようだ。


 それをある日、いっそ坊主にしたらと提案されたようだ。野暮ったい頭でいるよりはよっぽどいいと。


 それを言い始めた相手は、隣人いわくスクールカーストの天上人。神に全てを与えられた半神。放課後、どこからともなくバリカンを借りてきて、皆の前で断髪式が行われたようだ。


 イジメのような一幕に聞こえるが、イジリでも玩具にされたわけでもなく、隣人を思った行為だったらしい。そこまで言うならばと、隣人もやってみるかと受け入れたのだ。そのくらいの信頼関係があったようである。


 実際、断髪後は好評だった。眉もバリカンで長さを揃え、パパっと手入れされたその様に、皆揃って褒めてくるものだから照れくさかったくらいとのこと。


 以来、最低限の身なりは整えるようになったようだ。自分をよく見せるのではなく、友人たちの隣にいて、恥ずかしくないよう心がけているらしい。


 それでも最低限だ。目の慰めになるほどの華がないことに変わりがない。


 タブレットに目を落とした隣人から目を逸らす。そしてふと思い出したように、またその姿を目でジッと捉えた。


 面白みのないその顔ではない。その少し下。上に着込んでいるパーカーだ。


「それ、もしかしてユーリアの?」


「ほう、気づいたか」


 ニヤリとしながら面を上げると、


「そう、コミマで限定販売されたユーリアたんパーカーだ」


 目を輝かせながら肯定したのだ。


 蒼グリのキャラクター、ユーリア・ラクストレーム。隣人の大のお気に入りであり、魂の嫁とまで公言している。


 そんなユーリアが作中、学園内でも制服の上から着込んでいるパーカー。奇抜でこそないが、ラインの入り方や腕のワンポイントは、狙って作らなければ世に出回りようのないデザインだ。


「転売厨のカス共のせいで手に入らず、当時は切れ散らかしたものだが……先日、新品未使用で発掘してな。即決で買った」


「へー、ちょっとしたプレミアものね」


「プレミアもプレミアだ。それを十倍程度で買えたのは、まさに運が良かった」


「待って……元っていくらなの?」


「五千円だ。それをあんな安値で置いてくれていたとは、まさに良心的な店だったな」


 店への嫌味でも皮肉でもなく、隣人は心からの感謝を示している。


 五千円を十倍。それをあっさりと安値という様に、わたしは愕然とした。


「五万って……そんなにあんたの家って金持ちなの?」


「金持ちの息子がこんなマンションに住んでるわけがないだろ」


「それもそうだけどさ……」


 父の友人のマンションを、こんな呼ばわりされながらも肯定する。


「でも、バイトに精を出してるようにも見えないけど」


 壁は薄くこそないが、完全防音とは程遠い。意識せずとも隣が留守ではないなと感じるくらいは多々ある。


 そうやって気配を感じる中、特定の曜日、時間はいつもいない、ということが隣人にはないのだ。バイトに精を出すどころか、バイトをしているかも怪しいくらいだ。


「小遣いは……絵で稼いでる」


 隣人は少し悩んだ末にそう答えた。


「エ?」


「イラストだ」


 今度は悩むことなく、あっさりハッキリと口にする。


 何度もしばたたせた目は、その意味を理解した瞬間に丸くなった。


 隣人の意外な一面。……いや、ある意味らしいといえばらしいのか。


「もしかしてラノベのイラストとか描いてるの!?」


 今日も近所迷惑を考えず声を張り上げた。


 小遣い、と口にしたのだからお金が発生している。ではどのような仕事をしているのか。わたしの貧弱な知識では、パッと思い浮かぶ手段がこれであった。


「そこまで大層なことはしてないしやる気もない。ただ好きな創作だけをして、その先で小遣いになるよう上手くやっているだけだ」


 いつもの得気な顔をせず、なんともなさげな口ぶりだ。


 そうは言うが、やはりそれは凄いことではないか。


 マンガだってあれだけで沢山買っているし、元が五千円のパーカーを、十倍になっても安値扱いしてポンと手に入れたのだ。


 バイトもせず、イラスト一つで稼げている。


 見直したというのもおかしいが、隣人の思わぬ一面に感心した。


 そして興味を抱いた。


「ふーん、どんな絵を描いてるの?」


「五割がユーリアたんで、残りは流行りものだ。基本的には二次創作ばかりだな」


 あっけからんと言う様に、わたしはつい笑ってしまった。


 軽んじたのでもなく、バカにしたのでもない。あまりにもらしい答えが面白かったのだ。五割がユーリアか、と。


「……まあ、最近は一次創作ばかりになってるんだが」


 少し言い難そうに隣人は近況を告げた。


「へえ、なんでまた」


「ちょっと気まぐれに描いたのが受けてな。連作として描いてみたんだが……波に乗って続けている内に、バズりにバズったんだ。フォロワー数もヤバイことになってる」


 自慢話に聞こえるが、そうでないことは引しまった口元が示している。


 嬉しくないというわけではなさそうだが、それ以上に戸惑っているのだろう。不相応な場所にいきなり連れ出され、注目を浴び緊張しているそれに近い。


「一昨日、それを漫画にしないかって出版社から連絡がきた」


「嘘……凄いじゃない」


 しかつめらしい声で言う隣人に、驚嘆を通り越し唖然としてしまった。


 まさか隣人が漫画家デビューする。その瞬間に立ち会わんとしているのだ。


「ま、断ったがな」


 なのにあっさりと、隣人はなんともなさげに言った。


 冗談でもなければ、わたしを担いだのではないのは、生真面目な顔から察せれた。だから余計に信じられなかった。好きな分野と特技、それが重なったチャンスをあっさりと手放したことに。


「……なんで?」


「元ネタありきの、リアルネタを茶化して描いたやつだからな。マンガ化すれば、最後にはくっつくようなラブコメを求められる。それをしたくなかったんだ」


 事もなげにチャンスを掴まなかった理由を答えた。そこに重苦しさも悔しさもなく、ただやりたくなかっただけだと。


「プロとかにさ、なりたくないの?」


「プロになるのとプロであり続けるのは違う。俺は一を膨らませることはできても、ゼロから一を生み出すセンスが絶望的だ。いざプロになったところで、それに苦しんで嫌になるのは目に見えているからな。そんな末路を辿るくらいなら、趣味にとどめておくに限る」


 カッコつけることもなく、ありのままの自己分析を隣人は語った。


 ただなるだけではダメ。なった先で、プロであり続ける苦悩まで考えているのだ。趣味は趣味だと割り切って、その先に夢を見ようとはしなかった。


 いつもははしゃぐように好きなものを語り、ときに少年のように目を輝かせる。そんな子供っぽい姿に、もっと年相応の落ち着きを持ったほうがいいぞ、と実は思っていたりもした。けれどそんな子供っぽさこそが、四つも上のオタク青年をとっつきやすくしていた。


 それが今日は違った。身近でとっつきやすかった隣人が、急に遠い人に感じてしまった。


 現実を見据えるその姿が、大人っぽく映ったのだ。


「ま、今回の件で小遣いも増えたからな。しばらくはこのネタとユーリアたんを半々にやっていくつもりだ」


 ようやくニヤっとした口元に、安心感すら覚えたのだった。

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