05

 最近、テレビで流れるドラマや映画、バラエティ番組を以前と比べて楽しめなくなった。


 夏休み初日のような、手に付かないとはまだ違う。元カレのことは完全に吹っ切れているし、誰かが口にしないと思い出さないほどだ。


 一ヶ月やそこらで、番組の質が落ちたというわけではない。つまらないというのもまた違う。強いていうのであれば、見ていてなにかが物足りない。塩もケチャップもかかっていない、ポテトフライを食べているような感覚だ。


 無理しなくても食べられるが、そこまでして食べたいというものではない。


 楽しみに見ているというよりは、ニュースを見ているそれに近い。例え引かれる内容でなくても、共通認識の情報として蓄える必要がある。さながら昨今の情勢を語るかのように、世間話についていくためだ。


 義務感で見ている。そんな感じ。


 そんな十月の頭。金曜日。


 その日も垂れ流しているテレビを横目で見ながら、身の入らぬ勉強に励んでいた。


 時刻は深夜の十一時。ニュース番組へ切り替わったところで、適当なバラエティかドラマでもやっていないかと、チャンネルを回していった。


「え……」


 つい呆けたような声を漏らす。


 バラエティでもドラマでも、ニュースでもない。アニメに変わったところで、このリモコンを押す指が止まってしまった。


 面白そうだと思ったのではない。そのアニメに既視感を感じたのだ。


 遠い昔どこかで見たとかではなく、間違いなく初めて見る映像でありながらも、その展開に覚えがあったのだ。


 書見台にかけられている、色あせた上製本。伸ばされたその手が触れた瞬間、それは光り輝いた。そのまま宙へと浮くと、ページが勢いよくめくられていく。


「こ、これは一体……?」


 上製本を触れた者の後ろから、驚愕に震える声が上がった。


 最後までめくられきった上製本は、パタンと閉じると、触れた者の手に落ちた。色あせていたはずの装丁は、瑞々しいまでの蒼色へと変貌している。


「まさか……蒼き叡智がその色を取り戻したのか!」


 慌ただしい声主が書庫から出ていったところで、本を手にした男の顔が映し出された。


「うっそ、蒼一じゃん……」


 つい一ヶ月前、散々やり込んだゲームの主人公の顔だった。


 驚き以上に、信じられない気持ちが込み上がってくる。


 だってそうだろう。あれはアダルトゲーム。自分が見ているのは、地上波に流れている番組である。


 けれど……それはすぐに認めなければならず、思い知ることとなった。


 よく知った展開が繰り広げられていく。クリックによって立ち絵が変わるだけだったキャラクターたちが、映像表現を持ってテレビの中を動き回っている。


 蒼グリがアニメ化していたのだ。


 食い入るようにテレビを見るのは夏休み、その前日以来か。


 終わってみれば大きな見どころもなく、キャラの紹介や設定だけが並べられただけ。初見の人間には退屈で、物足りない第一話であろう。けれどわたしにとって時間を忘れるほどの、あっという間の三十分であった。


 見終わった後、しばらく呆然としてしまい、その先でふと思い出した。


 一ヶ月は見ていない得意気な顔。


 ベランダに出る。すると仕切り壁の向こうからもまた、窓を開ける音がした。


 無礼とか、礼儀とか、そんなの考えることはない。


 慣れたようにわたしは隣室のベランダを覗き込み、


「……久しぶり」


 と挨拶をするのであった。


 いきなり覗き込んできたわたしに気を悪くすることもなく、


「昼夜逆転生活は戻ったようだな」


 隣人は皮肉げにフッと笑うのだった。


 ドリンクホルダーつきの折りたたみ椅子。隣人はそれをを広げ腰掛けると、缶をプシュッと開けるのだ。そうやってタブレットに目を落とすと、見慣れてしまった光景の完成である。


 無視しているわけではないだろうが、向こうから話しかけてくる様子はない。


「……蒼グリ、アニメでやってたんだね」


 しょうがないのでこちらから話を振ると、


「貴様も見たか!?」


 勢いよく食いついてきた。見開いたその目の輝きは、まさに同士を見つけたそれである。


「チャンネルを回していたら、急に流れていたから驚いたわ」


「ほう、偶然見つけたというわけか。運のいい奴め」


「まさかアダルトゲームがアニメ化するなんて。世も末ね」


 からかうようなに言ってみた。


 蒼グリをバカにするどころか、矛盾をつくだけで暴力に訴えかけてきた隣人。だが今回は、作品への嘲笑や貶める意味合いはないと通じたのだだろう。


「別に珍しいことではないぞ。エロシーンを廃してコミカライズ化したり、家庭用ゲーム機に移植する。そこからアニメ化するのはよくあることだ」


 界隈に詳しくないわたしに、業界の解説してくれた。


「どうだった?」


「小太郎が動いているのがよかったわね」


 見終わった際に抱いた率直な感想を口にした。


「そういえば貴様の推しは小太郎だったな。好きなキャラクターが映像となって動き回るのは、また格別だろう」


「ええ。小太郎の見せ場が楽しみだわ」


「あぁ……」


 盛り上がる話をしているはずなのに、隣人からは陰鬱は吐息が漏れ出た。眉根を寄せたその面持ちは、同情するそれである。


「なによ、その顔は」


「貴様には残念なお知らせになるが、アニメは間違いなくクリスルートだ」


「え……じゃあ、それって」


「うむ。小太郎は見せ場どころか、忍びと明かされることなく端役で終わるだろうな」


「嘘でしょ……」


 ガックリと肩を落してしまった。


 そうやって、気づけば一ヶ月ぶりに語り合っているわたしたち。蒼グリ地獄を脱した後も、なおも蒼グリ話である。


 お気に入りの活躍が確定しているあんたはいいわよね、と皮肉ったり、導入が丁寧すぎて初見には退屈なんじゃないの、と指摘したり、この先蚊帳の外に追いやられるソフィアを哀れんだりと、時間はあっという間に過ぎていった。


 三十分が経とうとしたくらいか。


 腕時計に何度も目を落として、時間を気にしていた隣人はふと立ち上がり、


「同じチャンネルで、この後やるアニメを見てみろ。陽キャ女子の貴様でも楽しめるはずだ」


 と言い残し部屋へと戻っていった。


 あまりにもあっさりとしたその様に、蔑ろにされたような憤るすらわかず、いい時間だしとわたしも部屋へと引っ込んだ。


 蒼グリのアニメをいきなり突きつけられ、気持ちが未だ昂ぶっている。


 このまますぐは眠れない。しょうがないから見てやるかと、テレビを再びつけたのだ。


 いかにもなあざとい萌えキャラ。夏休み前のわたしなら、それに眉をひそめながらうわっとなって、チャンネルをすぐにでも変えたであろう。だが蒼グリ地獄を乗り越えた今、なんの違和感もなく受け入れられた。


 体内細胞が擬人化して働くそのアニメ。ただ面白いだけではなく、自分の身体ってこうなってるんだと勉強にもなった。


 隣人の言った通り、わたしでも十分に楽しめる作品であった。


 アニメって、案外面白いじゃん。


 蒼グリだけが特別なわけではなかったのか。そんな思いが込み上がり、ついその次に流れるアニメも視聴してしまった。改編期だったこともあり、どれも一話からなのでとっつきやすかったのだ。


 全部が全部、面白かったとは言わない。なんじゃこりゃ、と思った作品もあった。けれど義務感で見てきた十一時以前の番組と比べ、画面に釘付けとなったのだ。


 結局アニメを通しで見てしまったせいで、起床したときには日が昇りきっていた。友人たちとの約束一時間前ということもあり大慌てだ。


 その日の夜、どうせいるんだろ、と覗き込むと案の定いた。


「どうだった?」


「面白かった」


 礼儀としての挨拶など、わたしたちの間に必要ない。蒼グリのときとは違い、あっさりと勧められた作品を認めたのだ。


 おすすめの後に続いたアニメ。それを一通り見たことを告げると、そうか、とだけの答え。蒼グリで見せた熱量はない。けれどそれは無関心なのではなく、蒼グリが隣人にとって特別であっただけ。原作ありきの作品については感想だけではなく、解説や読者傾向すらも交え語ってくれた。


 ほんとこの男はオタクなんだな、と。かつてのような差別意識はなく、楽しそうに語る隣人に感心すらしていた。


「ねえ、もう完結しているアニメで、なにかおすすめとかある?」


 だからちょっと聞いてみた。


 義務感で見てきた最近のテレビは、見ていて物足りない。ただ揚げただけのフライドポテトのような味わい。素朴の味といえば聞こえはいいが、それしかないから食べている。ただそれだけなのだ。


 そんなとき、アニメが案外面白いものだと知った。物足りなかったその具材に、調味料を存分に振られたような味わいだった。


 偏見を完全に廃してみて、面白いアニメを見るのもありかもしれない、と思ったのである。


 特に完結している作品なら、来週を待たずに一気に見られる。いいアイディアだとすら感じていた。


 下手な冒険をせず、この道のプロのおすすめを黙って見るのか吉だろう。


「まあ、腐るほどあるな」


 と、プロは考え込むように言った。その頭には今、何十作品上がっているのやら。


「それを全部レンタルすると、破産しそう」


「今は月額で見放題の時代。月に五百円程度で十分だ。その気があるなら教えてやろう」


「そ、なら試しに見てよっかな」


 月額課金で五百円程度なら悪くはない。あわなかったらすぐに退会すればいい。


 おすすめの見放題のサイトと、まずはこれを見ろと教えられた神アニメ。


 序盤は陽キャ女子には退屈だったり、見ていて痛々しいかもしれないが、騙されたと思ってまずは半分まで見ろ。そういったお言葉を頂いた後は、土曜日の新番組を見るだけで終わった。


 次の日、教えられたサイトに登録して、早速隣人おすすめアニメを見始めた。


 胡乱な横文字タイトルなそのアニメ。タイムマシンや過去改変を巡るSF作品なのだが、主人公がこれまた痛々しい。こんな調子で最後まで続くのかと、何度挫けそうになったか。


 騙されたと思ってまずは半分まで見ろ。


 その言葉を信じた結果、気づけば夜になっていた。


 そしてわたしはベランダへ出た。


「神アニメだったろ?」


「うん、神アニメだった」


 神という単語をつけて素直に称賛したのだ。


 思い返すと潤みそうになる目と、胸に抱いた熱い想い。物語でここまで感動したのは、生まれて初めての経験であった。あの痛々しすぎて嫌気すらさしていた主人公が、終わってみれば一番好きなキャラクターだったのだ。


 素晴らしい作品に出会えた。そんな余韻にひたりながら、隣人とあれこれと作品を語ったのだ。大した感想を言えずにいるわたしを、隣人はバカにするでもなく、上から見てくるのではなく、同士に接するように裏話や解説などをしてくれたのだ。


 長針が一周した頃を見計らい、話は終わりにした。


 次の日は学校もある。睡眠不足は美容の大敵だ。


 挨拶もなく各々の部屋へ戻ろうとすると、


「あの結末に至る前日譚話も、あのサイトなら配信されている。ただのファンサービスに収まらない、まさしく神作品だ。明日帰ったら見てみろ」


 と、隣人は言い残していった。


 次の日、生まれて初めての仮病をつかったのだ。

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